ライフストーリー

公開日 2016.6.24

Story

「結婚もひとつの人生経験だと思っています」

仲人士 久保田 悦子さん

Profile

香川県高松市出身、兵庫県尼崎市在住。父の仕事の都合で転校を繰り返す子ども時代を過ごす。大学卒業後、かねてからの目標だった子ども服デザイナーとして、大手繊維会社に就職。結婚、出産を経て、仕事に復帰。職場の親しい後輩の結婚を世話したことを機に、2013年、のべ約25年間の企業デザイナー人生に終止符を打つ。以来、兵庫県尼崎市を拠点に「内閣府認証 NPO法人全国結婚相談業教育センター認定 仲人士」として活動している。
※ 約10,500字

不思議な縁で

「39歳崖っぷち。今年こそは嫁にいきまーす!」発端となったのは、6年前の正月、同じ会社で働く友人が送ってきた年賀状だった。毎年おなじ内容が書かれている年賀状になぜか苛立ち混じりのじれったさを覚えた久保田は、彼女にこう尋ねた。

「今年こそって書いてあるけど、今年は去年となに違うことすんの? (常套句になっているだけで)動かへんのはあかんと思う。ほんまに結婚したいんなら、相談所に登録してでも出会いを作ったら?」率直な思いを口にした久保田に、相手が見せたのは「そこまでして……」という困惑気味の反応だった。

相手が一番つつかれたくないところをつついてるよな……。彼女のことが好きだったから力になってあげたかったというのもある。家族思いで家庭的だから専業主婦に向いているだろう、と思っていたというのもある。それにしても、ようあんなこと言うたわ……。その日の夜、久保田は自身の言動を省みながらも、彼女の悩みの解決法が見つかるのならそれに越したことはないだろうと、まったくの門外漢だった結婚相談業界についてネットで調べ始めた。そして、規模の大小を問わず、10数社の結婚相談所にサクラとして電話をかけていく。

そのなかでここならば大丈夫だろうと目星をつけたのが、現在登録している日本仲人協会だった。とはいえ、さいしょは結婚までお世話をするつもりなど毛頭なかった。しかし同協会が主催するマリッジアドバイザー養成講座に参加した折、相談を持ちかけた理事長から「そんなもん、あんたがやらな誰がやんねん。あんたが勧めて、あんたがお世話するからその人が納得してここで活動しようと思うんちゃうか」と言われて気持ちが傾いていく。

その日の夜、事の顛末を聞いた夫から「もうやるって決めてんねやろ? やる気満々やねんやろ?」と言われた久保田は、翌日、会社で机を並べる彼女にそっと告げた。
「昨日、日本仲人協会のセミナーに行ってきてん」
「え、行ったんですか?」

驚く彼女を前に久保田は言葉を継いだ。
「ネットで仲人を検索できたりとシステムは現代的でありつつ、“世話焼きおばさん的仲人”といった昔ながらの雰囲気もある。そのうえ価格も良心的。ここに登録してみぃひん? そのかわり、私が仲人やで」
年賀状のコメントについて指摘されてからまだ一週間も経っていないのだ。知らぬ間に事態が進展していることに当惑を隠せない彼女を、久保田はさらに巻き込んでいく。
「私だったら嫌? あんたがやるんやったら、私も仲人やるわ。そうじゃなかったら、この話はなかったことで」

久保田にとっては乗りかかった船である。彼女に言葉をかけた以上、落とし前をつけるためにも、中途半端な気持ちで仲人をやるつもりは微塵もなかった。深く考えることなく口にしてしまったことが、相手を傷つけてしまったんじゃないか……。白か黒か、くっきりと2色に色分けされたような問いかけの背後には、自身の過ちを悔やむ気持ちも息づいていた。
「ちょっと考えていいですか?」
「何日も考えるとか嫌やで」

その日の夜、久保田に電話をかけてきた彼女の返事は「Yes」。彼女は会員として、久保田は仲人として、新たな人生の一幕がはじまったのだ。

それから半年後。強引とも男前とも大胆不敵とも呼べる久保田のアクションがきっかけとなり、彼女は目標どおり「40歳になるまでに結婚する」ことができたのである。
「仲人協会の勉強会で聞いたことを彼女にそのまま実践させる、みたいな感じだったから、彼女もようやったなと思います。(笑)当時のことは、彼女とのあいだで語り種になっていますから」

件の友人は現在45歳。彼女は久保田に「あなたに出逢ってなければ、きっと今もデザイナーをやっていた。あぁいうふうに言ってくれなかったら、たぶん変わってなかったと思う」と話している。縁というのは不思議なもの。久保田も「彼女がいなければ、仲人士にはなっていなかった」のである。

かくして仲人士となった久保田は、以前、学生時代から付き合いのある30年来の友人からこう言われたことがある。
「(仲人の仕事は)むっちゃ(あんたに)合うてるやん。あんた絶対、困った人に手を出してまうやん。見て見ぬふりできへんやろ? こんな適材適所はないというくらい合うてるわ」

そんな久保田だが、かつては仲人士という職業を思い浮かべたこともない。

大学卒業後、かねてから志望していたデザイナー職に就いた久保田は、50歳過ぎまでのべ25年ほどその仕事に従事してきた。同業他社には何度か転職したとはいえ、異業種への転職を考えたことはない。そもそも職業選択をまちがえた、ちがう道があるんじゃないかなどという考えが頭をかすめたことすらない。就活中、適性検査で必ず示される職業は「教師」であり、美術教員の免許を得るために教育実習も経験しているが、違和感はあった。
「デザイナー職は、きっとやりたかった仕事なんでしょうね。ただ、昔から人のことなんてどうでもええわと通り過ぎる子ではなかったというのは確かかなと」

課題として鯉のぼりを作っていた図工の授業中、もたつくクラスメイトの制作を手伝っていたところ「人のことよりまず自分のことを先にしなさい」と教師から注意されたのは小学校の頃のことだ。

「そういうおせっかいなところが、最終的に仲人士の仕事に結びついたのかもしれませんね」

 

見逃し三振より、空振り三振

「体力的にハードやったこともあります。でもそれ以上に、デザイナーに必要な、好奇心が満たされない状態を保ちつつ、常にアンテナを張りながら新しい情報を受け入れて消化することがしんどくなってきていました。加えて、仕事をする上では欠かせない若い人の感性をなぞろうとする自分もいなくなっていた。とにかく、25年くらいやってきて、やりつくした感はあったんです」

企業のデザイナー職を辞してから約3年が経つ。すべてを失ってしまったかのような状況が弱気を生み、デザイナーのアルバイトでもしようかな、という考えが頭をよぎったこともある。だが、一度脱いだ服はきちんとたたんで箱に入れて捨てよう、とすぐに思い直した。勤めていた頃は日常的に使っていた業界用語も、いつしかすっぽり頭から抜け落ちている。自身でも戸惑いを覚えるほど、デザイナーの仕事への未練は毛ほども残っていないのだ。

「あんたは、オール・オア・ナッシングやね。やる気があるのかないのかがすぐわかる」女3人で下宿生活を送っていた学生時代、同居人のひとりからよく言われた言葉が久保田の耳には残っている。
「彼女の言うように、やるときはやるけど、やらんときは一切やらない、みたいにはっきりしているから中間がない。感じていることが顔に出てしまうから、自分の気持ちが向かないところにはほとんど行かないんです」

14年勤めることになる会社で久保田が仕事に復帰したのは、次女がまだ1歳になっていない頃だった。次女を保育園に入れて仕事をするという選択をした折、久保田は義母に「私、いい嫁にはなれないから」と告げている。事実、以後は食事、お風呂、保育園への送迎など、子どもの身の回りの世話はすべて、近くに住んでいた義理の両親におんぶにだっこ、トイレトレーニングもしたことがない。
「罪悪感を感じてもきりがないと割り切ったのか、忘れているだけなのかはわかりません。要はそれくらい仕事が楽しかったんです。でもそれができたのは、家族に恵まれていたから。主人も文句を言わなかったし、義母も結婚したときから心づもりをしていたみたいで、「しょうがないね、うちには子どもが4人(息子夫婦と孫2人)いてると思ったらええ」と、私らも含めて子育てしてくれましたから」

現在、仲人士として会員に接するときにもその片鱗はあらわれている。相手との関係を維持するかどうか、悩んでいる相手に対して、久保田はよく「悩んでいるんやったら、もう一回会ってから断り」と言う。
「悩むくらいなら、もう一回会って断ったらいいだけのこと。なんとなく決めるような状態では、ひとりしかおらん結婚相手を選ぶ自分になれてない。そこで自分の判断ができるかどうかを見極めないと」

「見逃し三振より、空振り三振」。久保田が座右の銘のようにして、いつも胸に抱いている言葉である。「おなじ三振でも意味が違う。振っといたらよかったと悔やむ三振なら、振って三振する方がいい。うまくいかなかったとしても、それを「失敗」ではなく「結果」として次に結びつけるべし」と考えているからだ。思考が堂々めぐりし、二の足を踏みつづける会員に対して、「動けないなら動かしたるからおいで。背中押したるから、崖から突き落としたるからおいで」と発破をかけるように言うこともある。

入会前の面談時、久保田はまず会員にこう伝えている。「私はあなたの家族じゃないから、親でも怒らないようなことを言うかもしれない。でもそれは決してあなたが憎くて、いじめてやろうというつもりで言うわけじゃない。これを言わなければわからないだろう、と思うことを伝えるから」

歯に衣着せぬ物言いが、久保田の持ち味である。
「私に報告するときは、「いい人なんですけど……」という前置きはいらん。断ってる理由がはっきりと私にわかるように伝えて。伝えにくいときは「伝えにくい」と言ってくれたらいいから」

「生理的に合わないとか、パッと見で判断するのは仕方がない。でもこの人のいいところは絶対に3つ見つけて帰る、というふうにトレーニングしなければ、相手のいいところを見つけられる自分になられへん。反対に、自分のいいところも3つ、ちゃんと相手に届けてあげられるような人になりなさい」

きっとそれゆえなのだろう。会員が成婚にいたり退会する際、任意で書いてもらうアンケートには必ず「(久保田さんは)キツイこと言わはるなぁ」という内容のコメントが記されている。
「遠まわしにものを言うことができないというのもあるけど、甘いことばかり言っていても絶対結婚できないですから。一つひとつが白か黒かで分けられる、グレーのない世界に来ているわけやから、適当にお茶を濁して、前に進むようなことをしちゃいかん。親もゆとりになってきたいま、叱ってくれる人がまわりにいないぶん、キツいことを言うようにしています。もちろん言いっ放しではなくて、褒めたりもしますけどね。

自身の学生時代を思い返してみても、すこしスカートの丈を長くしただけで「あんたちょっとここ来て膝ついてごらん?」とよく怒られた先生ほどかわいがってくれたし、よく覚えていますから」

かくいう久保田の脳裏には、かつて厳しい指摘をしてくれた先輩の姿が浮かんでいる。