#8 月山和紙 紙漉き職人 三浦一之さん

三浦一之さん 2#8 月山和紙 大井沢工房さんぽ 紙漉き職人 三浦一之さん

「和紙のことを考えている時が、 いちばん幸せなんです」

Profile
1951年秋田県生まれ。10歳の時に埼玉県に引っ越す。西川町大井沢在住の紙漉き職人。 自宅兼工房である「大井沢工房さんぽ」にて月山和紙を漉いている。 現在、山形県内で紙漉きをしている2人のうちの1人。 1986年、約20年間のサラリーマン生活に終止符を打つ。 その後、埼玉の小川での約7年間の修業を経て、1993年、西川町の自然と匠の伝承館にて独立。今に至る。

記事公開:2012-7-18

 


私が紙漉きを始めた理由
 私が紙漉きの道に飛び込んだのは、35歳の時でした―――。
 サラリーマン時代、旅行が好きだった私は、和紙が好きな会社の同僚たちと一緒に、和紙の産地巡りのような形でよく旅行していたんです。当初はそんなに和紙に興味がなかった私でしたが、元来モノ作りが好きだったというのもあったからか、そこで作っているところを見学したり、体験で和紙を漉かせてもらったりするうちに徐々に興味が湧いてきたんですよ。それで、東京にある和紙の専門店に色んな話を聞きに行ったりするようになりました。
それに加えて、30を過ぎていた当時、自分の仕事やこれからの人生について考えていた時期でもあったんですよ。そうして色々悩んだ末、紙漉き職人の道に進むことを決断した私は会社を辞めて、埼玉の小川で紙漉きの修業を始めました。

絶対ゆずれないところ
 修業時代は、塵取り以外全てやりました。タイ産の楮を苛性ソーダで煮たり、亜塩素酸ソーダで漂白をしたり。パルプを3分の2混ぜた紙も漉きました。それらの作業は全て、コスト削減のために、やむなく紙の質を犠牲にしてやっていたこと。そんな紙を漉きながらずっと考えていたんですね、「和紙とは何か」ってことを。
 苛性ソーダという劇薬で煮れば、たやすく紙を作れる一方で、紙の繊維を傷め、長持ちしない脆弱な紙になってしまう。薬品漂白で真っ白にした紙は不自然な白さになる。それに、外国産の原料で作った紙を「和紙」と名乗るのは間違っていると思うんです。
 そんな修業時代に決めていた「国産の楮だけを原料として使い、ソーダ灰で煮熟をし、薬品漂白はせずに紙を作る」というやり方は、独立してから今までずっと守り抜いています。だから、「真っ白の紙を作ってくれ」「安くしてくれ」というお客さんからの要望があっても断っていますね。できないものはできないんです。
 もちろん自分が生活していくためにも、今の生活スタイルに対応する和紙はできるだけ作っていきたいとは思っています。昔と今では生活スタイルが全く違うから、和紙の使われ方も違ってきますしね。
 だけど、絶対にゆずれないところはある。
 現状として、世間に流通している和紙の中には、私が思う「和紙」の定義(昔の作り方と同じとまではいかないにしても、できる限りそれに近い作り方で作られた和紙)から外れているものがいっぱいあるんですよね、実際のところ。でも、消費者の人たちはそのことを知らないで使っているんですよ。和紙業界が原材料や製造方法を表示するように統一していないのも問題なんですけどね。
 そこまで私がこだわるのも、和紙は日本の宝だと思うし、実際そうだからなんです。和紙がなければ、日本の文化は途絶えてしまう。例えば、平安時代に描かれた絵画を修復するなら和紙は必要不可欠です。そういう日本文化の継承のためにも、和紙は必ず残さないといけない。私が今作っている和紙は、そういうものには使われていないけれど、昔からの伝統をしっかり守っている和紙がちゃんと残っていかないと、修復に使うような紙、いわば頂点に位置する和紙も残っていかないと思います。

一番幸せなとき
 その上で、私が目指しているのは大井沢を和紙の里にすること。少なくはない、紙漉き職人を目指す若い人を大井沢に呼び込んでいきたいとは思っていますね。
 今、私は幸せです。やりたいことをやっているから。例えば、「この植物からどういう紙ができるかな」という風に考えていることがすごく楽しい。実際、紙にできる植物は色々ありますからね。なかなか完成までは辿り着けないけれど、その過程が面白いんですよ。
 やっぱり仕事をしている時、和紙のことを考えている時が一番幸せですね。


<編集後記>
「いい紙を作りたい」呟きのような一言が、僕の耳に残っている。

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