#102 聴き綴り士 / 北海道大学CoSTEP特任助教 西尾 直樹さん

西尾直樹さん 「人の源にある想いの力で、世の中を元氣にしたい」

 

 

1979年生。大阪府枚方市出身、北海道在住。2006年〜07年にかけて、NPO法人KGCで産学連携コーディネーターとして進めていたプロジェクト「研究者図鑑」にて、300日間で300人の研究者を紹介。2012年にはインタビューにまつわる一連の行為を「聴き綴り」と定義し、(株)聴き綴り本舗を設立。インタビュー手法を指導したり、複数の人が集う対話の場にファシリテーターとして関わったりと活動の枠を広げていく。地域活性やソーシャル・イノベーションの現場と科学技術の知見との架け橋を目指して、2016年5月より北海道大学CoSTEP特任助教に就任。

※ 文中敬称略

記事公開:2016-7-2

 

インタビュアーの道へ
 1,000人の研究者と出会って最先端の知見に触れられれば、宇宙の真理に近づけるんじゃないか。彼らとのネットワークによる集合知の仕組みができたら、まったく新しい社会や政治、地域の形が創れるんじゃないか――。20代半ば過ぎの西尾が、そんな思いを胸に、後にライフワークとなるインタビューをはじめたのは今から10年前、2006年のことである。
 その前年。NEDOフェローシップに採択された西尾は、産学連携組織(NPO法人KGC)におけるコーディネーターとなり、研究者のネットワークを広げる役割を任せられるようになっていた。当初は研究者が一堂に会する交流会などのイベントを、月に一度ほどのペースで開催。しかし、場をつくるだけでは広がりに乏しく、数もこなせない。なにか打つ手はないものか……。思い巡らせていたさなか、アドバイスを求めて知り合いの研究者のもとを訪ねた折に提案されたのが、市民権を得はじめていたYoutubeで研究者の情報を発信するという企画だった。
 のちに判明することだが、西尾はADHDという発達障害の影響で実務作業を大の苦手としていた。苦手を克服することに注力するのではなく、人前で話すことをまったく苦にしないという自身の得意分野を生かそう。そんな思いで、もともと関心のあった政治の道に進むことを真剣に検討していた頃だった。
 次の会議の場で「辞める」ことを発表しよう。そう心づもりをしていた西尾を、すんでのところで引き戻したのは、エッジの効いた思考を持つ上司からの提案だった。「研究者の紹介を1年間、365日欠かすことなく実行し、3年で1,000人を目指す。1日でも途切れたら即刻クビ」。「質より数のインパクトで勝負する」という方向性は、「クオリティではテレビ局など、プロのメディアには勝てない」という考えによるものだった。
 おもしろそうだ! 「ぶっ飛んだノルマ」つきの独自性や真新しさに満ちた企画に火をつけられた西尾は、無理難題めいたタスクを「引き受けてしまった(笑)」のである。
 ノウハウもなければ前例もない。テスト段階での「研究者図鑑」における西尾の役割はインタビュアーではなかった。プロジェクターを活用したプレゼン風景を映像で流していたため、出番は冒頭で研究者を紹介するにとどまっていた。
 幸いしたのは、映りが悪いという映像技術の問題により、手段の変更を余儀なくされたことだった。同僚の提案をヒントに、のちの図鑑シリーズの原型となる、対話形式での収録がスタートしたからだ。研究者にリストアップしてもらった、研究内容を示す3つのキーワードをもとにフリップトークを進めるというやり方は「意外とおもしろく」、専門性が高い研究者の話を図や物を用いることなく伝えることができるのだろうか、という胸のしこりは洗い流されていた。
 今につながる気づきを得たのは50人目に差しかかった頃のこと。インターンシップの一環として現場に足を運んでいた大学生から、「研究の話もおもしろいけれど、ときどき垣間見える研究者の人となりというかパーソナルな情報がすごくおもしろい」という意見をもらったことがきっかけだった。
 彼女の意見が腑に落ちた西尾は、インタビューの構成にメスを入れる。研究にまつわるものが占めていた3つのキーワードを、対象者の「現在・過去・未来」に変更。すると、研究にはまるで興味がないような人たちから「こないだの映像、観ましたよ」「あの人、おもしろい人ですね」などというリアクションが返ってきたのである。
「たとえばバイオテクノロジーを専門とする研究者の、研究内容の詳細だけを紹介しても、視聴者にその分野に対する興味がなければ食いついてもらえません。一方、『自然豊かな地方で生まれ育った僕の小さい頃の遊び場は、もっぱら山や川といった自然の中。でも、成長するにつれて、川が汚れ、生き物が少なくなっていった。水質改善につながる現在の研究テーマを選んだのは、昔のようなきれいな川に戻したいからなんです』というように原体験をふくめた研究者の人生の文脈に乗せて、研究内容を語ってもらうようにすると、専門性や所属領域を超えて理解や共感を得やすくなることに気づいたんです」
 その後、組織の運営方針が変わったこともあり、当初掲げた1000人という目標は未達成に終わったものの、南は沖縄から、北は北海道まで、300日で300人の配信は達成。何より西尾は「人のストーリーが持つ可能性」に気づいていた。

 

つながりを作るという生きがい
 それから約10年。地球の未来を自分たちの手で作っていこうとしている人々を紹介した「ちきゅうじん図鑑」、地域を舞台に活躍する人々を紹介した「地域公共人材図鑑」や「ふくしま人図鑑」、文字通りがんばっている人を紹介した「がんばってはる人★図鑑」など、これまで実施したインタビューは、研究者を中心として、職業、分野を問わず700人以上を数える。
 2012年には、インタビューにまつわる一連の行為を「聴き綴り」と定義し、(株)聴き綴り本舗を設立。インタビュー手法を指導したり、複数の人が集う対話の場にファシリテーターとして関わったりと活動の枠を広げてきた。
 ほかの仕事に比重が移っている最近では、2012年より手がけている研究者へのインタビューを3ヶ月に1度のペースで実施、編集した記事は電子情報通信学会が発行する専門誌『情報・システムソサイエティ誌』に掲載されている。なお、札幌でインタビュアーの福津京子がすすめている「札幌人図鑑」は、西尾が師範としてノウハウを提供した、いわばのれん分けだ。
 2012年に命名した「聴き綴り」がはらんだ意味合いは、時とともに広がってきた。「聴き手と話し手の二者間でおこなう通常のインタビューをより深めたもの、あるいは聞き書き上級版」から「複数の人間がいる対話の場でのやりとりも含めて、深い傾聴によって引き出されたものすべて」へ。
 後者を体現しているのが、「マイプロジェクト」(以下、マイプロ)だ。『具体的には「マイプロシート」と呼ばれる数種類のワークシートに、自身のヒストリーやプロジェクトの詳細を記述し、このシートをもとにその場にいるメンバー同士でマイプロをシェアし合い、実践し、報告を行って磨き上げていく※1』プロジェクト手法だ。現在、全国各地で取り組まれているマイプロは、社会起業家の育成や輩出に取り組む慶應義塾大学大学院特別招聘准教授・井上英之によって開発され、井上ゼミのなかで育まれたものである。
 京都府庁の嘱託職員でもあった西尾が、自主企画としてマイプロを立ち上げたのは2014年6月のこと。以来、2016年3月までに計13回開催、約100人の参加者を数える企画の進行役として携わってきた。
「その場にいる人たちの傾聴やフィードバックによって、気づきやアクションが生まれていく。ふつうなら「ブレている」と捉えられる変化を奨励される自由さがマイプロの特長です。
 〈綴り〉の捉え方はかなり広くなったけれど、いかにして対象者の源にたどり着くかという根幹は変わっていません。むしろ研究者図鑑をはじめた頃に自覚した、人のストーリーや人となりを通じてものを伝えていく、つながりを生み出していく、という意図の源に近づいている感覚はありますね」
 これまでの経験を通じて実感していることについて、西尾はすこし前に著した論文にこう記している。
「研究、ビジネス、非営利、社会起業などのいずれにおいても、創造性と持続性を持つプロジェクトには、①個人の内面から湧き上がってきた感情(情熱、知的好奇心、使命感など)に突き動かされてスタートしている、②その感情やビジョンに共感し合い意気投合した人達が組織化、ネットワーク化し広がっている、という共通点を持っている※2
 西尾は言う。「井上さんがおっしゃっていたのは、『日本で最初の社会起業向けビジネスプランコンペ「STYLE」を開催したとき、心に響いたプランは、聞こえのいい言葉を並べていたり、なんとなくよさそうな感じを受けたりするものではなく、その人の想いや人生があらわれたものだった』ということ。
 プランの内容に注目が集まりがちなこれまでのビジネスプランコンペ・コンテストとは違って、そのプランを動かしていくのは誰なのか、Whoをまず明らかにして磨いていく。そういうプロセスは革新的で、ソーシャルビジネスの先端をいくアメリカでも見られないらしくって」
 ならば、聴き綴り士となった西尾の源は何なのか?
「もともと僕はあんまり人の好き嫌いがないんです。子どもの頃も、ともすればウザがられたりする昆虫博士のようなオタク気質、探求気質のある人が、得意分野について楽しげに語る様子に触れるのが好きでしたから。
 かといって、そこにどっぷり入りこんでいくわけでもない。所属していたサークルの体育会のノリにもある程度ついていけたし、大人になってからでいえば、起業家のような実践者の文化、行政の文化にも適応していける。
 だからぼくは、どこかに根を張ってそこに留まることはせず、浮遊しながらいろんなものに片足を突っ込んでいる感じですね。異なる文化をもつコミュニティをストローのようにつないだり、おもしろおかしく伝えたりするのが得意なのかなと思っています」
 2016年5月から所属しているCoSTEPは、科学技術コミュニケーションの教育・実践・研究機関である。大学内の授業履修生のみならず公募で集まってきた社会人の受講生など、広く一般にも門戸を開いて教育プログラムを提供するというものだ。そこでインタビューやライティングに関して指導するというのが西尾の役回りとなっている。
 科学技術と社会をつなぎたい。地域を活性化したい、大きく言うと社会変革を起こしたい——。大学生の頃に生まれたその志を西尾は見失ったことはない。理系と文系をつなぎたいという思いに目覚めた20代前半、産学連携にたずさわった20代後半、行政と市民活動家をつないだ30代前半。肩書きや居場所は変わってきたが、西尾はそれが必然であるかのように何かと何かの架け橋になるポジションに身を置いてきた。
「子ども時代から、人と人が意気投合する場面を見る、というかお互いが共通点を見出したりして場の温度が変わる瞬間に立ち会うのがすごく好きだったんです。コーディネーターの仕事を例にとれば、接点を持った人たちの価値観が一致し、力を合わせてプロジェクトを進めていく流れになったとき、当時と似たような気持ちを味わえる。そうやってつながりや縁を作ることに、ぼくはやりがいや生きがいを感じるんです」
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