No.24  農家  鈴木真一郎さん

Story No.24  農家  鈴木真一郎さん

「農業を通してを通して感じられる、生きていることへの実感や喜びを、自分の姿を通して伝えていきたい」

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1974年生まれ。神奈川県横浜市出身。2002年秋より、西川町大井沢在住。仙台の大学では、ワンダーフォーゲル部、フィールドワークを主な活動とする地域研究ゼミに所属。大学を卒業後、長野の旅館、新潟の料理屋での勤務を経て、2002年4月より月山ポレポレファームにて住み込みで半年間働く。その後、NPO法人エコプロのスタッフ、約5年間の山岳ガイドも経験。現在は、農業に従事しながらも新たな仕事の創造に取り組んでいる。2004年、結婚。現在、妻と子供4人の6人家族。  写真:勝河泰知


僕の原点と大井沢
 「このままでは、自然と共に生きてきた人々の中で育まれ、脈々と受け継がれてきた生活や文化が確実に途絶えてしまう」2002年、この町に移住してきた年のこと。ふと立ち止まってこれまでの自分を振り返っていた時、僕の胸中に蘇ってきたのは自分の足で聞き取り調査をして回った学生時代に感じた危機感でした―――。
 学生時代、「フィールドワークを基に地域研究を進めていく」というスタンスのゼミの研究で栗駒町(現・栗駒市)を中心とした地域を周り色々と調査した中で気づき、興味が湧いたのは「栗駒山麓に暮らす人びとの生活や文化はその地域ごとに個性があり、栗駒山と深い関わりがある」ということ。そうして徐々に“人と里山との関わり”に惹かれていった僕は、卒業論文のテーマとしてもそれを選んだんです。卒業後、長野の旅館で働いている時。特に、調理場に入ってからは「料理を身につける」ことにまっしぐらだったおかげで、学生時代に抱いた危機感のことなんて完全に頭から抜け落ちているという状態でしたけど。)
 そして、記憶の中から蘇ってきた危機感と共に湧き上がってきたのは「地域独自の生活や文化を受け継いでいきたい」という思いだったんです。
 ―――「近くでスキーができる場所に行きたい、親元から離れて生活したい」と入学したのは、仙台の大学でした。だけど、縁があって入った部活はワンダーフォーゲル部。それまではあまり馴染みが無かった登山も、やってみると面白くて。そうして山登りをする中で、「山に近いところで暮らしたい」という漠然とした夢を持つようになっていましたね。
 「山小屋を経営する」という目標を掲げていた大学4年の僕が「そのためにまずは料理を勉強しよう」と選んだ卒業後の進路は旅館への就職でした。だけど、働き始めて3年弱が経った2001年の春。旅館の女将さんから優しく告げられた「あなたはあなたの道を歩みなさい」との言葉は、折り合いの悪かった親方からの事実上のクビ宣告でした。
 その後、新潟の料理屋で働きながらも「料理の道を続けるべきか、他の道を探すべきか」という逡巡の中にいた僕は、原点に立ち戻ってみようと大学の後輩たちのフィールドワークに混ざってみたんですね。そのフィールドワークの調査対象となっていた場所が、大井沢を含めた西川町だったんです。
 実際、受け継いでいくという思いを形にするためなら、何もここでなくても良かったはず…。だから、いくつか移住先の候補はあったんです。そんな中で最終的に決め手となったのは、何度か後輩と一緒にフィールドワークで訪れた時に感じたオープンで受け入れてくれそうな雰囲気と、「東北の山の近くに住みたい」という学生時代から抱いていた僕の夢を叶えてくれる、北は月山、南は朝日連峰を臨む大井沢のロケーション。それから、月山を前面に押し出している町のホームページにもグッときたんですよ。そこに掲載されていた月山ポレポレファームの奥山悌二さんの言葉や、エコプロや月山朝日ガイド協会という存在からも「より自然に近い暮らしができるいい場所だ」というメッセージが伝わってきて。
 そうして2002年4月。町役場から紹介された月山ポレポレファームにて住み込みで働き始め、同年11月には紹介してもらった大井沢の空き家に移り住みました。
 「地域独自の生活や文化を受け継いでいきたい」僕の原点でもある危機感から生まれたそんな思いを形にできそうな場所が、大井沢だった・・・とは実は後付けの理屈でもあって。ホームページを一通り見終えた僕の直感が、「ここに住むしかない」と言っていたんですよね。
 さらに少し遡れば、僕が移住先を探していた頃に「スローライフ」「スローフード」というフレーズに代表されるような“スロー”という言葉に偶然出逢ったんです。その言葉を耳にした時にはたらいた直感は、僕に行動を起こさせるに十分なものでした。その後、山形の高畠町で有機農業を実践している方と会ったことで、自分の方向性に自信を深められましたしね。そんな時に出逢ったのが、西川町のホームページだったんですよ。ほんと、タイムリーでしたよね。

今後の目標
 「食べ物を作る・使う(調理する)・作る過程を伝える(農業体験を提供する)」僕の今後の目標はこれらを軸とした仕事づくりです。
 これらのテーマを実践に移す初めての試みとなった今年。作るという点ではナスやそば、かぼちゃ、枝豆など作ったものが売れたこと。使うという点では10月後半にあった大井沢きのこまつりでそばを調理してお客さんに提供できたこと。そして、作る過程を伝えるという点では、民宿から中学生の自然体験学習での指導を委託されたこと。それぞれの分野で来年以降につながる結果を残せたのはすごく大きい。あとは、どう収入を得るための仕事に結びつけていくかなんですよね。
 春から秋はこういう形で収入を得る一方で、冬は冬にできる仕事をすればいい。約半年間、雪が地面を覆っている大井沢のような地域では、収入を得る術はいくつかあった方がいいんです。だから、3カ月程、蔵王のスキー場で子どもたち向けのスキースクールのインストラクターとして働かせてもらった去年(2011年)の冬のような仕事のしかたは一つの理想形でしたね。
 今、すごく充実しています。自分で立てた目標を達成するために計画を練って、その計画を一つひとつ着実に実行に移せているから。だけど、僕がそうできるのも家族の支えがあってこそ。だから、何としても結果を残さないといけないんですよ。

僕の生き方
 「何をフラフラしているんだ」「一貫性、方向性がない」というようなことを周囲から言われることもあります。大井沢に来てからも仕事を何度か変えてきましたから。料理人、山岳ガイド、農業。確かに、表面的に見れば一貫していないかもしれない。だけど、それらの仕事は全て「自然と共に生きる」そんなビジョンを実現するための手段なんです。だから、僕の中ではブレているつもりなんて全然なくて。ただ、そういう根っこの部分を周りの人に上手く言葉で伝えられていないんですよね。
 ・・・僕は思うんです。僕らが今直面している社会状況は「将来に対する安心はありえない。何がどう変わるかわからないから、これでいけば絶対大丈夫っていう正解みたいなものはない」ものだって。だから、自分の足で歩んでいくしか方法はないんだと。それを実践しているポレポレの奥山さんや、エコプロの白田さんは身近にいる僕のお手本なんです。
 「おまえは確かに一般社会で見れば経済的に自立していないし、社会人としてどうなのかって見られるだろうけど、おれはそういうふうに見ていない。精神的には自立していると思うから、おれはおまえを応援したいし、こうして会いに来ている。」最近、とある知人が僕に言ってくれたことです。山岳ガイドをしている時にも、同じように僕のことを応援してくれるお客さんがいました。
 決して僕は演技したり、飾ったりしているわけではないんです。だけど、そういうふうに応援してくれる人が少なからずいることはやっぱりうれしいし、自分の生き方が間違っていないということだと思っています。自分に正直に真面目に生きていれば活路は開けるはずだと信じたいですね。
 ・・・これまで、色んな所に勤めてきてわかったことがあるんです。それは、「自分」を殺せないということ。だからこそ、自分の信念をこれからも貫いていきたいですね。

個性的な僕
 ―――どうやら僕は、小さい頃からそういう強烈な自我を持ち合わせていたようです。
 小学校低学年の頃。当時の担任の先生いわく、僕が図工の時間に作った作品の作風は、周囲とは一線を画した独自の世界観を象徴するものだったらしくて。他の科目においても、教科書通りのやり方をするのは嫌で、自分で方法を編み出して形にしていたようですし。それに、当時爆発的な人気を誇っていたファミコンに夢中になる周囲を横目に、一人で小川に行ってザリガニを捕っているような子供で。親からは、例えばバイクのような人工的なものには全く興味を示さなかったと聞きました。思い返せば、昔から今まで、“自然”という路線から逸れたことはほとんどなかったかもしれません。
 そんな子供時代を送っていた僕だったから、周囲に理解されることは少なかった。かと言って、理解されないことを恐れるような節はあまりなかったですけど。例えば、私立の中高一貫校に通っていた時のこと。私立大の経済学部に進学し、いい会社に就職するという将来を描いていた周囲からは、学校の先生になりたいと話す僕のことは理解されず。そして、大学受験が近づき、受験熱が高まっていく中で、より偏差値が高い大学を目指していた周囲からは、地方の大学に進学したかった僕のことはこれまた理解されず。さりとて、自分の考えは曲げなかったですが。
 ・・・振り返ってみて、価値観が合わなかった周囲とは終始足の向く方向が違ったように思います。多数派がやることには興味が湧かないというところもありましたしね。そうそう、中学校時代、社会科の先生にこんなことを言われたんです。「お前は人より10年早い感覚を持っているから、今は理解されなくともいずれ理解される日は来る」って。現に、今の僕はそう思って日々を過ごしています。まぁでも、先のことはわからないですけどね。

僕が伝えたいこと
 利便性や効率性ばかりが重視される社会になってきたと同時に、かつては当たり前のものであったはずの自然と人との関わりがどんどん薄れていっている今。「 “失われてしまったもの、失われつつあるもの”にこそ価値がある」そんなことを僕は自分の生きる姿を通して伝えていきたいんです。その一つの例が、手作業で食べ物を作ること。だから今年、極力機械の使用を控えた作り方で製品となるまでこぎつけられたそば作りなんかは僕が目指している一つの理想形なんですよ。
 ・・・やっぱり僕は「人に自分の思いを伝えたい」っていう気持ちがすごく強いんでしょうね。実を言うと、大学3年くらいまで、僕は「学校の先生になりたい」という夢を持ち続けていました。在学中に教員免許はとったし、卒業後は横浜の母校の先生になりたくて。だけど、いざ教育実習をしてみると、学校や科目といった枠の中で勉強を教えるということが自分にはしっくりこなかった。それで気づいたんですよね「学校の授業では教えられないことを僕は子どもたちに教えたいんだな」って。例えば、昔の慣習でもあった手で行う農作業を体験することは、乖離してしまっている自然と人間の生活を元に戻していくための1つの手段だと思うんです。
 スキースクールにおいても、それは同じこと。スキーの技術以上のことを、僕は子どもたちに伝えたいんですよ。彼らにはこれから先、「自然との関わりの中で暮らしている」ということを頭の片隅に置いて生活していってほしいんですよね。
 僕は、農業という切り口から、人と自然、人と食のつながりを少しずつでも取り戻していきたい。具体的に言えば、土に触れながら手で作った食べ物を食べるという喜びを他の人にも感じてほしいし、自分自身でも肌で感じながら生きていきたい。そういう思いを、僕はこれから形にしていきます。

 

[編集後記]
「生徒たちの前に立った鈴木さんは、人が変わったんです。“先生”になっていたんですよ。彼らと同じ目線に立った、わかりやすく丁寧な教え方だったから、生徒たちに慕われていましたね。」と話すのは、自然体験学習に来た中学生に鈴木さんが指導している様子を映像で撮影していた、映像作家の勝河泰知さん。
 社会科の先生の言葉は、手探りで生きている僕の未来をもほんのりと照らしてくれた。

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