No.11 山形県朝日町情報交流推進員 佐藤恒平さん

Story No.11 朝日町情報交流推進員(桃色ウサヒの中の人) 佐藤恒平さん

「町おこしは、自分に正直になってやれる仕事なんです」

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1984年福島県生まれ。現在、朝日町在住(地域おこし協力隊隊員)朝日町情報交流推進員、同町観光協会理事。自作の着ぐるみ「桃色ウサヒ」を使っての地域おこしに取り組む研究者。デザインと美術のカリキュラムを主とする高校を卒業し、東北芸術工科大学に進学。地域おこしとデザインの研究を始め、同大学院入学時に「非主流地域振興」を着想。桃色ウサヒを使っての地域おこしを始める。卒業後、約1年半のサラリーマン生活を経て、2010年より現職。人口2~3000人程度の過疎の町で育った経験を活かして、全国どこでも通用する地域おこしのモデル作りを探求している。2012年9月には、東京で開催された「地域仕事づくりチャレンジ大賞2012」にてグランプリを受賞。
写真:産経新聞社提供

地域おこし協力隊
人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を誘致し、その定住・定着を図ることで、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とする総務省の事業。隊員はおおむね1年以上3年以下の期間、地方自治体の委嘱を受け、地域で生活し、各種の地域協力活動を行う。(地域おこし協力隊HPより抜粋)

桃色ウサヒ
朝日町のイメージキャラクター。巷で溢れかえっている、いわゆる“ゆるキャラ”(現在、全国で約1200匹)だ。イベントを盛り上げたり、地域の特産品などをPRしたり。そんなウサヒの着ぐるみの中の人が、佐藤恒平さんだ。

 

僕が着ぐるみを着ている理由わけ
 僕は今、朝日町の情報交流推進員という立場なんですね。ざっくり言うと、町の情報発信・PRをすることが仕事です。それを着ぐるみを着た僕、つまりウサヒが実行しているという感じでしょうか。具体的に言えば、そのウサヒを町民の方々と僕が一緒になって、プロデュースするんです。言い換えれば、僕がウサヒの中に入って体を使い、一方で町民の方々には頭を使ってもらう・すなわち意見を言ってもらう・案を出してもらうという役割分担をしているということ。一般に地域コンサルタントがやる手法と正反対の方法ですね。そしてその中で僕は、売り込みだったり、デザインの質を高めたりというような多少の味付けをして、町民の方々の思いを実現するお手伝いをしているという感じです。
 最近、朝日町の観光スポットである空気神社のお守りとプチプチを商品化したんですよ。それぞれ、町民の方々のアイデアを取り入れて作った案を、地元の企業とタイアップして製品化しました。予想以上の売れ行きでデザイナー冥利に尽きますね。(お守り{2012年6月1日発売}は2012年7月末時点で約2500個売れているという)


「1/144 ミニチュア 空気神社御守り」▲
鏡面仕上げのステンレス板と、空気神社の焼き印入りの木札を合わせた御守り。
サイズは実際の空気神社の 1/144 の大きさ。( 約3.4 センチ)


「空気神社のお願いプチプチ」 ▲
気泡緩衝材(プチプチ) をつぶすことによって、気分をすっきりさせるリラクゼーショングッズ。

社会に対する危機感
 そもそも僕が、ウサヒを使った地域おこしの手法を実践しているのは大学院2年の時から。大学院に入ってから、「どこでも通用する地域おこし」を考え始めて思いついたのがウサヒだったんです。従来の地域おこしは地域の特色を生かした地域おこしであり、その地域でしか適用できない手法には疑問を感じていたから。
 1980年に「町おこし」という言葉が誕生して以来30年強―――。成功したと言われる町おこしのケースは、本で取り上げられる程度の量しかなくて、その本の帯にはたびたび「奇跡の~」というフレーズが踊っている。こんなにも地域振興が必要な時代なのに、奇跡的な確率でしか成功しない現状に、正直すごく危機感を持っています。中でも一番大きく危機感を感じるのは、若い人に考えることを諦めさせている現在の社会状況。今、働くことに一生懸命な若い人たちには、地域おこしに取り組むほど気持ちや時間に余裕はない。国や県で実現に向けてトライする機会や資金を用意してくれるケースはよくあるけれど、どちらかというと必要なのは「地域おこしを頑張って欲しい」っていう身の回りの雰囲気の方なんですよね。働いている職場、住んでいる地域の人がちゃんと興味をもって応援してくれる空気感が、若い人たちの活動をよりしやすくするのではないかって思います。
 あと、これは僕自身の体験も踏まえてなんですけど、「失敗してもいいから頑張れ」という様な応援のされ方も、ちょっと怖いですね。だって、若い時期はすごく短いのに、地域おこしに掛ける時間は結構長いから。20代で地域おこしにトライできるチャンスはせいぜい2、3回が限度。だったら「失敗」なんてしている暇はないんです。「失敗を恐れつつ、成功できそうなチャレンジをすること」、要は、若さにまかせたがむしゃらさでチャレンジするのではなく、成功への確信に近いものを獲得した状態を企画者と協力者たちで作り上げてからチャレンジすること。それができたら、地域おこしは俄然やりやすくなります。
 そんな風に新しいことをやる人を応援するという革新的な風土を作りたい。共に考え行動する前向きな気質がその地域にあれば、移住してくる人もそこに入ってきやすいと思うんですよね。

自分に正直になってやれる仕事、「町おこし」
振り返ってみれば、僕は地域振興の研究だけをやって今まで生きてきたと言っても過言ではないくらいです。18の時からだから、かれこれ10年間。おこがましい言い方かもしれないけど、プロ意識がある。それだけ思い入れが強いんですよ。何というか、地域おこしは自分に正直になってやれる仕事、つまり自分のやりたいこととか信念を貫ける仕事なんです。そして、漠然とかもしれないけど目標があって、それに向かって進んでいく過程において、自分が主体となって、なおかつ自分の長所を生かしながら仕事をできるという喜びは大きいですね。
 大好きなんですよ、地域おこしが。ちなみに、僕の夢は大学の先生になってちょっと変わった町おこしをすることなんです。

僕の生き方が作られた時期とき~小・中学校時代~
 なぜ、そこまで僕が地域おこしにこだわるのか?それは、子供時代に遡ります。
 僕が小学校の途中に引っ越してから、中学まで過ごしたのは、人口2、3000人程度の過疎の町。そこで、僕の母親は町おこしのために作られた施設(いわゆるハコモノ)で働いていて、色んなイベントの企画を任されていた。だけど、母親一人が頑張っているという状態で、諦めムードの周囲との温度差が激しいように当時の僕の目には映ったんです。母親の頑張りが報われていないように中学生の僕には感じられたし、母親だけが異質な存在で、他の人たちは皆醒めた考え、同一人格だと捉えていたんですよ。(今思えば、僕自身、その地元の人たちの個性を尊重していなかったんですよね。)そういう状況を、ずっと傍で見てきて感じた辛さや、自分も何かやりたいのにやれないという悔しさやもどかしさが、どうも僕の原点のようです。
 もし、これを読んでいる過疎地域の大人がいたら、地域の大人をこんな目で見ている子どももいるんだってことを知ってほしいです。子どもは、住んでいる町を悪く言う大人、地域のために頑張る人を醒めた目で見つめる大人を、結構じっくり観察しているんですよね。だって、自分がこれから大きくなって、住むかもしれない町のことなのだから。
 「ここではないどこかへ行きたい」当時の僕の心の大部分を占めていたのはそんな思い。だから高校へ通うために、実家から2時間以上離れた場所で一人暮らしを始めたんです。

僕の個性が作られた時期とき~高校時代~
入学したのは、美術カリキュラムが多い総合系の高校。外に出たかったのもあるけれど、その高校を選んだのは美術・図工が好きだったから。そこは結構規模の大きな学校で、ほんとに色んな人がいて。少人数学級で協調性を求められていた中学校時代とは正反対で、僕が本音を言っても本気で相手をしてくれる人たちがそこにはいたんです。この高校時代の3年間というのは自分にとってすごく大きなものなんですよね。「自分」というものが形作られた時期だし、何より「幸せ」の存在を知ることができたから。
 だから、中学校までの思いが自分の生き方を作っているのだとすれば、高校時代の思いが自分の個性を作っているんです。
 特にデザインを教えてくれた恩師には感謝しています。グラフィック、映像、WEBデザイン…。その後必要になるすべての基礎はこの方が1人で僕に教えてくれました。その上で先生は僕に問いかけたんです。「この技術で何をしたい?」って。その時、意外にもすんなりと出てきたのが「自分の住みたい町をデザインしたい」という答えだったんですよ。
 それなら、と大学進学を勧められ、たまたま学校での説明会に来ていた大学の教授が、やたら町おこしというフレーズを連呼する僕を見つけてくれて、芸工大に行くことになりました。

朝日町に口説かれて
 そうして山形美術系大学・東北芸術工科大学に進学。「地域振興にデザインを生かす」をテーマに大学院を出ました。
 大学院を卒業した後、観光系の地域おこしの業務につく話もあったんですが、断って約1年半の関東の一般企業でのサラリーマン生活をすることにしました。なぜなら、一般的な働き方をしている人の立場を経験せずに地域おこしはできないと思ったから。さらに言えば、僕はそれまで自分が生活していけるだけの費用を一個人で捻出したことがなかったし、社会で生きていくために必要になってくるスキルなんかもそれほど自信がなかったから。そういう意味では、不安を解消するための選択でもありましたね。
 そうして2010年。大学院時代に着ぐるみを使っての町おこしを研究していた朝日町から一本の電話がありました。「うちの町で働かないか?新しい着ぐるみを作る予算があるんだけど。」町の職員さんの最高のくどき文句だったと思います。この言葉が出てくる町に、僕もちょっと人生をかけてみようかなって気持ちにさせられたんですよね。
 そしてその年の10月。着ぐるみによる地域おこし活動をスタートさせました。(地域おこし協力隊の活動スタイルとしては前例がない)

風通しのよい社会に
 アプローチの仕方は変わっていると思いますが、何にしても、社会を良くしたいという志は僕の中に確かにあります。これだけ日本中に過疎地域が溢れている中で、これだけ地域おこしのニーズがあるからこそ、どこでも通用する地域おこしのモデルを提案したいししないといけない。
 その中で僕が提案するのは、外部から来た人間がアイデアで町の人を動かすのではなく、自分は出しゃばらずに地元の方々のアイデアを尊重して具現化していくという町おこしです。
 僕は・・・というかウサヒは、実行者であり、さらには人と人との関係性を良くする緩衝材のような存在でもあります。そういう存在がいることによって、多様な意見を尊重し合える、風通しの良い町に近づいていけると思っているし、それはきっと日本全国どこでも通用するモデルになる。
 やっぱり、人間誰だって「役に立ちたい」という思いはあるし、役に立てれば嬉しいと思うんですよね。そういういたってシンプル、でも根本的な感情を大切にすることがよい町づくり・社会づくりの足がかりになると、僕は思っています。

 

<編集後記>
朝日町のゆるキャラの意志に、ゆるさはない。同じ仕事をしている、佐藤さんと僕。やり方は全く異なれど、両者が見据える未来は似通っている。

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