No.10 農業生産法人 月山じょいふるふぁーむ 代表 大泉忠昭さん

Story No.10 農業生産法人 月山じょいふるふぁーむ 代表 大泉忠昭さん

「待ったなしなんです。放っておいたら、農地はどんどん荒れていく」

大泉忠昭さんbProfile
1957年西川町入間生まれ。兼業農家の家の長男として生まれ育つ。農業生産法人「(株)月山じょいふるふぁーむ」代表取締役。2人の子を持つ父。2004年末、高校卒業後から約30年間の山形大学職員としての勤務にピリオドを打つ。その後、1 年間の農業研修を経て、2006年就農。2011年末には法人化を実施。土地利用型農業を行い、栽培しているのは、主に米とそば。米は6種類の品目を栽培し、消費者との直接取引を実現している。地域の高齢者から農地を引き受けるという形で、毎年所有農地面積を拡大し、今では25ha以上を管理する認定農業者。通称「農地の駆け込み寺」。現在、年間を通じて、正社員1人を雇用、研修生1人を受け入れている。(写真:本人提供)

半ばボランティアの経営スタイル
 今、高齢化に伴って農地を耕せなくなった地主さんから農地を引き受けるという形で経営しています。半ばボランティアのような形ですね。依頼してくる地主の方は、年々増えてきています。(現在、大泉さんに依頼している地主さんは約100人)それに伴って、農地保有面積も25haまで広がりました。(東京ドーム約5個分)西川町は中山間地域だから、田んぼの形が悪くて、しかも散在している。決して効率的ではないけれど、頼まれたところはいくら条件が悪くても引き受けるようにしていますね。
 本来は行政や農協がそのような農地を守っていく仕組みを考えるべきだと思うんです。だけど、米価が下がって経費が上がっていっている今、こういう中山間地域では赤字になってしまう。だから、経営努力でなんとか農地を守っていかないといけない。
 将来的には、有志で農地を守っていくという仕組み、NPO法人のような組織を作ることも視野に入れています。株式会社とは言え、利益を追求しているわけではないですから。

条件が悪いからこそ…
 やっぱり、平野部の大きな田んぼの方がはるかに作業効率はいい。でもここは条件が悪いからこそ、面白いんです。条件の悪い中で、どうやって知恵を働かせてやるかが醍醐味なんですよ。そういう環境の方が、自分自身燃えるというのもありますね。
 条件が悪いとは言っても、月山から流れてくるきれいな雪溶け水を使って作っているという強みもあります。せっかくの西川町の豊かな自然資源を生かさないと。こういう所で他と同じようなやり方をしていても拉致が明かないですから。

私のこだわり
「米を作る上で、まずそれぞれの田んぼの土壌分析をして、田んぼ毎に適切な量の肥料を撒く。基本的に化学肥料はほとんど使わず。そして、減農薬・無農薬での栽培。そうやって作った米を自分で売る。」そういうビジョンは、始める前から明確に持っていたんですよね。
 研修中、農業大学校に講師として来ていた先進的な取り組みをしている農家の人も同じ考えだったから、自分の考えに対する自信を深められた。研修といっても、誰かの下で働くのではなく、県の施設での研修だったんですね。専門的な分野などの情報収集や人脈作りが目的で。
 米作りの基本的な部分はある程度わかっていたんです。実家(兼業農家)の米作りを子どもの頃からずっと手伝ってきたから。でも、それは自分がやっていきたいスタイルとは違っていた。だから、冒険でしたね。そういう状況の下で、「自分の思い描いているビジョンをすでに形にしている人」に出逢えたのは運が良かったです。

 そうして1年目――。3.5ha全て無農薬での栽培にチャレンジしたんです。結果は失敗。稲がいもち病という病気にかかってしまったんですよ。だけど、この失敗はすごくよかったですね。2年目以降にその失敗を生かせた。疎植(坪当たりの植え付け株数を慣行より減らして育てる栽培方法)での栽培に変えたんです。そうすると、イネとイネの間の風通しがよくなるから病気になりにくくなるし、収量は落ちるけれど、その分食味が良くなる。味で勝負です。
 やっぱり、「月山自然水」を売っている町として、農薬や化学肥料の使用を極力控えるという“環境に配慮した農業”をすべきだし、そこを売りにしていかないといけないと思っています。

目指すは、循環型農業
 今、将来のことを考えたとき。農業者としてエネルギー問題にどういう風に関わっていけるかが大きなテーマです。化石燃料が枯渇していくのはわかっているわけですから。子供達から、「お父さんは石油が無くなってくることをわかっていたのに何もしなかったの!」と言われないような取り組みをしたいと思っています。
 例えば、熱源として薪を使うこと。家の暖房は、薪ストーブを使っていますし、3棟あるビニールハウスの熱源も薪です。ハウス内でウッドボイラーを使うことで二酸化炭素を排出しないようにしていますね。木材の需要は減っている今、目に見えて山が荒れてきていますから。木も使わないといけない。
 新しい試みで言えば、去年の秋から菜の花を栽培しています。そこから菜種油をとって、その廃油でBDF燃料を作ればトラクター等の燃料にできる。
目指すは、環境に負荷のかからない“循環型農業”です。

後継者の育成
 それから、地域の将来のことを考えると、後継者を育てていく必要もある。だから、小学生の田植え・稲刈り体験等にも協力したり、農業体験希望者も受け入れたり。うちでは、今まで3人の研修生を受け入れてきています。
 この町で農業を生業として生きていきたいという若者の力になれれば嬉しいですね。

* * *

40代で農業の道へ
 そもそもこの道に進もうと考え始めたのは、40代すぎの頃。大学の農学部に配属になってから。それをきっかけに、農業について色々考えるようになったんです。
意識してみると、自分の家の周りに耕作放棄地はいっぱいあるな、と。高齢化率も高いし、若い人で農業をやる人もいない。後継ぎもいないから、土地はこれからどんどん荒れていく。ゆくゆくは誰かが農地を守っていかないといけない。
・・・じゃあ農家の9代目でもある自分がやろう、と。
 高校を卒業してからずっと山形大学の職員として働いてきて、自分の生き方について考える時期でもあったんですよね。「一度きりの人生において自分は何をやれるのか」「何をするために生まれてきたのか」という問いが自身の中に湧いてきていて。農業だと“替えの効かない仕事、プロフェッショナルじゃないとできない仕事”ができるな、と。
 それで、実際に動いたのは2004年。仕事を辞め、翌年農業大学校に入学し、研修をスタートさせました。48の時でした。

引き受けたリスク
 年齢も年齢だったから、そこまで冒険的なことはできない。かと言って、従来の方法で栽培するわけではないから、ある程度のリスクは背負わないといけないだろう。結果は欲しいけれども、結果を焦ってはいけない。現実的に考えて、就農後3年間は黒字になるわけがないはず。やっぱり、そんなに世の中甘くはないから。
 だけど、農業で食っていくと決めた以上、お金を一切稼いでいない研修期間中も生活のためのアルバイトは意地でもしなかった。プロ意識を高める必要があったんです、これからやっていくに当たって。
 そういうリスクがあることは承知の上で、この世界に飛び込みました。

出過ぎる杭は打たれない
 そうして、今年で7年目―――。やっている中で、色々と批判は受けます。だけど、やらないといけないし、伝えていかないといけない。それに、批判を受けるということは、味方になってくれる人がいるということでもあるし、やっているうちに理解してくれる人が出てくると信じています。「出過ぎる杭は打たれない」と思っていますから。

生まれてきた理由わけ
「自分が何をするために生まれてきたか」―――。今、やっていることがその答えです、自分のやりたいこと、やっていることが地域や社会にとって必要なことになっている。だから、ここで農業をやるということは社会に対する一つの問題提起でもあるんです。
 ほんとに待ったなしなんです、現状として。当初の計画では、5年目だと所有面積が5h くらいだと計算していたんですけど、実際は20haまで膨れ上がったんです。要は、それだけ時代が変わってきたということなんでしょう。
 やっぱり、誰かがやらないと農地は荒れてしまうから。きっと、未来の歴史が言ってくれるんだと思います。「おまえ、よくやったな」と。

 

<編集後記>
目立つ人間には、批判がつきまとうものなのだろう。ただ、実践しているという「事実」は何よりも尊いと僕は思う。
 今、一筋の光が日本の農業の未来に射し込んでいる。

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