No.25 月山志津温泉 変若水の湯つたや 娘 志田美穂子さん

Story No.25 月山志津温泉 変若水の湯つたや 娘 志田美穂子さん

「山や自然の中で色々感じる機会を、宿を通して多くの人に提供したい」

志田美穂子さん 3 Profile
1981年西川町志津生まれ。実家は、旅館「変若水(おちみず)の湯 つたや」。高校時代より実家を離れる。東京の大学を卒業後、カナダで1年間語学留学。その後、韓国にも留学し語学学校にのべ1年間通う。2006年頃より東京で再び暮らし始め、2008年にアウトドア用品店の販売員として就職。2011年6月に退職し、実家に戻ってくる。以来、つたやの広報担当「Tsuki no mori」として東京と山形を行き来しながら様々な活動を展開している。山形女子フェス実行委員長でもある。(写真:本人提供)

私の生き方
 今は、色んなことをやりながら自分の生きる道を模索している段階です。「これから自分がどういう風になってゆくのか、どういう風に生きていくのか」ということがまだまだ定まっていない状況だけど、私はたぶんいくつになっても変わらず模索し続けると思う今日この頃です。
 とりあえず現時点では実家でもあるつたやにいて、東京と山形を行き来しながらどのように「月山」「つたや」をPRしていこうか探っています。
 今私がやっている活動の一つに「山形女子フェス」というものがあります。そのメインイベントは、県内在住か出身の20代、30代の女性を中心としたメンバーが県内産品を身につけて行うファッションショー。だけど、このファッションショーはあくまでも一つの手段であって、その先に見据えているゴールがあるんです。それが、県内の人が県内産品のモノの良さに気づくことで、山形に住んでいることに誇りを持てるようになること。そうなれば、自ずと人が集まってきて、PRする必要はなくなるのではないでしょうか。地元の人が地元産品を消費することで、経済も循環しますしね。
 この活動の背景には、根深い問題もあるんです―――。まずは、山形県内の企業において、女性の立場がまだまだ低いという現状がある。それから、アパレル製品に関しても、当初山形で受け入れられず、東京や海外で評価されるというプロセスを経てようやく山形で認められるようになっているという現状。つまりは、「東京から来るもの=いいもの」という価値基準がまだまだまかり通っているという現状があるんですよね。だから、活動の波及効果によって、こういった問題にもメスを入れられればという思いはあるんですよ。

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 身近だったもの
 子どもの頃の私には、うちに戻ってくるという選択肢なんてなかったんですよ。むしろ「どこの国に住もうかな」って考えていたくらいだから、日本という選択肢すらなかった。というのも、小・中学生の頃、うちにはホームステイでアメリカの学生が何度か来たり、私も中学生の時に1度アメリカにホームステイに行ったりしていたから、外国というのは身近な存在だったんですよね。それに、母親が東京出身だったから毎年東京に行っていた私には東京も身近な存在で。
 だから、高校を卒業してからはアメリカか東京に行くものだとすっかり思い込んでいたんです。だけど、結局、外国に行くのは恐かった私は、東京の大学に進学しました。

異国で感じたこと、日本で感じたこと
 大学4年の時。就職という選択肢に全く魅力を感じなかった私は、就職活動を一切しなかったんです。それまでも、自分がやりたい仕事についてあんまり考えたこともなかったですしね。
 結局、海外に行きたかった私が卒業後に選んだ道は、1年間のカナダでの語学留学。留学の一番の目的は、英語を早く修得すること。それで、なるべく日本人の少ない所に行こうと選んだ学校の場所は、エドモントンというのどかな田舎でした。(今思えば、ここと雰囲気が似ているんですよね。)
 最初は、せかせかしている東京とは対極のあまりにものんびりしすぎた過ごし方に慣れなかったけれど、時が経つごとにそこの時間の流れ方がしっくり来るようになってきたんです。それに加えて、色んな民族がいて、色んな宗教や文化があって、それらをお互いに尊重し合うというとても居心地の良い風土がそこにはあったんですね。むしろ、あまりにも居心地が良すぎたからかな?だんだん日本に帰ってくるのが嫌になってきたんですよ。
 ただ、厳しい環境でもありました。特に、最初の1ヶ月くらいは。まず自分の意見を相手にちゃんと伝えないと何も始まらないし、そうしないと相手に対しても失礼になる。とにかく自分自身の存在証明のために意見を言うしかなくて。そういう意味では、いい訓練になりましたね。
 そうして「日本に帰りたくない」という気持ちを抱いたまま、1年間の留学を終えて東京に戻ってきた私は、息苦しさゆえに4年間つつがなく学生時代を過ごしたはずの東京(吉祥寺)に1週間といられなかったんです。それで思ったんですよ、「私の居場所は、もうここ(東京)にはないんだな」って。そして2、3日を東京で過ごした私は、逃げるようにうちに帰ってきました。
 今考えても、あれは何だったのかがわからない。異常な拒否反応があったんです。日本(東京)に対してのカルチャーショックというか。無機的な人の動きとか、人間関係にすごく違和感を覚えたんですよね。「人間らしくないな」って。

私が好きなこと 
 他にも韓国(のべ約1年在住)とかメキシコにも行った私が好きなのは、旅をすること。一番の動機としては、行ってみないとわからないものに出逢いたいから。観光ガイドブックに載ってない場所とかものを見てみたいという好奇心はいつも私の中にありましたね。
 だから、旅は基本的にノープラン。都市はどこの国でも大体似ているし、田舎に行かないとその国の本当の良さを知ることができないと思っていた私が訪れる場所は、いつもその国の田舎でした。実際、田舎に行くと “人間らしさ”に出逢えるし、生活や文化などその地域独自のものが色濃く残っているんですよね。そういったオリジナリティはここにもあるから、それを前面に打ち出していきたいとは思っています。

思い出した、かつての私
 その後、東京に住んでいたのは、25歳頃から6年ほど。その前半の3年間(アウトドア用品店で働くようになるまで)は完全に自分を見失っていましたよね。というのも、語学を修得することが一番の目的だった私がその目的をある程度達成した時、ふと湧き出てきたのは「結局何がしたかったんだろう」という問いだったんです。そうして目的を失い、やりたいことが全く見つからないという状況に陥ってしまった。だからその3年間のことは、ひたすら飲み歩いていたこと以外私の記憶の中から抜け落ちているんですよね。ほんと、魂が抜けたような状態でしたから。
 そんな中でも、中途半端になっていた韓国の語学学校に4ヶ月ほど通って卒業してきたのが2008年の12月のこと。縁があって、その後すぐにアウトドア用品の店で働くようになると、だんだんかつてカナダにいた時の自分を思い出してきたんです。入社するときはすぐ辞めるんだろうなとは思っていたんですよね、アウトドア用品には全然興味がなかったから。だけど、やってみると意外と楽しかったんですよ。というのも、店で取り扱っているものは洗練されていてすごく格好良かったし、目的がはっきりしたお客さんが多かったから接客もしやすくて。そして何よりも居心地が良かったんですよね。 

私の性 
 きっと、そのお店の風土が裏表なく人と付き合いたいという私の性格に合ったんでしょうね。逆に言えば、人と表面上の付き合いをするのがすごく嫌なんですよ。
 例えば、学生の時。私の実家が旅館だと知って「行きたい!」って言う人のうち、9割は来なかった。「思ってなけりゃ、言わないでほしい」それが当時の私の正直な思いでしたよね。だけど、嬉しかったのはその中でもわずかながらほんとに来てくれる人がいたこと。だから、私もそういう人でありたいと思いましたね。素直にちゃんと色んなことを伝えられる人でありたいな、って。 
 でも、素直すぎるところが私にはあるんです。―――これは、私が小学生の頃の話。白い靴下を持っていない私が赤い靴下をはいて体育の授業に出た時のこと。「体育の時は、白い靴下を履いて来なさい。」と言ってきた先生に「上の服と下の服に合わせるためには、赤色の方がいいですよね?」と返したら、先生はポカンとしていて。(笑)私としては注意を受ける覚えなんてなかったし、私の親も「別にいいじゃん」という考え方の持ち主でしたしね。だから、「協調性がない」と書かれた通信簿が渡されたんでしょうか?(笑)私なりに馴染もうとはしていたんですけどね。
 それから・・・、アウトドア用品店の入社面接を受けた時のこと。「趣味は何ですか?」と問われた私の答えは「切り絵です。」そしたら、面接官の人は「切り絵!?切り絵って家の中でやるものですよね?うち、アウトドアの会社なんですけど大丈夫ですか?」って。(笑)その時、ほんとに切り絵が好きだったからそう言っちゃったんですよね。
 働き始めてから接客している時も、そんなこと言っていいのかっていうくらい色んなことを言っていました。(笑)例えば、「買わなくていいですよ、それ」とか「その色似合わないですよ」とか。そこのお店は、お客さんと店員という枠を越えて一個人同士で付き合うことを許してくれたから、私にとってとても居心地の良い場所だったんです。私という“人”から、商品を買ってもらうという経験もできましたし。 

ようやく見えてきた「私」
 そのお店に来るお客さんの中には月山のことを知っている人が多かったし、つたやに来たことがあるという人も結構いたんです。そういう人たちと知り合ううちに、私も山や川に行くようになったり、サーフィンや沢登りを始めたり。それと共に、遊んでいた幼い頃の記憶が徐々に蘇ってきて、そういう世界にどんどん戻って行ったんです。
 何というか、20代の後半になって、ようやく自分というものが見えてきたんですよ。「私は~が好きだ!」って堂々と言えるようなものがやっと見つかったんですよね。だから、そうやって働いている中で「もっと山に行きたい、もっとスキーがしたい。そういうことができる環境に身を置きたい」という思いが芽生えてきたのも自然な流れでした。
 それに、そのお店で働き始めて2年目くらいからは、販売員という仕事に限界を感じるようにもなっていたんですよ。「私じゃなくてもできるんじゃないか」「色んなことに挑戦したいけど、会社という組織の中では難しいな」そんな思いが私の中には湧いてきていましたから。 

私の役割
 転機があったのは、2011年の正月。本道寺にある口之宮神社に、お客さんと一緒に初詣に行った時のことでした。そこで歌われている祝詞は、小さい頃からずっと聞いてきていて私にとっては耳慣れたもの。だけど、県外から来たお客さんにとってはもちろん馴染みのないものですよね。その時、生まれて初めて実感したんですよね「私ってここの人なんだな」ってことを。
 そのことをきっかけに、私は神社にまつわる出羽三山信仰の歴史とかについて勉強し始めたんです。それは、いわば自分自身のルーツを探る旅でもあるんですよ。やっぱり、信仰とこの宿は切っても切り離せない関係にありますから。
 それから少し経って起こったのが、東日本大震災でした。それで、家族と全く連絡がとれないという状況になった地震直後2、3日の間、家族や親戚の存在をすごく意識した私の中に芽生えてきたのが「家族のためというか、つたやのために私がやることはいっぱいあるな」との思いだったんです。そうして、地震直後から3ヶ月くらいはお客さんがぴたっと止んでいるという状況の中、6月いっぱいで会社を辞め、7月からはつたやの営業担当として働き始めて今に至ります。私の仕事は、ほとんどお金にならないものばかりですけどね。ただ、これまで知り合ってきた人たちとの人脈は間違いなく私の財産。「だてにあの時お酒を飲んでいなかったんだな」とは、まさに実感ですね。(笑)

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