No.22 手打ちそば 杉乃屋 店主 大沼喜一さん

Story No.22  手打ちそば 杉乃屋 店主 大沼喜一さん

「僕は、職人ですから」

大沼喜一さんbProfile
1950年寒河江市幸生生まれ。西川町吉川在住。「手打ちそば 杉乃屋」店主。妻と共に店を営む。3人姉弟(姉2人)の末っ子として育つ。中学卒業後、5年間の大工見習い、親方への1年間のお礼奉公を経て、独立。2003年秋、杉乃屋の店舗兼自宅を建てたのを最後に、大工を卒業。30代半ばより寒河江そば工房にて始めた趣味のそば打ちが高じ、2003年10月「手打ちそば 杉乃屋」をオープン。現在、営業の傍ら、夏場は畑(7a)で野菜を作り(漬け物や天ぷらとして提供)、冬場は炭焼きをしている。

 

「手打ちそば屋」を営むということ
 この店をオープンしてから、もうすぐで10年が経とうとしています。あれは、大工仕事も下火になってきていた2000年代前半。「手打ちそばの店を出したい」との妻の提案に、25年来そば打ちを趣味としていた僕が乗っかり、この店を建て終えたと共に大工を卒業しました。
 そして、この店をオープンしたのが2003年10月のこと。開店当初は夜も営業していたんですけどね。夜にはあまりお客さんが来ないということもあって、1年後に辞めました。歳もとってきたのに一日中働いていたら、何の楽しみもない人生になってしまいますしね。自分の人生は、自分で作らないと。
 営業は昼だけと言えど、朝9時頃から昼まではずっと手打ち。機械を使わないから、歳をとると大変なんです。1回(2kg)そばを打つのに最低1時間半。だから、出来たとしても3回が限度。それを毎日こなさないといけないわけだから、並大抵のことではないですよね。体が丈夫じゃないと絶対にできない。やっぱり、「手打ちそば屋」を営んでいくためには、それだけの心構えや度胸は欠かせないんですよ。

大工だった僕
 小さい頃から手先が器用で針仕事が好きだった僕は、中学卒業後は仕立屋さんになりたいという将来を描いていました。そんな僕に、その後僕の親方となる大工さんは言ったんです。「そんな商売ダメだから、大工になれ。」って。その言葉に素直に従った僕は、その親方の家に住み込みで見習いを始めました。
 見習いをしていた5年の間、毎月の休みは2日っきり。仕事中もほとんど休憩をとらなかったですしね。食事とかを含めた身の回りの世話は親方の家の人がしてくれたおかげで、仕事には集中できましたけど。・・・それにしても、あれほど厳しい親方は当時でもそうはいなかったでしょうね。
 そんな見習い時代を過ごした僕が終盤の頃に抱くようになった「どんな仕事であれこなせる」という自負は、「他に行って、自分の腕を試したい」という気持ちを起こさせたんです。だから、親方への御礼奉公時代(見習い後の1年間)は、一刻も早く独立したくてたまらなかった。実際、御礼奉公を終えて別の現場に出た時、かつてより抱いていた自負は確信へと変わりましたから。
 そうやって大工人生をスタートさせた僕は、終始一貫して一匹狼であり、職人でした。独立後3、4年が過ぎてからは、同じく一匹狼の大工たちと5人くらいでグループを組んで、住宅メーカーから請け負った仕事をこなすようになりました。皆で1軒の家を建てる時もあれば、忙しくて1人1軒ずつ受け持つ時もありましたね。その仕事は手間働き、要は仕事が早かろうが遅かろうがもらえる給料は同じという賃金形態だったから、早く仕事を終わらせないと儲からない。だけど逆に、働けば働くほど儲かるというものだったから、バカみたいに働きましたよ。
 そんな風に会社から請け負った仕事をこなしているうちに信用を勝ち取ることができた僕は、徐々に個人のお客さんから仕事をもらえるようになってきました。「大工の仕事は、誰にも負けたくない」思えば、そんな気持ちが僕を突き動かしていましたね。
 当時、山形やその周辺における大工の世界は評判がすべてでした。要するに、大工はブランドというか、ランクを付けられたんです。だから「あの大工は一丁前の仕事をしない」という烙印を一度押されてしまうと終わりだった。そんな世界では、自信、腕、そして負けたくないという気持ちがないと生き残っていけなかったんですよ。生臭い世界でもありましたしね。見習い時代、「100%人を信用したら、バカを見る」と親方に諭されましたから。
 やっぱり、腕一本で生きていく大工という世界で僕が一匹狼としてやって来られたのは、厳しく仕込んでくれた親方のおかげですね。
 大工というのは専門職だけど、大工仕事で培った能力は他の仕事においても生かせるんですよ。というのも、一時期僕は缶詰工場で働いていたんです。その中で、皮が剥かれた桃を手のひらの上で均等に4つまたは6つ割に包丁で切るという仕事をした時に生きたのが、大工仕事で養った目とカンでした。それを始めとして、僕にとってそこでの仕事はちょろいもの。だから思うんですよね、「大工の仕事の基本は、技術を始めとして自分が生きていくための基本となるもの。それを100%マスターしている人は、どこに行っても仕事ができるんじゃないか」って。

僕のこだわり ~店の内装~
 「店の内装は和風・日本風にしたい」そんな思いを中心に据えてこのお店を建てました。だから、長持ちさせるためにも極力純粋な木を使い、障子や囲炉裏なども取り入れています。やっぱり、僕は昔の人間ですからね。
 ちなみに、この囲炉裏の上にある火棚は山に行って拾ってきた枝の皮をむいて作ったもの。自然のままだから太さも違うし、曲がったりしているけれどそれがいいんですよね。木の節をあえて表面に出しているのも、飽きが来ないようにするため。それから、戸の手かけをひょうたん型にしたりという風にアレンジを加えてもらったのも、一つの遊びなんですよね。
 要は、大きな囲炉裏がある木造りの家、いわゆる昔の家だった僕の実家をこのお店の空間を使って再現したかったんですよ。来た人がゆったりできるような空間を演出したかったんです。きっとそれには、僕自身が子どもの頃を過ごした家に対する懐かしさみたいなものも含まれているでしょうね。やっぱり、木に囲まれている空間っていうのはぬくもりがあって、気持ちが休まりますよね。だから、できるだけ木を目に見えるところに出しているんです。

(写真:杉乃屋店内の客席にある囲炉裏と、その上にある火棚)

僕のこだわり ~そば~
 そばにもこだわりはあります。
 まずは、製粉業者さんに特注している粉について。使っているのは、開店前に食べ比べをしてもらった時に評判の良かった、北海道産の「ぼたん」という品種です。そのぼたんそばの実を3回に分けて、粉を挽いてもらっています。一番固い胚芽の部分を挽いた打ち粉となる一番粉、そして二番粉、それから栄養があって香りの強い皮の部分を挽いた三番粉。こんな小さなそばの実だけど、美味いところとそうでないところ、ちゃんとあるんですよね。その粉に加えて、そばの実のカラも少し混ぜているから、黒いそばに仕上がるんです。というのも、カラが含まれていると、噛み切りやすくなるんですよ。粉だけだと歯ごたえがありすぎて。
 次に、そば打ちの際に使う水に関して。使っている水は、浄水器を通した水を冷蔵庫で冷やしたもの。ぬるい水だと早くこねられるんですけど、粉の一粒一粒に均等に水分が行き渡らないんです。
 そして、妻が担当するつゆについて。醤油とみりんと砂糖を混ぜて半年間寝かせた「返し」に、かつお節からとったスープを混ぜる。それでまた、一週間寝かせる。手間がかかっているんですよ。
 それから、あくまでも粉は生き物。僅かな水量の違いで出来が全然違ってくるから、同じ量のそば粉に対して混ぜる水の量も、日によって異なってくるんです。だから、店をやって毎日そば打ちをしていたとしても、25年間そばを打ってきたとしても「これは上手くできた!」というものはなかなかないんですよね。そば打ちというのは、それだけ難しい。そして、日本そばというものはそのくらい微妙で繊細な食べ物なんですよ。だから、そばにせよつゆにせよ、レシピを人に教えたところで絶対に僕が作ったものと同じものはできないでしょうね。・・・そばのことなら、いくらでも話していられる。
 ―――好きだったそばを「自分で作って食べたい」とそば打ちを始め、経験を重ねていくうちに、出前そば教室の講師として呼ばれるようになった僕の心の奥底からそば屋を出したいという妻の提案が呼び覚ましてくれたのは、かつて大工見習いの頃に抱いた「どの程度自分の力が世間で通用するのか試したい」との思いであり、若かりし頃の“自分自身”でもあったのかもしれません。
 きっと、生来の負けず嫌いのおかげで、この仕事もできているんでしょうね。やっぱり、僕は職人ですから。

 

[編集後記]
「趣味で始め、独学でマスターしたそば打ちの技を生かし、大工を辞めてそばの店をやっています」ふと耳にしたそんな自己紹介だけをたよりに「杉乃屋」を訪れた僕。店に入り、頼んだそば(鴨つけめん)を一口食べた時、僕は自分の直感を少し誇りに思えた。

手打ちそば 杉乃屋  TEL (0237)74-5078    西川町吉川1573
    営業時間:11時~14時(夜は予約要) 定休日:毎週水曜日

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