#2 山竹商店 店主 後藤武郎さん

後藤武郎さん2#2   山竹商店 店主 後藤武郎さん

「いくつになっても衰えない好奇心とか探究心を持ち続けたい」

Profile
1967年西川町海味生まれ。主に酒類と食料品の販売を行う、山竹商店3代目店主。1人娘の父。東京の大学を卒業後、東京で4年、山形で3年のサラリーマン生活を経て、1998年、実家で経営する店の後を継ぐ。好きなものはトライアスロン、サーフィン、ヨガ、映画、コーラ、酒。

記事公開:2012-5-31

僕が店を継いだ理由
 ここを継ぐと決めたのは、10年前のこと。当時やりたいこともいっぱいあった僕がそういう選択をしたのは、自分の中に「長男」という縛りのようなものがあったからなんでしょうね。こういう小売業で、後を継いでいる人は周りにはいないけれど。親の方も後を継がせようとしないですし。
 やっぱり、これまでの日本が良すぎたんですよ。自分の親の時代は、考えなくても商品が売れたんですよね。お店を構えていれば、お客さんが来たんです。でも、世の中が活気づいていた時代だから、親が汗をかいて仕事をしていたというイメージはありました。1代目のじいちゃんなんかは、戦後裸一貫で店を作り、東根から商品をリヤカーにのせて引っ張ってきていましたから(約25キロ)。考えられないですよね。
 生活の一部になっていたそういう親の背中が、僕に「継がないといけない」という気持ちを抱かせたのかもしれません。それに、幸か不幸か、家の商売が嫌いなものではなかったんですよ。
 だけど、会社勤めをしている時は、「店を継がねば」という長男としての義務のようなものを感じていることが嫌でした。だから、僕が店を継ぐことは当然だと思っていた親に、「おれはお前を継ぐように育てた」と言われた時はカチンと来ましたね。手ばなしで継ぎたいっていうわけではなかったから、ものすごく葛藤はありましたよ。

信じていること
 実を言うと、この店は30年前までは映画館だったんです。(今もあえて、店の前に昔の映写機を置いています)全盛は1957年。テレビもなかったような娯楽の少ない時代には、映画の人気はすごかったみたいですよ。
 国道がまだ出来ていなかった頃。鉱山があったおかげで栄えていたこの町は人口も多く、電車も通っていて、店の前は商店街のメイン通りだったんです。当時、この店の近くに来れば生活に必要なものは何でもそろうという状態で。だから、河北町から嫁に来た母親の目に映ったここは、都会だったようですね。
 でも、それからお客さんの方の生活スタイルがどんどん変わっていく一方で、店が変わらなさすぎたんですよね、今の今まで。だからといって、僕は今の世の中に対して悲観的に考えているわけではないんです。ちゃんと努力している人は絶対生き残っていけると思うんです、願いも込めて。だから僕も、今一生懸命勉強しないといけない。まだ遅くはないな、と。家族を養っていかないといけないわけですし。

小売業として
 僕がやっている、モノを仕入れて売るという小売業においては、お客さんからお金をもらう対価としてのサービスというか感動を提供する必要があります。だから、1つの商品を売るにしても付加価値をつけて売るようにしていて。大手スーパーとかディスカウントストアと同じ土俵の上で戦ってもしょうがないですから。
 例えば、山竹のブランドのオリジナルのワインとかお酒なんかも出しているけれど、自分が美味しいとか楽しいと感じるものが、お客さんにも通じて喜びの声なんかを聞けたりすると、お金以上のものが得られるっていう感覚があるんですよ。そんな風に、僕はふつうの商品に命を吹き込むというか、ストーリー性という付加価値をつけて売ることを目指しています。
 今やりたいのは、一つ一つの商品の簡単な説明を書いたポップ作り。自分のこだわりのある商品を、お客さんに訴えたくて。例えば、すごく売れているCD屋さんにある店員さん手書きの独特のポップなんかは最高の売り方だと思うんです。たとえその場にいなかったとしても、店員さんの思いが伝わるんですよね。
 現在、ポップではないけれど、町内の人たち向けのチラシをたまに出しているんですよ。(ページ下部参照)これがけっこう評判良くて。だから、定期的に発行できるようにしていきたいですね。
 あとはやっぱり、遊び心がないと。例えば「コカコーラ早飲みセット」のような形で、既存の商品を生かすために面白おかしさを加えて売るんです。そうすることでお客さんとのコミュニケーションも生まれますしね。
 ABCですね。当たり前のことを、馬鹿みたいに、ちゃんとやる。アメリカ人によくいるような、とてつもなくくだらないことを大人が一生懸命やっているっていう感じが、僕は好きなんですよ。
 映画が好きだから、ゆくゆくは店の前で映画の上映会なんかもやってみたい。著作権の問題とかでけっこう難しそうですけど。それから、都会にあるようなオープ」」ンカフェもやりたい。そこで、西川町の特産品の月山自然水を使ってデロンギのコーヒーを売ったり。
 ・・・店の最終的な姿っていうのは、正直描けないというかわからないんです。でも、あるべき店の姿も時代に応じて変わってきますから。

伝えていきたいこと
 純粋にお酒は好きなんですよ。ほんとに好き。好きじゃないと、お客さんに気持ちを伝えられないですから。そんな僕が嬉しいのはお客さんに「おすすめは?」って聞かれた時。緊張もしますけど。そのためにも、お酒の背景というか文化に関しては興味があるし、普段から勉強しているつもりです。
 例えば、ロマネコンティという、高いものだと100万位するフランスのワインがあるんです。人口500人くらいしかいないロマネ村っていう片田舎で、年間6000本しか作られていないけれど、そこのブドウ畑には年間数万人のお客さんが来るみたいですね。だからそこの人たちは誇りがあるんだと思うんですよ。
 ワインって9割方素材で決まるんですね。日本のワインも最近、世界でも賞をとるようになってきたけれど、土づくりの面とかでもまだヨーロッパに追いついていないと思うんです。時が経たないとだめですから。でも、日本のワイン文化っていうのは今後楽しみなところだし、西川町にしても可能性を秘めていると思います。こういうことをお客さんにも伝えていきたいですね。
 FacebookやTwitter、ブログを生かしながら情報発信していかないといけないと思っています。実際、それで買いに来てくれるお客さんもいますから。
 僕が趣味とするトライアスロンの話題も書いているブログを見たお客さんの中には、山辺から走ってきてくれる人たち(約25キロ)なんかもいます。(笑)終点となるここで休んで、帰りは奥さんの乗って来た車に乗って帰るんです。
 去年は、ブログで近くのトラヤワインさんのぶどう畑の様子を追ってレポートしていたんです。ワインができるまで、というような形で。今年は、実際に自分も作業を手伝ってみようかなと思っていますね。

総合商社として
 でも、店にいて商品を売るだけが仕事じゃないんです。近所のじいちゃんばあちゃん宅に、豆腐一丁でも配達するっていうのも仕事の一つ。灯油とか生ビールの配達もやっているから、一人だと大変ですけどね。うちは基本的に、総合商社なんですよ。(笑)
 そういった地元を支えるやりがいとか使命があります。地域コミュニティや防犯、交流人口の増加…。そういう貢献の仕方もしていきたいですね。

僕にとってのトライアスロン
「かっこいいから」とトライアスロンを始めてから20年以上が経ちました。今や生活の一部ですね。ハワイのアイアンマンレースが発祥なんですけど、かっこいいし、精神的にも深いところがあるんですよ。
 年の始めに、その年のレースに向けて食事とか練習を順序立てて計画することが楽しくて。わくわくするんです。年やレースの内容によっても違ってくる計画を一生懸命練ることが楽しいんでしょうね。まして、トライアスロンは3種目あるからなおさらのこと。ハードなスポーツだから、にわかじゃできない。だから、ヨガでケアをして備える。ヨガは3年前くらいから始めたんですけど、自分の内面に帰るというか、見つめなおすことができる。自分の体の内側のケアする、体の芯から強くするという感じでしょうか。
 大切なのはバランスですよね。バランスを大事にしながら課題をこなしていく楽しさがトライアスロンにはある。それは生活面、仕事面においても同じことだと思います。

僕にとっての自然
 山育ちのくせに、山が苦手なんですよ。(笑)海とか島が好き。だから、店内の内装も海っぽくしています。店は、店主の個性ですから。
 こうやって、店内にサーフボードを飾っていますけど、サーフィンも好きなんですよ。サーフィンをやっていると、地球のエネルギーをものすごく感じるんです。人間って自然の一部だな、という感覚を受ける。僕はなんちゃってサーファーなんですけどね。(笑)でも、チャラチャラした雰囲気ではないことは確かです。
 トライアスロンも、自然を体感できる遊びの一つですし。道具として唯一自転車を使うけれど、自分の動力を活用して走ることによって、風とか季節を感じたりできますから。海ともつながっていますしね。
 「自分を自然の中の一部として位置づけたい」そんな気持ちがあるから、僕はそういう遊びが好きなのかもしれません。理屈じゃないのかもしれないですし。

僕にとっての遊び
 サラリーマンとは違って、こういう商売はオフがないんですよ。だから、仕事と遊びとのオンオフのスイッチの切り替えを素早くできるようにしないといけない。
 遊びは仕事への活力になりますね。自分が元気にならないと、人にも元気を与えられないですから。自分が満たされていると、お客さんに対しても笑顔で接することができますしね。

変わった僕
 ―――あれは、大学を卒業する前のこと。オーストラリアに行ってモーターバイクで1ヶ月半くらい1人旅をしたんです。基本的に、知らないところに行くのが好きなんですよ。でも、昔はほんとに弱虫小僧だった僕は、すぐ近くにある保育園にも行けずに泣いて帰ってきていたみたいです。だから、親が一番びっくりしていますよね。
 そんな風に僕を変えた大きなキッカケは、同級生90人の中学校から800人の高校に行って、多様な価値観に触れ、いろんな刺激を与えてもらったこと。周りに恵まれたんですよね。それからは、色んなことに興味を持ち、物おじせずに首を突っ込むことで、自分を変えられてきました。だから、いくつになっても衰えない好奇心とか探究心を持ち続けたいですね。
 「お坊っちゃん」とは、よく言われました。それなりに苦労はしてきたんですけど。だけどやっぱり、何不自由なく育てもらったんでしょうね。だけど、いい友達、厳しい友達に恵まれたおかげで、そういう状況に甘んじないでこられた自分は幸運でした。

これからの僕
 振り返ってみて、世間の大きな流れに対して反発したいっていう気持ちはあった僕も、結局は「右向け右」だったんでしょうね。
 だから、「せめて少しでも反発してみようかな」そんな気持ちになっている今日この頃です。自分の娘にもそう伝えていますしね。自分が信じた道を行けというように。人間って必ず最後は一人になりますから。そうなると、自分が今まで生きてきた過去を信じるしかないですからね。

 

[編集後記]
 「若さとは、心の若さだ。」そんなことを後藤さんは僕に教えてくれたような気がした。

 

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