ライフストーリー

公開日 2016.4.12

Story

「人が生きていくうえで一番必要なのは、希望だと思うんです」

NPO法人スマイルスタイル 事務局長 古市 邦人さん

Profile

1986年生。京都府出身。立命館大学では足つぼマッサージサークルに所属、1回生の秋に代表を任される。卒業前には、ヒッチハイクによるラオス縦断、京都の四条大橋の路傍にて無料肩たたき1000回プロジェクトを実行。新卒で就職した大手教育企業にて3年間勤めたのち、2013年8月、NPO法人スマイルスタイル(以下、スマスタ)に就職、若者の就労支援に関わるようになる。2015年より、大阪府若者サポートステーション働きたい!ワカモノ人生相談所 in 奈良にて進行中のプロジェクト運営を担っている。その傍ら、旅する屋台、釜ヶ崎での炊き出しなどの活動をおこなっている。Facebook
※ 約12,000字

キャリアカウンセリングと出会って

「チェックインをしましょう」

「働く」「仕事」にまつわる情報発信基地として機能させつつ、若者の就労支援をおこなう施設ハローライフに、若者サポートステーション、人生相談所。それら三拠点で運営を任されている古市がリード役を担うスタッフとのミーティングはいつも、合図のようなその言葉から始まる。

古市の言う「チェックイン」とは参加者ひとりあたり10~30秒程度、今の気持ちを話してもらうために用意した時間のことである。しんどい、気になっていることが頭から離れない、正直気持ちが乗っていない……。ボジティブ、ネガティブを問わず、すなおな感情を出すよう古市は参加者に促している。
「キャリアカウンセリングで学んだことを通して、人の本音というか感情を取り扱っていくとうまくいくことがだんだんわかってきた。それは、僕の人生においてすごく大きな変化なんです」

若者の就労支援に関わる上での専門性を得るため、古市がキャリアカウンセリングの講座に通い始めたのは2015年4月のことだ。スマスタにジョインしてから1年半ほどの間は、専門的な知識をあえて持たず就労支援に関わっていた。

そもそも、想いを持ったスタッフが親身になって伴走型の就労支援をしていこうとする姿勢が、20代~30代の若い世代によって組織されたスマスタの売りでもあった。ただその姿勢は、専門家による支援を否定するものではなく、専門性を持つ者の支援と持たない者の支援、それぞれによさがある、という考えを基底に持つものだった。

相談があって来所した若者から聞いた話をもとに計画を立て、おおむね2週間ペースで定期的に来てもらう、というのが古市をはじめとしたメンバーの基本方針だった。古市は、事前に調べておいたさまざまな情報を相手に悩みに応じて提供していく、というキャリアアドバイスを主として若者の支援にあたっていた。そんななか、キャリアカウンセリングから得た学びは、支援の幅を広げるのに大いに役立ったのだ。
「まず学んだのは、キャリアカウンセリングとキャリアアドバイスはまるっきり別物だということ。「答えはその人のなかにある」という前提に立って進めるキャリアカウンセリングでは、その人が何をやりたくて、どんな過去があって、どんな感情が起こって、なぜそんな感情が動いたか……ということを聞きながら、その人にとって一番大切なものを一緒に探し、それを言葉にする手伝いをしている感じです。

たとえば話している最中、気づきを得たりして、本人がハッとする瞬間があるんです。あとはその人が自主的に動いていくから、僕は何もしなくてよくなる。実際、それ以降、ここに来なくなる人もいますけど、それはいいことなんですよね。結局、外にいる僕が伝える言葉は、表面的なことでしかないんです」

1時間の面談のうち、さいしょの30~40分は相手の話を徹底的に聞く時間とし、残りの時間でストーリーを編み出していくようにした。参考にしたのは、ナラティブ・キャリアカウンセリングという新しい手法だ。
「小さなストーリー、一見意味のないようなストーリーをつなげてあげて、ひとつの物語にしてあげる。そして「これを守ることを大事にしながら就活していきなよ」というように、その人がいい予感を感じられるストーリーを返してあげる。すると、希望が生まれて歩き始められるんです」

求人情報やカウンセリング、イベントなど、いろいろな角度から就労支援を進めているハローライフの商品はサービス自体じゃなくてストーリー。人はストーリーがないと歩み方がわからないし、歩き出せない。だとすれば、相談者にいい予感を運んであげるストーリーを一緒に作っていくことが、ハローライフのすべきことではないのか――。
「ハローライフでの仕事を通じて学んだのは、「人が生きていくうえで一番大切なものを丁寧に扱っていく」こと。専門家ではない人が関わる就労支援にも価値があるという考えは変わっていないけれど、気持ちを置いてけぼりにした状態で物事を進めても全然うまくいかないことは突破口を見つけるまでの間に痛感しましたから。それは就労相談だけではなく、マネジメント、自身の生き方にも通じるところですね」

 

作りたいのは「いい出会い」

「人はいい出会い方をすると、いい関係性が築ける」古市が人生をかけて証明したい仮説である。
「僕の好きな映画に『ペイ・フォワード』という作品があります。pay it forward とは、直訳すれば恩送り。もらった恩を次の人に送るという意味です。

映画の主人公・トレバーは(実質的な)母子家庭で育った11歳の男の子。いじめられっ子でもある彼は世の中に絶望していて、作品の冒頭でも「世の中はクソだ」と言う。でも、いろんな経験をするうちに考えは変わっていき、終盤では「ほんとうは、世界は思ったほどクソじゃないかもしれない」と言う、と記憶しています。

彼の場合、はじめ社会と悪い出会い方をしていたわけです。だから社会と悪い関係性しか築けなかった。でも、いい出会い方ができれば、いい関係性が築けるんです。

ここに相談に来る人にも近いものがあります。たとえば社会人生活をはじめた職場で、怒声を浴びせられつづけた結果、うつになり、働くことが怖くなった人は、働くことと悪い出会い方をしたということ。たったひとつでもいい、「もしかしたら悪いことばかりじゃないかもしれない」と思える出来事がその人には必要なんです」

連なる記憶として思い出すのは、大学休学中に半年間滞在したオーストラリアでの経験だ。懐に余裕はなかったためフラットシェアをしていたマンションは、韓国人6人とチェコ人を合わせた計8人という大所帯。すし詰め状態になりながら生活する日々だった。

そこで古市が親しくなったのが韓国の人たちだ。酒を浴びせるように飲ませてくるものの、貧乏ながらにご馳走してくれたりするなど、友達と呼べるような関係性を築くことができたのである。

しかし帰国後、おのずと韓国にまつわる情報が目につくなかで気づいたのは、韓国を嫌う日本人が多いことだった。情報が先行しているせいか、韓国人に会って話したことのない人が多いことにも気がついた。

「「韓国人の○○が嫌い」ならいいけど、「韓国人」というカテゴリーでくくるのはおかしい。でももし、ひとりでも韓国人の友達ができれば、彼らは批判したり嫌ったりしなくなるはず。彼らは悪い出会い方をしているんです」

古市は2010年から大阪の釜ヶ崎にて、ボランティアによるホームレスへの炊き出し、肩たたきを毎月おこなっている。一般参加の学生や社会人など20〜40名くらいでおこなうのが通例である。
「学生の中には、親から「釜ヶ崎に行ったら危険だよ」と言い聞かされ続けてきたからか、「釜ヶ崎にいる人たちは危険」みたく、カテゴライズして見ちゃう人もいる。でも、一日、ホームレスの人たちと接してみると、「普通の人が多いんだなと思いました」「怠け者って聞いてたんですけど、全然そんなことなかったです」と言ってくれたりするんです。「ホームレス」「釜ヶ崎の人」とひとくくりにして見なくなっていくんですね。

それもひとりの力のすごさなんです。たった一人、ホームレスのいいおっちゃんと出会うだけで、ホームレス全体のイメージが変わる。

同じように「世の中はくそったれ」と思っている人でも、たった一人、何かしら希望を感じさせるような人が現れたり、出来事に出会ったりするだけで、人生は一気に好転していく。そういう機会や場を作ることが、人生をかけて取り組みたいミッションなんです」

 

たったひとりでも

「マッサージはコミュニケーションツールとしてどこまで力を発揮するのかを追い求めた学生時代だったと思うんです」

立命館大学入学後、古市はそれまで関心のかの字も向けたことがない足つぼマッサージサークルに所属する。入って間もない頃に届いた「マッサージをコミュニケーションツールと捉えろ。20分間足を揉む中で相手と向き合うから、その出会いを楽しめ」という代表の力強いメッセージは、ずっと抱えていた人付き合いへの苦手意識を忘れさせたのである。

初対面の人と共有する20分間、さいしょは何を話せばいいのかわからなかった。だが回数を重ねるにつれ、苦手意識はやわらいでいった。代表を任せられた1年の秋からは、リラクゼーションマッサージの店でアルバイトとして働くようにもなる。大学生の素人グループにおいて、代表くらいは専門性を持たないとみんなを守れない、という責任感とも使命感ともつかぬ思いがあったからだ。

マッサージによって得られた最大の恩恵は人との出会いだった。ヒッチハイクをした人や、大学を休学してアジアを旅行した人、カレーの移動販売をしながら暮らすすてきな家族……。さまざまな人との出会いが育んだ、まだ見ぬ世界を自ら体験したいとの思いは古市を動かしていく。

バイクで日本縦断しながら、駅前で足つぼマッサージ店を開くなど、出会った人にマッサージをしてまわったのは07年のこと。休学期間中には、オーストラリアへの半年間の滞在、東南アジアを3、4ヶ月間かけて周る旅も経験した。マッサージを交換条件に宿泊をさせてもらったり、車に乗せてもらったりしながら、ラオスを縦断したこともある。

自分だけこんな楽しい思いをしているのはよくない、という思いが芽生えてきたことを機に、足ツボから肩たたきに転向したのは09年のこと。スキルを要する足ツボは限られた人しかできないけれど、肩たたきなら誰でもできる、と考えたからである。

とはいえマッサージや肩たたきを通したコミュニケーションでは、せいぜい自分が出会う数百人どまりである。もっと広げられる方法はないだろうか――。模索していた古市は、肩たたき券を1000枚配るというプロジェクトを企画する。道端で通行人に無料で肩たたきをする代わりに「僕にお金は(払わなくて)いいので、家に帰ってから誰かに同じことをしてくれませんか」と伝えて肩たたき券を渡す、というのが企画の概要である。恩送りの発想はむろん『ペイ・フォワード』から得たものだ。

開催地は、京都の街中にある観光客で賑わう四条大橋に設定した。大学卒業を3、4ヶ月後に控えた古市にとって、学生時代の集大成と位置づけたプロジェクトでもあった。

開催初日はクリスマスイブだった。13時ごろ、路上詩人や似顔絵描きなど、路上を店代わりとして使っている人たちと並ぶようにして、古市はパイプ椅子を設置。「肩たたきします」と記した看板を掲げ、来客を待った。

だが、無情にも何千人という人々が自分を「無視」して通り過ぎていくのだ。「無視」がもたらす社会から疎外されているような感覚は、ただでさえおじけづいている古市の心に波状攻撃を加えていった。その日、つらさに耐えきれなかった古市は、逃げるようにして現場を後にしている。

それでも古市はくじけなかった。なりを潜めぬ恐怖心に胸を覆われつつ、翌日もふたたび四条大橋へと出かけていった。怯えながら立っているという自覚もあったが、“舞台”には上がっていた。しかし足を止める者は誰ひとりとして現れぬまま、時間だけが刻一刻と過ぎていく。反応してくれる人といえば、「何あれー」と笑いながら写メを撮影する女子大生グループと思しき人たちくらい。無視の矢を浴びつづける中、飛んできた弾丸は古市をさらに追い詰めていった。

やっぱりダメだ……。肩を落としながら荷物をまとめているとき、ふと「何やってんの?」と声がかかった。

顔を上げると、声の主は隣にいる路上詩人だった。古市が思いを打ち明けると、彼女は言った。
「いいね、わたしの肩をたたいてよ」

肩たたきをはじめると、彼女はふたたび口を開いた。
「肩たたきは気持ちいいね。プッシュくん(古市のあだな)、代わってあげるよ」

その後、鴨川を前に「いいでしょう?」「いいですね」という何気ないやりとりを交わしながら、古市は自身の存在を承認されたような安堵感に浸っていた。

結局、3ヶ月後、目標としていた1000人は達成した。だが古市の関心は達成感とは別のところにあった。
「そのときに整理できていたかどうかはわからないけれど、最初は1000という数字のインパクトを求めて、目標を設定したわけです。でも結局、僕の心に残ったのは、ひとりのすごさだった。

路上で無視されつづけるのって、すごくしんどいんですよね。自身、もともとメンタルは強くないので、2時間立っているだけですら、半端ない疲労感を感じるわけで。

でも、2日目を終えて打ちひしがれているときに、路上詩人の人が何千人分の無視をチャラにしてくれた。翌日も続けられたのは彼女の存在あってこそ。たとえまた何千人に無視されつづけても、あの嬉しさをいつか味わえるんだったら大丈夫だろう。3日目以降はそんな希望がたえず心のどこかにあったから、当初の目標を達成できたんです」