No.21 月山愛好家(大井沢農作業受託組合) 澁谷昌邦さん

Story No.21 月山愛好家(大井沢農作業受託組合) 澁谷昌邦さん

 「人とは違う、存在でありたい」

澁谷昌邦さんbProfile
 1973年山形市生まれ。西川町大井沢在住。2008年、サラリーマン生活にピリオドを打ち、大井沢に移住。と共に、地元の農業生産法人(大井沢農作業受託組合)に就職。農業に従事しながら、会計など事務関係の仕事もこなす。現在、夏場(5-11月)は当法人、冬場(12-4月)は除雪ステーションで働く傍ら、趣味として写真を撮る。被写体は主に、月山の花や木、そして風景。2006年より、年に一度の写真展を開催。他にも、撮影した写真を掲載したカレンダー、ポストカードを自作している。(ポストカードは販売も行っている)

未知の自分との出逢い
  2012年秋。僕が趣味で撮っている写真の展示会が山形市内で開催されました。写真展を開催するのは、今年でもう7回目(7年目)。趣味として写真を撮り始めたのが8年前(2004年)だから、始めて間もない頃から開いているわけですよね、考えてみたら。今の自分が見て「こんな写真を撮っていたのか」という感じを受ける当初からは、お客さんの反応も変わってきました。まぁ縁といえば縁なんでしょうけど、思い切ってやってみてよかったですね。実際に人に見てもらう、さらされることによって何らかの反応があるし、色々教えてもらえましたから。
  例えば、お客さんの中には年配の方も多くて、自分ではもう月山に登ることができないという方もいらっしゃるんです。だから、「月山に登ったくらいの気持ちになれるような写真にしたい」という思いもありますよね。やっぱり、見てくれる人の存在は大きいですよ。
  だけど、以前は写真には全く興味がなかったんですよ。撮るといってもスナップ写真くらいのもので。
  転機はふいに訪れました。2003年12月。僕は新しく買ったカメラを片手に九州へと一人旅に出たんです。その旅から帰り、カメラに収めた写真を周りに見せた時の反応が、僕が写真にハマり、現在まで続く趣味となる大きなキッカケとなりました―――。
  被写体に花とか木を選ぶことは始めた頃と変わらず。そこは一貫しているんです。山に登るようになったのも、山の花とか木を写真に収めたいっていう思いがあったからなんですよ。だけど、もともと花とか木を見るのが取り立てて好きというわけではなかったから、写真を撮り始めたことでそういう風に変わってきたのかもしれませんね。何というか、すべてが連動している感じでしょうか。写真を好きになり、花とか木が好きになって、それから登山が好きになって、というように。
  他にも、「体を動かす仕事は、自分に合っている」と感じられる農業を始めたことで、「デスクワークの方が自分には向いている」とは思い込みだったと知りましたし。意外と、自分でも知らない自分に出逢うことって多いのかもしれませんね。

僕が山に登る理由(わけ)
  花を撮るのが好きとは言っても、売り物の花や庭で手入れされた花には興味が湧かないんです。もちろん、綺麗だとは思いますけど。
  僕はやっぱり、野の花、特に山に咲く花が好きなんですよ。例えば、シラネアオイ。植えられたものと自生しているものでは全然違いますよね。山に咲いた花の方が、断然色が濃くて綺麗ですから。
  それから、わざわざ時間をかけて山を登って行かないと見られないというのも、山の花の魅力の一つ。山で見るからこそいいと思うのかもしれませんしね。
  そんな彼らは誰も手をかけてくれない、要はかまってくれないのに、自分ひとりで咲いている。それでいて、被写体になった時にはきちんと絵になる。そこに惹かれるんですよ。何でしょう・・・、感情移入してしまうところもあるのかもしれないですね。
  そして、定かではないけれど、山の花が一番綺麗に咲いている時っていうのは一日しかないんですよ。「その時にそこに行かないと見られない花がそこで咲いている」動機としては、それで十分なんです。そんな花に出逢うために、僕は山に登っています。
  今、平日は仕事をしているから、山に登れるのはせいぜい週一回程度。チャンスは年に一度きりだから、その年に逃してしまうと、また来年までおあずけ。だからこそ、実際にそういう花に出逢えた時の喜びはひとしおなんです、その楽しみ、面白さを知ってしまってからは、山に登らずにはいられなくなってしまいましたね。だから今、年に20回以上は月山に登っています。

ここに魅せられた僕
   山の花以外にも、積もった雪の上で一枚の葉っぱも身にまとわず、裸を晒している木も僕が好きな光景の一つなんです。冬の厳しさが感じられるからいい。見通しもいいですしね。
 そんな状態が続く5月くらいまで雪の下でじっと春を待ち望む花たち、雪解けとともにみるみるうちに一斉に芽吹き、ようやく訪れた春を満喫しようと咲き誇る花たちがここにはいる。その溢れんばかりの生命力が生み出す花の色合いに感じる美しさ美しさゆえに、そんな光景に出逢える6月頃が一年のうちで一番好きな時季となりました。
 春の始め頃のそんな劇的な変化を始めとして、否応なしに四つの季節の存在を感じさせられる環境が側にあるから、僕はこの場所で暮らすことに決めたんですよね。

変わった僕
 30歳前後の頃から、行動の仕方とか考え方が変わってきたんですよ。具体的に言うと、それまで自分の中にあった「消費する喜び」が、「自分が主体となる喜び」に変わっていったんですよね。
 一つのキッカケは、色んな遊び方を楽しめるネイチャースキー。子供の頃から馴染み深かったアルペンスキー、要は「消費するだけのスキー」には正直飽きていた僕に、ネイチャースキーは自分が主体となって行動する喜びを教えてくれたんです。何というか、スキーの本質のようなものを感じましたしね。
 やっぱり、消費には必ず飽きが来る。そこは、山登りにおいても通じるところですね。
 それから、・・・思えば20代の頃に熱中したゲームにせよプラモデルにせよ、結局自己満足で終わってしまっていたんですよ。そんな僕に一味違った喜びを教えてくれたのが、九州の一人旅の最中に撮った写真を周りに見せた時の反応だったんですよね。

僕の性分 ~へそ曲がりな僕~
 僕は、子供の頃から自我は強かったかもしれません。「右に行けと言われたら、左に行きたい」というようなあまのじゃくなところがありました。(笑)高校を2年の夏に辞めた時にも、この気持ちは少なからず働いていたでしょうね。
 写真においてもそう。皆が写真を撮りに来るようなところには行きたくないんです。だから、仮に、今僕が撮っている風景をみんなが撮りに来れば、僕は違うものを撮るようになるのかもしれない。風景が好きなのと同時に、「人が撮らないものだから、撮りたい」そういう気持ちがあることも確かなんですね。
 「人と同じことをやりたくない」という思いは、普段はあまり意識しないけれど、どうやら僕の心の奥の方にどっかりと腰を据えているようです。

僕の性分 ~凝り性な僕~
 今ハマっている写真をはじめとして、凝り性なところが僕にはあるようです。
 写真の前に僕がハマっていたのは、プラモデル。というのも、作って揃える喜びが大きくて。でも完璧じゃないと嫌だから、出来が気に入らなければ同じものを買ってきて作り直したりしていました。妥協というか、割り切ることが苦手なんでしょうね。
 高校を中退したのもそんな僕の性分と無関係ではないでしょうね・・・。元来勉強が得意な方だった僕は、これと言った苦労をすることもなく県内でも有数の進学校に合格しました。だけど、そう世の中甘くはなかった。入学早々からすでに、学校で教わる勉強のレベルは、裏付けのない僕の学力で対応できる範疇を超えてしまったんです。それで勉強が面白くなくなった僕は、高校2年の夏、学校を辞めました。何と言うか、上手に折り合いをつけられなかったんでしょうね。「このまま勉強し続けて何になるんだろう?」「自分の人生は、自分で決めたい」背景にはそんな思いがあったのも事実。でも、結局は嫌なことから逃げたんですよ。まぁ子どもでしたよね、当時は。
 ここに来る前に4年間やっていたSE(システムエンジニア)の仕事でも、遺憾なく発揮されていたそんな僕の性分が一因となり、会社をドロップアウトしてしまったんです。今携わっている農業という仕事は、そんな僕に「割り切る」ということを教えてくれました。自然相手だから、人間の力ではどうにもならないところがこの仕事にはある。いい意味で、諦めがつきますから。
 ・・・SEの仕事を辞めた時は、自信を失くしていました。何と言っても、2度目のドロップアウトですから。高校中退後、「何でも途中で投げ出す人間ではありたくない」との思いを原動力に工場で7年間勤められたことは、僕に自信を与えてくれたんです。だけど、自分の頑張りが結果(昇給)に全く結びつかないその職場に限界を感じ、「人並みの学歴を身につけて、正社員と呼ばれる仕事に就きたい」と大検を受け、コンピューター関係の短大を卒業後に選んだ道がSEの仕事だった。その仕事を辞めたわけだから、ここで農業を始める時も、続けていける自信は正直なかったんですよ。


充実している今
 それまで全く農業なんて縁のない生活を送ってきた僕にとって、最初は何をしたらいいのかさえわからないという未知の世界だった農業という仕事。だけど、そんな僕に親方(受託組合代表理事・澁谷健悦さん)は「こいつを一人前の農業者にしてやろう」との親心からか、1年目から仕事(ほうれん草の栽培)を任せてくれました。実際、最初は周りの手助けなしには到底やれなかったですが。
 そんな中でも「3年は仕事を続けよう」と辛抱して続けてきた結果、自分で考えて仕事を組み立てられるようになってきた3年目くらいからは、農業はやりがいのある面白い仕事になりました。当初は試験的に栽培するというレベルだったほうれん草に関しても、今では看板商品になりつつありますし。それに「僕を見る周りの目が変わってきたのかな」と僕なりに感じる機会もちらほら出てきましたしね。
 だから、今思えばそうやって任せてもらえたことはすごくありがたかった。親方は、よくどこの馬の骨かもわからない僕を使ってくれ、育ててくれたと思います。「それに応えないといけないな」との気持ちは、やっぱりありますよね。アテにされれば嬉しいですし。
 そんな今、僕が欲しいのは一緒に働く若い世代。受託組合という組織としても必要ですしね。今、受託組合で働いている人たちのうち僕以外はみんな60歳以上。10年後どうなっているかわからないという、決して悠長に構えてはいられない現実はありますから。
 ・・・今の生活は充実しているし、幸せです。何と言っても、自分で納得できる生き方が出来ていますから。

[編集後記]
この取材を通して、僕が勝手に作り上げていた昌邦さんへの壁はみるみるうりに崩れ去り、その壁の向こうに広がっていた景色は、僕の心をしばらくの間温め続けた。
 「西川の人びと」への取材は、そんな風に時として思わぬごほうびを僕にくれる。

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