No.13 障がい者福祉施設 さくらんぼ共生園 園長 木村久夫さん

Story No.13 障がい者福祉施設 さくらんぼ共生園 園長 木村久夫さん

「自分らしく、そのままでいい」


木村久夫さんProfile

1955年山形県西川町水沢生まれ。 山形県寒河江市にある障がい者福祉施設「さくらんぼ共生園」園長。 東京の大学に入学後、他大学に編入学。 大学時代、仏教・印度哲学の世界に魅せられ、特に曼荼羅には強い興味を持つ。 卒業後、大島(東京都)の知的障がい者福祉施設での勤務を経て、1991年に当園を設立し、今に至る。 好きな本はレイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」。好きな作家は星野道夫。 著書に、「今日もぽっかり白い雲―さくらんぼ共生園のスローでショートな物語」(無明舎出版)「今日はほんのり虹の雲―さくらんぼ共生園のみんなで綴るちょっと虹色物語」(北水出版)。
※写真…木村久夫さん(右)と、同じ職場で働く妻ルミ子さん(左)。本人提供


いい仕事をしている人は、自分と向き合っている人

 うちらの仕事っていうのは、人が相手の感情労働です。だから、自分の“弱さ”みたいなものを感じられるような人でないとやっていけないんですよ。要は、自分と向き合っているかどうか。利用者さんと関わっていくうちに自分と向き合わざるを得なくなるんです。この仕事をするまで、そのプロセスを経ていない人も、真摯に仕事に取り組んでいるうちに、向き合わざるを得なくなってくる。この作業をやらないと、一人前になれないというようなところはありますね。ここは決定的な分かれ道だと思います。いい仕事をしているか、ただ流されて業務をこなしているだけか。後者の方は楽かもしれないですけどね。
 いい仕事をしている人っていうのは、利用者さんと“生”の関係を結べている人でもあります。そういう意味では、入ったばかりのの職員さんとか学生さん、ボランティアの人なんかはいい仕事をしますね。ベテランの職員さんがいい仕事をしないというわけではないですよ。(笑)一生懸命相手の気持ちを考えようとしているのが伝わって、利用者さんも生き生きするんです。すごく敏感というか、正直ですから、利用者さんたちは。
 でも、生で付き合うのはしんどいし大変。ボロボロになる可能性があるんです。だから、病気になったりうつになったり。だけど、そういう経験をして「どうやったらしんどくならずに長く付き合っていけるのか」ってことを体得していくんですね。ある種のテクニックというか、物心両面においての適切な距離感を体で覚えていくんですよ。
 一方で、私の場合、長いこと勤めて経験を積んでくると、頭の中が空っぽの状態で対峙することが難しくなってくるんです。というのも、どうしてもこれまでの経験でもって相手を判断してしまうから。頭の中で、合理的にデータ処理してしまうんですよ。「この人はこういう障害を持っているから、今までの経験からすると、こうなってこうなる。じゃあこういう対応をすればいいんだな」というふうに。いくらベテランになっても、学生さんのように、頭が空っぽの状態で、初めて会った人のように付き合えればいいんでしょうけどね。究極は、いくら経験を積んできたとしても、その経験がない体(てい)で付き合えること。まぁ、無理でしょうけど。(笑)

テーマは、どういう関係性を持つか
 とは言え、そんな利用者さんたちのシンプルな生き方とか人との関係性には感動させられるんですよ。 「今ここに自分の好きな人がいて、その人と話したいだけ、手をつなぎたいだけ」 そういう世界ですから。(もちろん、複雑な人もいますけど。)
 例えば、「自閉症」と言われる人の場合。接触するのが苦手な人が多いから、形の上では手をつなげないけれど、きっと気持ちの上ではつないでいるんですよね。考えていることは同じだと思うし、結局のところ、どういう関係性を持つかがテーマなんです。
 だから、言葉も大切になってくるんですよね。30年ほど前―――。福祉の現場で働く人は「先生」と呼ばれていました。何の知識も持たずに、初めて福祉の仕事に携わる私が「先生」でしたから。おかしいですよね。そうなると、「先生」と「生徒」という関係が言葉によって作り出されてしまう。言葉が先行すると、その仕事に従事する人を束縛するというか、がんじがらめにしてしまうところはありますよね。今は、「支援員」とか「援助員」っていう呼び方に変わっていますけど、それでも違和感はある。

支え、支えられる関係
 利用者さんと、「援助員」と呼ばれる職員さん。傍目に見れば、うちらの仕事は「援助する仕事」「成長を促す仕事」なのかもしれません。でも、こっちは「援助」しているわけではないし、「成長を促そう」という思いもない方がいい。なぜならば、両者の関係性は「相互作用」、いわば「支え、支えられる関係」だから。そして、促そうなんてしなくても、間違いなく成長しているから。利用者さんたちは、“援助者”なんかいなくても成長しているんですよ。こっちはそれを信じて、ただ待つだけなんです。 それには、利用者さんとの関わりの中で「自分が救われた・助けられた」と感じるような実体験も大切で、相手の方を尊敬できるようになるとそういう感覚も自然と芽生えてくるんじゃないでしょうか。
 そういったことを踏まえて私たちがやれることは、利用者さんたちがのびのびと自分のしたい活動をできる場づくりなんです。でも、個人が好む環境はそれぞれ違って対立も生まれてくるから、利用者さんたちの話し合いの場を設定する必要も出てきます。それも含めて、「環境作り」が私たちの仕事ですね。

理想の「共生」
 利用者さんの働く環境という面では、現状として、当園の利用者さんが工賃として稼げている額は少ないんです。最近、福祉の現場において利用者さんがもっと工賃を稼げるようにしようという機運は高まってきている中で、うちは今後の方向性について悩んでいます。
 仮に、パン作りをすれば、工賃は稼げるかもしれない。でも、衛生管理や生産過程での機械化による合理化、納期などの時間の制約など様々な縛りが出てくる。それによって、疎外されたり、その場に居づらくなったりする利用者さんも出てくるかもしれない…。数字や結果を出すというような、効率性・合理性を追求することが苦手な人の多い世界だからこそ、なおさらのこと。そこがネックになっていて、なかなか踏み切れないんですよね。
 理想としては、稼ぎたい人は稼ぐ、のんびりしたい人はのんびりするというような選択肢があることだと思っています。何もしない人も生き生き過ごせる状況があればいいですけどね。そういう「共生」があるといい。一つの村の中には働く人がいて、働かない人もいて、というような。

自分らしく、そのままで
 うちの園でベースに置いているのは、「遊ぶ」こと、「楽しむ」こと。なぜならそのベースがあった上で、欲求に従いながら人は成長していくと思うから。そうやって欲求が満たされることで、次の欲求が現れる。逆に言えば、最初に持った欲求が満たされなければ、次のステップにはいけないでしょうから。
 例えば、以前、モノをガチャガチャに散らかす利用者さんがうちにいたんです。その人の思いとしてはきっと、散らかして人を困らせてやろうというのではなく、単に散らかすことが自分にとって楽しいから。おそらく別の場所では抑圧されてきたものを散らかしたいという自分の本当の楽しみを、それが許される場所、すなわちうちで散らかすということだったと思うんです。こちらとしては禁止したり制限したりすると逆に止まらなくなるから、欲求を満たしてあげる必要があったんですよね。細かく言えば、ただ好きなようにさせるのではなく、「散らかすと他の人が来た時に危ないから、次からは辞めましょうね」という風にやんわりと抑制しながら見守るという感じでしたけど。私がそう接していたのは、自身のこれまでの経験を踏まえてもいずれは絶対おさまってくると思うからなんですよね。
 つまりは、自分を解放させてあげることですね。自分らしく、そのままでいいというように。
 その「遊ぶ」「楽しむ」を基本に置き、利用者さんたちが自分の潜在能力や感性を生かして作った作品を展示する、遊楽焼展(年に一度開催)や個展(随時開催)をうちでは開催しています。それに当たっては、彼らの作品を希少価値のある「障害を持った人の作品」ではなく、「一人の作家・アーティストとしての作品」として見てもらいたいという思いはありますね。そんな“個”に注目が集まるイベントが、彼らにとって自分の役割・存在価値を感じられる場であればいいと思うし、そういう場作りが私たちの仕事だと思っています。

私の原点
 そういう私の考えのルーツは大学時代にあると思います。高校の受験競争を経て、やっと解放されたという感覚が大学生の頃にはありましたから。その後結局のべ7年を過ごした大学時代に、旅というか、色んなところに行って遊んだのは大きいですね。とことん自分のやりたいことをやれば飽きてきて、働かねばという気持ちが自ずと湧いてくるという経験ができましたから。その気持ちっていうのは誰かに言われて抱いたものではなく、自分で納得して芽生えたたものだから強いですよね。そうやって、「欲求」の存在を知れたんですよ。
 その旅の中でも特に、インドのチベットの山奥での生活を経験できたのは大きかったですねぇ。当時の日本人とは全く対極的な生き方をしている人に出逢い、違った価値観の下での「豊かな」生活をしている人と触れ合うことができましたから。

確信をくれる共生園ばしょ
 その価値観を裏付けてくれて、毎年毎年確かなものだと示してくれるのが、ここ共生園なんです。利用者さんと付き合っていると、根源的なものを大切にするという価値観にますます確信が持てますから。
 振り返ってみて思うんですよね。「自分の感性・自分のやりたいなと思ったことに従って生きてきて良かったな」って。


 

<編集後記>
さくらんぼ共生園という空間は、時間の流れ方が違うのだ。
その緩やかさの中に身を置いた時、いつも僕はほっとする。

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