#87 チャイニーズレストラン CAREN オーナーシェフ 荒木 徹弥さん

87 荒木徹弥さん

「体力がつづく限り、第一線でやり続けたい」

1967年生。山形県出身、在住。大阪にあるあべの辻調理師専門学校を卒業。中華レストラン、ホテル(ともに大阪市内)で計17年間働いたのち、山形に戻り、03年11月にチャイニーズレストラン『CAREN』をオープン。2013年には10周年を機に店内をリニューアル。店の内壁には、東北芸術工科大学で学ぶ若手アーティストたちの絵を展示している。中華でありながら、フレンチのように前菜からデザートまで一品ずつ提供するスタイルが特徴。


記事公開:2015-05-01

 

料理人の道へ
「徹弥が作ったこのラーメン、すごくおいしいね」
 荒木を料理人の道に引っ張りこんだのは、母の褒め言葉だった。
 小学校高学年の頃のある日のこと。昼間、忙しくて手が離せなかった母に指示され、荒木は家族の昼食にインスタントラーメンを作った。
 何のことはない。市販されているものを、さしたる工夫もなく手順通りに作っただけである。にもかかわらず、母は手放しで褒めてくれたのだ。後になって思えば、そんなにおいしいわけもない。作ってくれたことに対する褒め言葉だったのだろう。だが、子どもだった荒木の心は、素直に受け取った。おれには料理への才能がある! 勘違いではあったが、「料理人」という将来像が結ばれた瞬間だった。
 遡れば、幼稚園の頃から食に対する興味はあった。『家庭画報』や『ミセス』など、母が購読している婦人雑誌をめくっては、料理の写真が掲載されているページにばかり目が留まっていた。母の一言は、さほど意識することのなかった興味の対象を、意識の表層へと浮かび上がらせたのである。
 以後、荒木は時折、自ら台所に立つようになった。作るものといえば、市販のホットケーキミックスやカレーなど。凝ったものを作ることはなかったが、インスタントラーメンにカレールーを加えてみるというように、自分なりの料理を作ろうとする意識は働いていた。
 他にやりたいものがこれといってなかったこともあり、中学校に入る頃には、荒木の視線は「料理人」に定まっていた。それ故、学校の勉強などやる必要を感じなかったし、ろくにやりもしなかった。
 荒木の父はサラリーマン。今となっては、父の仕事の大変さがわかるし、尊敬もしている。だが、中学生の荒木にとっては、「サラリーマン=平凡」だった。このまま、高校、大学へと進んで、サラリーマンになりたくない。そんなへそ曲がりな性分は、さらに「料理人」をブレない将来像にしたのである。
 86年春。山形の高校を卒業した荒木は、「料理界ではNo.1の学校」という評判が立つ、大阪にある「あべの辻調理師専門学校」に入学。夢への一歩を踏み出した。

内容を求めて
 専門学校を卒業した荒木は、大阪市内にある中規模の中華レストランに就職した。最初は仕事を覚えるのに必死だった。いずれ店を持ちたいという思いは、まだ遠い彼方にある夢でしかなかった。
 具体的に独立を考えるようになったのは、30歳を過ぎてからのこと。14年間、中華レストランで働いた後、独立しようと思えばできただろう。しかし、その店しか知らないのは、どこか心もとなかった。麻婆豆腐を例にとっても、その店の味や作り方しか知らないのだ。結婚式や宴会にて、大人数の客をさばくときの技術やノウハウを身につけておく必要性を感じていたというのもある。2000年、荒木は紹介してもらった大阪市内のホテルに就職した。
 料理人が10数人という大所帯の厨房には、人間関係の煩わしさがついて回るもの。気を遣わなければならない場面も多々あった。一方、効率的に仕事を進める技術はホテルでしか身につけ得ないものである。がっかりした面も含めて、勉強になった3年間だった。
 勝負に出たのは、36歳のときだった。結婚し、二人の子供を持つ身でもある。けれども、このまま年を重ねていけば、億劫になり、臆病にもなっていくだろう……。腹を決めた荒木はホテルを退職。山形に戻り、開店準備に取りかかった。
 出身地であるというのが山形に店を開いた主たる理由だが、食材がおいしいことも理由としてあった。大阪に住んでいた頃、実家から送られてくる野菜がおいしいと感じていたのだ。
 現に、大阪では流通の都合上、どうしてもタイムラグが発生する一方、山形では、農家がその日の朝に採って卸したものを調達することができる。行き着くところ、おいしいのは新鮮なものだと荒木は感じている。
 最初はすべてが手探りだった。出身地とはいえ、高校までしか過ごしていない場所である。いわば、右も左もわからない状態なのだ。人の流れや立地条件などを事前にリサーチした上で場所を決めるのが正攻法だったろう。
 しかし、そういった手順を踏むことなく、荒木は店を構える場所を決めた。決め手は、飲食店をそのまま売りに出していた物件だったこと。冷蔵庫やテーブルなど、備品も揃っており、初期投資をかけずに済むからだ。仕入れ先を探し始めたのも、店の場所が決まってからだった。
 山形県の人たちは車で移動するから、市内であればいいだろう。ある程度口コミで評判が立てば、お客さんは来るだろう――。今となってみれば、恐ろしくなるほど楽天的な見込みである。不安はないわけではなかったが、若さもあってか、やれるだろうという根拠のない自信が心の大部分を占めていたのだった。
 ともあれ、2003年11月、荒木はチャイニーズレストラン『CAREN』をオープンした。 過程はどうあれ、いったん勝負する場所を決めた以上、その場所を好きになりたかった。場所が悪いからという言い訳もしたくなかった。
 それから10数年。今となっては、納得の場所である。
「市内の中心部で商売をすれば、12~13時のランチタイムにお客さんが集中することにより、店内は喧騒に包まれ、慌ただしくなりやすいはず。それは僕がイメージしているお店とは違うんです。カレンでもその傾向は見られますが、中心街から離れている分だけ、比較的ゆったりしていただけるんじゃないかなと。お客さんがわざわざ僕の料理を食べに来てくれるという形にもなりやすいですし。そういう点も含めて、この場所を選んでよかったなと思うんです。まぁ、何とかなるもんですよね」
 とはいえ、山形で商売をする厳しさは幾度となく感じてきた。「食いだおれ」というだけあって、わりかし食には金を惜しまない大阪と、「おしん」に象徴されるように、贅沢なんてとんでもないという風土の山形。折に触れて、荒木は両者の感覚の違いを肌で感じてきた。
 山形県民が飲食にかける予算の相場は、「昼1000円、夜2000円」と言われている。そんな中、カレンのランチは1240円、ディナーは2580円~という価格設定である。「高い」とは言いつつも繰り返し足を運んでくれる客も多いのだが、食に対する財布の紐の固さは否めないところだ。
 さらに、「或る飲食店に一品おいしい料理があれば、人口の多い東京なら10年もつが、少ない山形なら3年持てばいい方だ」業界内ではそんな通説もある。事実、独立してから10数年の間には、周りの飲食店は閉店と開店を繰り返しながら、どんどん違う形態へと様変わりしていく光景を目にしてきた。
「そんな環境でお客さんに支持されながら、10数年続けてこられたことは幸せだなと思っています」
 荒木が店にかける宣伝費はゼロ。有料の広告セールスの類は、一切断っている。店のホームページを持ちたかったが、忙しくて作れずじまい。自主的に行っている宣伝といえば、昨年頃から始めた、個人のFacebookで時たま行う情報発信くらいである。
 それでも営業を続けられてきたのは、客の9割が女性ということもあってか、「あの店おいしいよ」というように、客同士の口コミで広げてくれているからだ。客の大半がリピーターというのもある。
「ありがたいことですよね。逆に、一見さんは来ていただかなくていい……と言えば言い過ぎですけど、それくらいの気持ちではやっています。少なくとも、誰でもいいから来てください、という店ではない。山形の相場からすれば高いけれども、「この料理だったら高くないよ」と言ってくれるようなお客さんが来てくれたらなと思っています。
 だから、あえてお客さんを引き込むような宣伝をしたり、看板を出したりはしないんです。自分に合わないことはしないというか、むしろお客さんに合わせてもらうというスタンスでやっていますね」
 ここ数年、全国的にブームとなっている『ランチパスポート』が、山形で初めて取り組まれたのは2013年のこと。3ヶ月という期間限定で、通常料金700~1,400円のランチが、パスポートを提示することによりすべて500円になるという企画である。以前、カレンにも登録店舗にならないかという誘いが来たが、荒木はこう断った。
「うちは安さを求めて来る店じゃない。内容を求めて来る店です。なので、そういう企画は参加しません」

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