#90 男性問題研究家 / 釜ヶ崎地域史研究家 水野阿修羅さん


 思いがけない展開に、水野は絶句した。労働組合の運動などでは、一般論を語るだけで事足りていた。「被害者」の立場に立った意見ならいくらでも言えた。だが、自身の加害者性についてなど、これっぽっちも考えていなかったのだ。
 とはいえ、水野が特別、無自覚だったというわけでもない。「男はそういう生き物」との前提に立って支援を進めるのが、当時の支援者たちのメインストリームだった。実際、多くの日本の女性たちも、――フェミニストを除き――「男は外で鬱憤を晴らしてくれた方がいい」つまり「男が買春に行くのは賛成」という考えを持っていた。売春問題に関する膨大な国連の調査報告書に書かれているのも、「どんな女性が被害に遭うか」、「被害に遭った場合、回復するため、支援するためにはどうすればいいか」など、女性に焦点を当てたものばかり。女性を買いに行く男性について言及したものは、ほとんどなかったのだ。
 買春問題は自分自身の問題でもある――。前後して、水野は「男らしさ」へのとらわれが、問題の核心だと薄々気付き始めていた。
 91年、水野はメンズリブ研究会を有志たちと発足し、1、2ヶ月に1度のペースで学習会を行うようになった。目に見える形で変わっていこうと、会が終わった後には、男ばかりで喫茶店に入り、甘い食べものを食べ、「男は甘いものを食わない」という鎧を脱いだ。服装にも気を配るようになり、「男はバンカラ、服装なんて気にしない」という鎧も脱いだ。
 そんなある時、女性との付き合いが苦手な理由にふと思い当たった。どうも自分がスケベであることをバレるのが怖かったらではないか――。フィリピン人女性から「日本の男はなぜこんなに女を買いたがるのか?」「なぜ嫁にほしがるのか?」と口々に問われていたことや、イタリアの男性が「コミュニケーション能力を高めれば、タダでセックスできる」と言っているのを聞いたことも手助けとなっただろう。
 お金を介すれば、コミュニケーション抜きにセックスできるから、男は女を買いたがる。つまり、暴力と同じで、労を要しないのだ。買春に行く男は概して、女性との付き合いが苦手である。男らしさから解放されるカギは、コミュニケーションではないか――。
 男の性と暴力について考えをめぐらすうち、行き着いたところは「感情」だった。感情をどう回復させるか。そして、それを暴力的ではない方法でどう使うか。テーマは絞られた。女性の気持ちがようやく理解できるようになった。
 メンズリブ研究会でワークショップによる体感ゲームを行ったことも、「男らしさ」にとらわれている自分を自覚するのに大きく役立った。
 印象深いゲームの一つに、目をつぶった一人の人が、複数人で囲んだ輪の中に、背中から倒れていくというものがある。むろん、倒れる前に、グループ内で「支えてもらえる、支える」という合意は取れている。にもかかわらず、水野は倒れられなかった。倒れまいとして勝手に足が出るなど、人に頼ったり、依存したりすることを恥と認識する自身の心模様が身体の動きとして率直に表れたのだ。
 その後、いろいろな場でそのワークショップを行ったが、リーダー的な立場にいる人、キャリアウーマン的な人、つまり自立心、独立心の強い人は倒れられない一方で、甘え上手な人や女らしい人は簡単に倒れられるという傾向がつかめてきた。
 人間は変わろうと思えば、変われるのか。人に依存することがこんなに気持ちいいことなのか、「助けて」と言えたらこんなに楽なのか――。体感としてわかり、自身が変わっていくなかで、心理学関連の本で出合った「過去と他人は変えられない」という言葉は水野の心にストンと落ちてきた。
 98年には、水野は有志たちとメンズサポートルーム大阪を立ち上げた。DV加害者に対し、自らの感情を回復させ、DVから脱却することを目的に「男の非暴力グループワーク」を実施するようになった。
「弱さを見せない人は、今でもあんまり好きじゃない。一方で、無防備な感じで弱さを見せまくっている彼らを見ていると、愛おしいという感情が湧いてくるんです」
 水野は数年前、来し方を振り返りながら、ある媒体で綴っている。
「自分が加害者になってしまったのは、自分の責任もあるが、それだけではないことや、自分に厳しい人が、人にも厳しかったり、自分にかせられた抑圧を、自分より弱い立場にかけてしまうことなど、「自覚」を通じて目ざめていくことで、他者に暴力的にならない自分をつくりあげていくことができる。自分をいとおしいと思う気持ちや、他者をいとおしいと思う気持ちがつちかわれないと、心の底からの「やさしさ」はでてこない」
 かなしさやさびしさ、つらさ、こわさ……。「男らしさ」とは相容れない感情を封じ込めていた水野は、人と交わるなかで胸の底に眠るそれらを徐々に呼び覚まし、取り戻してきた。
 涙もろくなったのはいつからだろうか。今では、映画観賞中、心の琴線に触れれば、すぐに涙が誘われる。馬鹿にされるのが嫌で涙を隠していた時期も通り過ぎた。むしろ泣けない男を気の毒に思うようにすらなっている。水野にとってのかっこいい男は、いつしか豊かな感情を持ち合わせた泣ける男になっていた。
 今や、3mほどの高さですら、恐怖心が湧き上がってくる。喜怒哀楽における「怒」の牙城は崩れ、忌まわしき「アシュラ」の面影もどこかに消えた。何十年ぶりかに会った者から「別人」と驚かれるのがその証拠。やわらいだまなざしは今、訳が分からなかった“数式”の手がかりを捉えている。
「心があったかーく、じわーっとなってくるのが「愛」と呼ばれるものなのかなと。言葉にすると、「愛する」というより「愛おしい」の方が私にはしっくりくる。「愛する」って言うと、なんか嘘っぽいですしね」

<編集後記>
時代の空気を吸うまいと息を止めたつもりでいても、知らず知らずのうちに空気は皮膚を通して体内に染み渡っているのかもしれない。

【参考文献・引用文献】
・『全証言 伝説のヒーローとその時代 任侠映画が青春だった』(2004)山平重樹/徳間書店
・『その日ぐらしはパラダイス』(1997)水野阿修羅/ビレッジプレス
・『脱暴力を呼びかける』(2007)水野阿修羅/人民新聞社
・『釜ヶ崎のススメ』(2011)原口剛ほか/洛北出版
・「非暴力グループワークの現場から」『女性共同ニュースレター vol.13』(2008)水野阿修羅 

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