No.18 月山ポレポレファーム スタッフ 茂木篤さん

Story No.18 月山ポレポレファーム スタッフ 茂木篤さん

「好きなものは変わってないんですよね、子どもの頃から」

 

茂木篤さんProfile
1979年埼玉県生まれ。西川町弓張平在住。東京の大学に在学時は、探検部に所属。大学2 年の時、冬の知床の山に魅せられ、その山に登ることが目標となる。卒業後2~3年は、日雇い派遣の仕事やアルバイトをしながら登山に没頭。25歳の時、その目標を達成。それから約3年間東京で過ごし、2008年移住すると共に月山ポレポレファームのスタッフとして働き始め、今に至る。

 

僕の願い
   今、高知に住みたいんですよ。理由としては、やっぱり川が一番かなぁ。何と言っても、きれいで、あったかくて、魚が多いのが一番の魅力。泳いだり、魚を釣ったり捕まえたり、存分に遊べますからね。それに、ただ川を眺めているだけでも幸せですから。―――初めて高知(四万十川)に行ったのは、大学2年の夏。その年の春に探検部に入ってから初めての合宿で行った四万十川は、僕にとって理想的な場所でした。ほんと一日中遊んでいましたから、体がふやけてしまうんじゃないかっていうくらい。
   今、夏は仕事が忙しくて遊ぶ暇がないし、この辺の川は水が冷たいから泳ぐのには適していない。だから余計に高知に行きたくなるんです。無いものねだりではあるんですけどね。(笑)まぁでも、ここはここで、雪がたくさん降るおかげでスキーが長い期間できるという良さもありますからね。
  何にせよとにかく遊びたいんですよ、僕は。

理屈抜きに楽しいこと
 沢登り(川を辿りながら、山に登る登り方)をして渓流釣りをする。そして釣った魚や、採った山菜やきのこを集めてきた木で熾した焚き火で焼いて食べる。それが僕の好きな遊び方の一つです。
   沢登りだと、水とか薪、食料は現地で調達できるから、知識と能力さえあれば最低限のものだけ持っていけばいい。そんな風に自然の恩恵を享受できるのが沢登りの最大の魅力ですね。そういう遊びをすることに理由とか目的は存在していなくて。全部が好きで楽しいからやっているんです。何ていうか、どっぷり自然につかれるんですよ。それに山にいれば飽きないんです。絶えず何かをしているし、やることの幅が広くて自由度も高いですからね。
  その上で僕にとってすごく重要なのは、山の中で「泊まる」こと。というのも、自然の中で泊まればより深く知れるという感覚があるからなんですよ。だから、時間が許すのであれば1ヶ月間、いやそれ以上でも山の中で過ごしたい。
   大学での探検部時代は山の頂上まで登ったりもしました。だけど、頂上も含めて森林限界地点を超えると木も生えていないし生物もいなくなる。さみしいんですよね、そういう場所って。それよりは標高の低い沢付近の方が生物資源も豊かだし、色んなことができるから僕にとっては楽しかった。同じように、光がなくて生き物が少ない洞窟なんかも自分には合わなかったですね。
  やっぱり、僕は生き物が好きなんですよ。見ているだけで十分幸せですから。

幼い頃から変わらないもの
    振り返ってみると、物心ついた時から家の周りの田んぼの用水路とかで、魚釣りや虫取りはしょっちゅうしていましたね。捕る、採集するっていうことにものすごく情熱を傾ける子供だったんですよね、幼い頃の僕は。その対象は植物だったり、動物だったり。図鑑なんかもよく読みました。単純に好きだったから得意だったし、得意だったからもっと好きになったっていうことなんでしょうね。
  泳ぐことも昔から好きでした。小学校の頃通っていたスイミングスクールでの練習は嫌いでしたけどね。プールの中で同じところをただくるくる回っているだけの泳ぎはつまらなくて。やっぱり、川で魚を見たり捕ったりするために泳ぐ方が僕にとってはよっぽど楽しい。だけど近所に泳げるような川はなかったから、頻繁に泳ぐようになったのは中学生になってから、自分の自転車で遠くまで行けるようになってからのこと。僕の家から自転車で1時間くらい行ったところ(群馬県)に、ヤマメとかイワナがいるような渓流があって、友達とよく泳ぎに行っていましたね。
  その当時から遊び方はあんまり変わっていないんですよね、大人になった今でも。言ってみれば、そこから進歩していないわけですよ、全く。(笑)
  おそらく、幼い頃に遊んだ経験は僕にとっての大きな原体験。初めて釣りをした時、川で泳いだ時の記憶は今でも鮮やかに頭の中に残っていますから。

没頭した登山
   大学2年の冬、雪原を歩きに行って出逢った北海道の知床の山。あまりに真っ白できれいなその山を見た瞬間、そこに登ることが僕の目標になったんです。それ以降は、冬の知床の脊梁山脈を岬まで縦走する(尾根づたいに歩く)ことを夢見る日々でした。なぜそこまで惹かれたのかはわからないけれど、とにかく行きたかったんですよね。
  それから25歳でその目標を達成するまでの約5年間。後半の2~3年は120~30日は山に登っていたんじゃないでしょうか、ただ「知床の山を縦走する」という目的を達成するために。いわば、全てを登山に注ぎ込んでいるっていう状態だったわけです。
  もちろん、現実的に生活をしていくために日雇い派遣の仕事やアルバイトはしていました。だけど、目的を達成することしか頭になかった僕は、周囲からの誘いは一切断るというように人との関わりを完全に断ち切っていましたね。
  没頭している最中は、楽しかったし面白かったですよ。目標から遡って、練習計画書を作る。そして、振り返って自分の弱いところをその都度書き出していって、1つ1つしらみ潰しに克服していく。実際死ぬ危険があるから、自分が書き出してきたことが全てできるようになったという確信がないと怖くて踏み出せない。だから、色んなことを想定してその想定に耐えうる自分を作らないといけなくて。だけど、そうやって自分の成長を実感していく過程がものすごく面白かったし充実した時間だったんです。完全に自己満足の世界ではあるんですけど。
  独学で山に登っていたっていうのも、面白かった理由の1つだと思います。頼るのは自分の体験と本だけだったから、技術や知識を修得するのに多くの時間を費やしたし、効率は悪かった。もし山岳会とかに所属していれば、1年で目標達成できていたかもしれない。だけど、人を頼らなかったからこそより深く知れたし、考えることができましたね。
  そんなこんなで、目標を掲げてから約5年の歳月を経た2005年の春。25日分の食料と燃料を背負って縦走をスタートした僕は、約2週間かけてゴールとなる知床岬までたどり着きました。
  その時の達成感はほんとに大きかった・・・。 

場当たり的な僕
  だけど、達成感にしばし酔いしれているという訳にもいかなくなったんです。没頭している時は目的達成後のことを何も考えていなかったし、次に目指すものも自然と湧いてくるだろう、くらいに軽く考えていた。それに、周囲のことなんて全く気にならなかったんです。
 でも、目的を達成して、ふと冷静になって自分のこれまでの状況を客観的に捉えてみたら愕然としたんですよ。仕事や結婚をしている同級生たちとこれまでの自分、今の自分を比べた瞬間、「自分は一体何をやっていたのだろう」という問いが頭をもたげてきたんです。完全に浮世離れしていたな、と。
  それに加えて長年目指していた目標を達成した揺り戻しもあったのか、その後は呆けたようになって惰性で何となく目的のない生活を送っているっていう状態が3年くらい続いたんです。日雇い派遣という仕事においても、色んな仕事を経験できるという面白さはあったんですけど、だんだん底も見えてきて精神的に辛くなってきていて。「このままではいられない」という思いはあってそういう生活から抜け出したいのだけど、抜け出すキッカケも上手く掴めないという状況だった。そんな時期に、たまたま今の仕事場を紹介してもらって飛び込んだという感じでしょうか。場当たり的な生き方ですよね、ほんと。
  それにしても、金も目的もなくて東京で暮らすというのはほんと最低でしたよ。家も最低ランクのボロアパートでしたし。登山に没頭している時は、そんなことはてんで気にならなかったんですけどね。
 ・・・今考えたら就職という現実からの逃避だったのかな、とも思いますね。学生時代、就職活動をしてサラリーマンになるという、いわゆる「普通」の道を歩むことへの強烈な反発があった。就職課になんて行ったことがなかったし、就職する気なんてさらさらなくて。かと言って何かをやりたいというわけではなかったんです、登山は別として。だから、逃げ場としての目標設定だったというのも事実かもしれないですね。
  まぁ、ひねくれていたんですよ、僕は。

 そう言えば・・・
  知床の山を縦走中、登り始めて1週間くらい経ったときだったかな。絶え間なく海からの風が吹きつける稜線を歩いていた最中に見つけてしまったのは、強風が積もった雪を吹き飛ばしたおかげで少し顔を覗かせたコケモモの実。甘酸っぱくてとても美味しいその実を食べ出したら、もう止まらない。疲れもたまってきていた頃だったから、余計に美味しくて。夢中になって食べていましたね。そのまま2時間くらいは食べ続けていたかなぁ。はっと気づいたらみぞれ吹雪が起こっているというのっぴきならない状況に追い込まれていた。
  そんな状況下でまずしなければならなかったのは、テントを張る場所を探すこと。両側海に面している知床の山は、おおよそ標高800m(森林限界地点)以下の所まで下らないとテントは張れない。なぜなら、それ以上の所では風が強すぎて、テントが吹き飛ばされてしまうから。そして、下るにしても道標があるような山ではないから、頼れるのは持ってきた地図だけ。さらに悪いことに、降ってくるみぞれは僕の体にくっついてどんどん体温を奪っていく。だけど、とにかく歩くしかないから歩く。それでも、テントを張れそうな場所が全然見つからなくて。そうこうしているうちに、日も暮れてしまって辺りは暗くなってくる・・・。
   結局、20時すぎくらいまで歩いて、かろうじて風よけになりそうな約60センチ四方の岩を見つけて、強風と戦いながらも何とかその横にテントを張ることができました。あの時は死の危険を感じましたね、ほんとに。
  いやぁ、だけど、つくづく自分がバカだと思いますよ。その日の行動予定から考えると、そこでコケモモの実を食べている場合じゃないことは重々わかっていたはずなのに2時間も食べ続けていましたから。(笑)いくら美味しかったとはいえ。そういうところも、場当たり的ですよね。(笑)
  だけど、実際冬山というのはめちゃくちゃストイックな生活を強いられる場所だから、食べることはすごく重要なんです。限られた楽しみの一つですからね。

  それはさておき、そういう経緯で何も知らずにこっちに来たから、来た当初は「4年間ここに住み続けている」という未来なんて想像もしていなくて。だけど、ポレポレファームは働く上で自分を生かせる余地がいっぱいあったから良かったんです。オーナーを筆頭に、遊びに対して理解のある人たちが集まってきますしね。


 旅から得たもの
 「もはや、自分がスーツを着て会社員として働くことなど想像できない。じゃあこれから自分は何をして生きていくんだろう」ということをこっちに来てから遅まきながら考え始めた僕は、とりあえず色んなものを見てみようと旅をするようになりました。
   旅をする過程で訪れた土地の人と交流する機会が増えてくるうちに、人に対する興味が少しずつ湧いてきたんです。例えばヒッチハイクをすると、普通に生活していたら絶対出逢わない人と出逢える。「この人どうやって生活してるんだろう、生きてるんだろう?」って思うような人がいっぱいいて。そういう偶然に支配されている面白さがあった。
 そうやって色んな人と話をしているうちに、自分の考え方に偏りがなくなってきた気がします。それに、そう簡単に他人を否定しなくなりましたね。
 それにしても、旅先で出逢う人の多くはほんとに良くしてくれましたねー。だから、受け取るべき時期(若い時)に、色んなもの(・・)を受け取っておいた方がいいのかな、とは思ったりします。

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