#99 シューズミニッシュ 生産管理部 デリバリー担当 小峰 嘉人さん


胸にあるしこり
 小峰は近畿大学を卒業した後、1年間のフリーター生活を経て、辻学園栄養専門学校に入学している。同校で栄養士の資格を取得した小峰が、新卒で給食会社に就職したのは25歳のときだ。
 入社後数ヶ月は落ち着いて仕事ができていたものの、関西最大規模の病院に配属されたことをきっかけに、小峰の社会人生活に不穏な空気が忍び寄っていく。その病院と以前契約していた給食会社が働いていたスタッフもろとも引き上げたため、人が足りずまともな仕事ができない、という不測の事態に巻き込まれてしまったのだ。
 慢性的な人手不足の中、夜中の1時頃に退社、1~2時間ほど睡眠をとって、まだ夜も明けない5時頃に出社し、仕事にとりかかる日々がはじまった。半分寝ているような状態で片道30分の道のりを自転車通勤していたさなか、車道と歩道を隔てる植え込みに突っ込んで目を覚ましたこともある。
 流動食など入院患者の朝昼晩の食事づくりが小峰らの仕事だった。しかしそんな労働環境では、嚥下困難の人やほぼ寝たきりの人、咬合力が乏しい人、個々に合わせた食事を提供するという「あるべき姿」をなぞれようはずもない。ノルマをこなすような「作業」のなかに、仕事が楽しい、食事を楽しんでもらおうという感覚など入り込む隙もなかった。
 やがて溜まっていたストレスが臨界点に達したのか、寝不足や過労がたたって身体が追いつかなくなったのかは定かではない。そんな生活が1ヶ月ほど続いたある日の早朝、布団から起き上がろうとした小峰を異変が襲う。身体が硬直して首を持ち上げることすらままならなくなったのだ。すると、ほどなくして涙がとめどなく溢れてきた。突如として我が身に起こったわけの分からない事態に激しくうろたえつつ、小峰はまるで意思の力が及ばない反応を起こす自身を混濁する意識の隅で捉えていた。
 その日、小峰は上司に状況を報告するとともに、仕事を休む旨を伝えている。いずれ復帰したいという意欲が微塵も湧かぬほどへし折られていた小峰の心には、「しばらく休みなさい」といういたわるような上司の声も虚ろに響くだけだった。
「義務感というか、責任感が強いところが悪く出たのかなと。これが仕事やねんから、自分が成さなあかんことやねんから途中で放り出したらあかんという思いだけで突っ走っていた感じですね。僕を見かねた家族や親類から「もういいやんか」「辞めなさい」と口々に説得されるも聞き流すばかり。仕事中、胃のあたりをたえず触っていることにも、同僚の栄養士に指摘されるまで気づかなかったことを思えば、おそらく感覚が麻痺していたんでしょう。
 今にしてみれば、ようやったなと思うけど、精神ってけっこうごまかせるんですよね。もしそのとき「もう無理」という身体の訴えがなければ、いまだに義務感や責任感で押し通していたかもしれないし、おまえも頑張れるやろという目を人に向けていたかもしれない。あるいは、限界値が人によって違うことに気づけなかったかもしれない。だから、ええ経験をさせてもらったなと思うんです。ある意味厳しくしてもらって、自分の限界を教えてもらったおかげで、人にやさしくできるというのかな。だからこそ今、会社の事情で負担を負わせたくない、まずは環境を整えとかなあかんという思いは強いんです。
 そうはいっても、与えられた仕事をまっとうできなかった自分に非があるんじゃないかという思いは今でも湧いてきます。せっかく僕に期待して目をかけてもらったのにもかかわらず、何も返せないまま辞めざるを得なくなったことを申し訳なく思う気持ちがどうしても先に立ってしまうんです」
 次に就職した2社目でも、小峰は似たような思いを味わっている。
 急速に業績を伸ばしていた同社では、まだ教育体制が整っていないという事情もあったのだろう。入社後1、2週間も経たないうちに、小峰は最後まで会社に残り、鍵を閉めるようになっていた。23時すぎに帰宅し、朝の6時頃に家を出る日々。俺はこんなにがんばっているやんけ。なのになんで先輩たちは構わず帰って行くんや。なんで助けてくれへんねや……。心のなかで恨み言をつぶやいたことは一度や二度ではない。フォロワーシップやチームワークに欠けた職場環境は、肉体以上に精神を蝕んでいった。
 結局、小峰は2、3ヶ月と経たないうちに体調を崩し、その会社を去ることとなる。せっかく採用してもらったのに全然力になれず、ふがいない辞め方をしてしまった……。心に大きく陣取っていた思いはいまも小峰を苛んでいる。
「会社にすれば、今まさに社員教育マニュアルを作ろうとしていた段階で、忙しくてそこまで目が行き届かなかったところもあったでしょう。自分が何らかのサインを発さなかったことに因るのかなと反省したりもしました。
 実際、僕に負担が集中していたというのは思い込みで、まわりから見たら、そんなん当たり前にやってるよ、というようなものだったのかもしれません。新しく組織に加わった人間は、郷に入っては郷に従わなきゃいけないものだと思います。だとしても僕には、その会社の人たちの当たり前のハードルが高くてキツかった。とにかく「自分だけにしわ寄せが来ている」と感じてしまったことは事実なんです。
 でもその経験が今に生かされているというか、その人に見合った仕事を用意しようとしたり、特定の人に負担が偏らないような環境づくりを心がけたりしている自分がいるのかなと。
 スタッフをほったらかしにはせず、ちゃんと君のことを見ているよというサインは送っていたいんです。かといって甘やかすのはよくないでしょうけど、まわりが「この人が来たら背筋伸ばさなあかん」と感じるのは嫌。誰しもやさしくされたいと思いますから。自分が人にそうしてほしいから相手にもまずそうしよう、とは常々意識しています。
 とくべつ強く思うのはやっぱり、アルバイト、パートなどの立場を問わず、誰も会社を辞めてほしくないということ。辞めるにしても、「居心地いいけど、自分の夢がある」から「ほんなら頑張って」と気持ちよく送り出してあげたいんです。何らかの理由があってここに入社した人たちのせっかくの気持ちや縁を、気遣いやちょっとした心がけで無碍にせずに済むのならそうすべきだし、それがリーダーの仕事なのかなと思うんです。
 やっぱり、肉体的に限界が来て倒れたり、精神的に追い詰められたりしてドロップアウトしたら、その会社とはまともに向き合えなくなってしまいますから。後ろ足で砂をかけるようにして辞めてしまった、というような感情は、誰にも抱いてほしくない。そもそも悪い会社なんてない、その人が会社に合うか合わないか、馴染めるか馴染めないかの問題だと思いますしね。
 そんな僕に対して「そこまで気にせんでええんちゃう」と言うてくれる人もいるのかもしれません。でも僕は、常にそうやって自分を苛むものがあった方がいいと思うんです。しんどい思いをしたことを忘れてしまったら、「こんなん簡単にできるやろ」「これくらいやったら頑張れるやろ」ってつい口にしちゃうはず。だから誰かを傷つけてしまう自分を制止する“しこり”を前職でいただけたことはありがたいし、“しこり”の存在はずっと感じとかなきゃいけないと思っています。
 何かを言われたときに感じるショックって、言った側より言われた側が忘れないもの。傷つけた側は反省したら終わりじゃない。相手はずっとそのことを気にし続けるかもしれないし、責めてしまった事実が消えることはないわけで。だから僕はまず自分をきっちり責めようと思っています。事を重く受け止めすぎる自分はMやなぁと思うし、それで胃を壊したりもするけれど(笑)、そういう気持ちは持っとくべきじゃないかなと。やっぱり忘れてしまうことだけは避けたいんです」

流れに身をまかせて
 四大卒業後、栄養士の資格を取得した小峰だが、「栄養士」という職業にさしたるこだわりもなければ、明確なキャリアパスも描いていなかった。
 自分の腹を満たすための料理を作りだした小学生時代から、じょじょに趣味化していった料理という存在。時に母親に味付けを尋ねたり、のめり込むほど集中したり。今でこそ料理とはまるで縁のない職業に就いている小峰だが、心の一角を占めていることに変わりはない。
「手の込んだものや玄人はだしのものはできないけれど、たまに奥さんや実家の家族に振る舞って「おいしいわ」と喜んでもらえるのがうれしいんです。ダイレクトかつすぐに結果が得られる楽しさなり、思い通りのものができたときの喜びなり、科学実験みたいなところも好きなんでしょうね」
 その対象こそ変われど、小峰の胸にはいつも近しい人たちがいる。
「さすがにこの歳になったら思い切った冒険もできないけれど、歳いったときに店を出せたらおもしろいなと思ったりもします。この会社でずっとお世話になって、力になれたらそれでいいんですけど、限りはあるでしょうから。ただ、不特定多数の人向けではなく、家族や友人、近しい人に喜んでもらえるものを作れればいいのかなと思っています」
 料理を健康状態が思わしくない祖母や友人たちに恩返しをする手段と捉えるようになったのは高校生のときだった。
「こんなに世話になっているのに自分は何もお返しできてない、こんなに大好きな人やのに自分は何もできない……。そんな思いを出発点に、調理というスキルを生かすための知識を得よう、どこかで修行させてもらおう、と逆算して専門学校に照準を合わせたんです。だから今でも、困っていて生活改善を望んでいる人がいるなら、僕なんかでよければ言葉をかけさせてもらいたいとは思っています」
 にもかかわらず四大へと進んだのは、「大学まで行ってもらえる経済力はある。そこまでは出来るから大学に行ってほしい。その後は自分の好きなようにしたらええ」という親の希望を聞き入れたからだった。
 小峰は専門学校進学を見据えて、大学3年の春から貯金をはじめている。しかし「流れに身をまかせるタイプ」の小峰は、そろって就職に向かう同級生たちに影響され、就活へと心を移ろわせていく。「the・大学生という感じで、受からせてくれそうな会社を片っ端から受けた」が、第一希望の楽器メーカーの最終面接を次に控えた段階で不採用が決まったのをしおに、就活を切り上げた。かといってそれを引きずることもなく、小峰はふたたび専門学校への進学に的を絞ったのである。
「流れに身を任せていても、けっこう満足できる人なんです。こんな平々凡々な人生は嫌やから自己改革しよう、みたいな思いは今も昔もまったくない。どこに満足を求めるかは人それぞれでしょうけど、満足いくハードルがめっちゃ低いんでしょうね。(笑)
 今なんか、好きなものに関われて、好きな人たちと楽しく仕事ができているだけでほんまに幸せ。この人らとずっと一緒に働いていくために何をせなあかんのやろう、という思いが起点になっているから、昇進したいとか、お金をもっと稼ぎたいという欲はまったくありません。もしかしたら、自身が望んでいたものをここで得られてしまったからそう思うのかもしれませんけど」

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