#102 聴き綴り士 / 北海道大学CoSTEP特任助教 西尾 直樹さん


欲していたのは「他者からの理解」
 世の中に価値が伝わっていなかったり、偏見を持たれていたりするモノやコトに光を当てたい。話し手の源にあるものを出してもらって見える化したい――。そんな思いでインタビューに取り組むようになった西尾がかつて「聴き綴り士」を名乗ったのには理由があった。
「インタビューというと軽く見られるから嫌だったんです。明確な意図を実現するための手段としてインタビューに取り組んでいるのに、まわりはその価値を理解してくれないことが納得いかなかった。労力もすごくかかるから、趣味として続けていくつもりは毛頭なかったですしね」
 原体験は大学時代に得ていた。社会について学びたいという意識を持っていた西尾が、大学の先輩からの誘いを受け、選挙のボランティアをはじめたのは3回生のときのこと。そこで会う政治家たちは、真剣に国の未来を考えていたり、とても気さくだったりと、魅力的な人ばかり。はじめて生で触れる政治の世界を前に、「政治家は偉そうにしていて、汚職や不倫といったスキャンダルまみれ」というステレオタイプはたやすく崩れ去っていた。
 恣意的に作り上げられた虚像と実像。そのギャップを目の当たりにした西尾の胸中では生の姿を伝えたいという思いの種が芽吹いていた。
 その思いを注げる対象と出会ったのは6、7年後のこと。研究者は決して「実験室にこもって、自分の好きなことだけをやっている」人だけではない――。1000人という与えられたノルマに食らいついていった西尾を支えていたのは、そんな反骨心だった。
 だからといって情熱や想いがありさえすればいいわけでもない。300日で300人。ノルマをこなさなければならないプレッシャーなどの精神的な負担や全国各地に足を運ぶ体力的な負担が、知らず知らずのうちに蓄積していたのだろう。原因不明の発熱に急性腎炎。『研究者図鑑』のインタビューが最後となった日をさかいに、身体の不調がたてつづけに西尾を襲っていた。
 体調が落ち着いてからも、仕事が手につかない燃え尽き症候群のような状態が3ヶ月〜半年ほど継続。上司から本質的な理解を得られずじまいだったうえに、社会的評価もまったくついてこなかった。インタビューはしんどくて報われないものだ……。
 いっそインタビューに見切りをつけてしまおうか。一度はそこまで考えた西尾を思いとどまらせたのは、自身の取り組みの数少ない理解者でもある仲間の存在だった。今では社会起業家となり、各地で活躍している彼らとは、学生時代に住んでいた町家のシェアハウス&コミュニティを通して出会った。以来、たがいに切磋琢磨し、時に訪ね合い、時にプロジェクトを一緒に立ち上げた仲間の存在は、西尾の心の支えでありつづけた。
 歩むべき道へと連れ戻すかのように、マイプロ考案者の井上英之から「あなたのやっている図鑑インタビューはすごくおもしろい」と言われたのは、『研究者図鑑』の更新が止まってから1年後のことだった。数多くの社会起業家との接点を持ってきた井上からの肯定的なメッセージとくれば、お墨付きを与えられたようなもの。胸にくすぶっていた不安感や挫折感は払拭されるとともに、確信めいた自信が生まれていた。
「基本的に、ものごとが表面的に評価、判断されることがものすごく嫌いなんです。大学時代に触れた政治の世界を例にとれば、イデオロギーって頻繁にぶつかり合うんですけど、解釈が相当表面的だったりしますから」
 ここ最近、西尾の人生にターニングポイントをもたらしたのは、『U理論』との出会いである。『U理論』とは、提唱者であるマサチューセッツ工科大学上級講師、オットー・シャーマーによって「世界のさまざまな領域にわたるもっとも著名なリーダーへのインタビューやイノベーターたちとの仕事を通じた経験を元に生み出されたもの※3」である。
 日本でU理論を実践する第一人者として知られる中土井僚は、U理論について『一言でいえば「過去の延長線上にない変容やイノベーションを個人、ペア、チーム、組織やコミュニティ、そして社会で起こすための原理と実践手法を明示した理論」※4』と述べている。西尾は言う。
「U理論は、その名の通り、イノベーションに至るプロセスをUの字のラインに表現し、7つのステップで説明しています。先入観や偏見、思い込みなど、無自覚に現実を過去の枠組みのなかで把握,評価している状態が第1ステップDownloading。自分を観察、内省し、陥っている思考パターンに気づくのが第2ステップSeeing。そして、他者の目や言葉,場から自分のあり方を感じとり,自分の心とつながる第3ステップSensingに、自分の意志のもっとも深い根源とつながる第4ステップ Presensing。
 Uの谷を下っていくのが、その4ステップです。このプロセスは個人の内面だけでなく、他者との関係性、集団や組織、さらには社会全体の変化をも含めた世の中の物事すべてを表せる。実際、ぼくがこれまで意図的に取り組んできたものも、余すところなく表してくれていますから。理論上、それらをクリアして、恐れなどの執着を手放せてはじめて未来が出現し、自身の源(ビジョンと意図)にたどりつけるのですが、ここに至るのは相当に大変です」
 7つのステップで構成されているU理論は、Crystalizing(結晶化)つまり立ち現れてきたビジョンを明らかにするステップ5、Prototyping、つまり行動と実験をくり返しながら未来を探索するステップ6、そして文字どおりPerforming(実践)をおこなうステップ7へと展開されていく。
「自身の源とつながりながら、ひたすらプロトタイプして、実体をかたちづくっていく。ステップ4から7に向かっていく(Uの底から右上の頂点に上がっていく)プロセスは、デザイン思考に近いと思います。瞑想や対話、傾聴によるマインドフルネス(こころのエクササイズ)をビジネス手法に結びつけていく試みとも言えます。つまりU理論は、科学的なものとスピリチュアルなもの、あるいは論理と感性などが統合された理論なんですね。
 それを実生活に反映させるのならば、イデオロギーを衝突させるのではなく、もっとレベルの深いところまでお互いに対話するなり、知識を深めるなりして源をたどることが必要です。
 かつてオタク気質、探求気質のある人が、得意分野について楽しげに語る様子に触れるのが好きだったのは、自身の源とつながったことをやっているというか、純粋性を保っている人たちに惹かれるからでもあるんです。世の中の風潮や常識、かくあるべきといった規範意識などのバイアスがかかっていない子どもの頃の純粋な興味や関心をいまに還元している人たちが多いのが研究者の世界。自身もそう生きていきたいと思うし、インタビューでもそこから現在を再構築していくイメージで聴いていますね」

 

反骨心につき動かされて
 西尾をインタビューへと駆り立てた反骨心のエネルギーは、自身の特異性という鉱脈から噴き上げてくるものでもあった。
 KGCに在籍していた20代半ば頃、西尾は発達障害(ADHD)という診断を受けている。ひとつの作業に集中するのが困難なこともあり、学生時代から決まった答えが用意されているテスト問題を解くのが大の苦手。テストとは姉妹関係にある実務的な作業がからっきしできなかった20代後半には、インターンに来ている大学1年生より仕事ができないという屈辱を味わったこともある。
 中高生の頃から自身の特異性に気づいてはいた。さりとて、まだ発達障害に関する認知が進んでいない90年代半ばすぎのことである。ふつうの人がふつうにできることができないもどかしさを抱えつつ、西尾はその特異性を解明すべく、脳科学の本を紐解くようになっていた。
 大学を出て、いい会社に就職するという王道を歩んでいくことは自分にはできないだろう……。そんな見通しを立てていた折、耳に入った山一証券が破綻したというニュースは胸の奥まで届き、淀んだ心を攪拌した。卒業を間近にひかえた高校3年の冬のことだった。
「ぼくらの前に敷かれているレールが崩れるなと直観したんです。表面的なブランドや学歴じゃなくて、その人の本質や人間力みたいなのが問われる時代がやってくるだろう。おぼろげながらそう思ったことは鮮明に覚えています。そのとき、自分で道を切り拓いていかなきゃいけない、と自身を奮い立たせたようなところはありますね」
 社会人になって以来、西尾の中にはいつも相容れることのない複数の自分がいた。社会に適応しなければいけないと思う自分、適応していたいと思う自分。にもかかわらず適応できない現実の自分。ままならない現実にくりかえし味あわされる挫折感は、ボディブローのように自尊心をじわじわと痛めつけていく。それでも西尾を実務作業に執着させたのは、反骨心と同居する「現実感覚の伴わないふわふわした人間に見られたくない」という恐れの声だった。
「発達障害の人の中には、自尊心を傷つけている人が多いんです。こうしなきゃいけない、こうならなくちゃいけないという意識を強く持っているから、自分で自分を批判したり、傷つけたりしちゃう。自分が出来ていることよりも出来ていないことにばかり目がいっちゃうというのかな。ぼくが社会とか世の中の現実に自分の身体を適応させていたのは、自尊心を回復させるためでもあったんです。その点、自身の気力やまわりの人のおかげで、抵抗しつつも何とかやってこられたところもあるのかもしれません。
 結局、図鑑シリーズのインタビューにせよ、マイプロの場づくりにせよ、いろんなことに取り組んできたのは、自分のことを他人に理解してもらうためだったんです。インタビューという呼称を頑として使わなかったのも、まさしく反骨心のあらわれですよね。(笑)
 ただ、反骨心を動力源にして、自分の構想を具現化していこうとするステージはもう終わり。ネガティブなものや問題意識に目が向くと、そこにエネルギーを奪われて疲弊してしまいますから。以前は反骨が生んだ音楽であるロックやブルースが好きだったけど、いまは自分の鳴らしたい音を鳴らしていく方へと向かっているところです。「聴き綴り」という呼び名にこだわることもなくなりました。といっても、今でもついついネットニュースとかは見てしまうし、反骨心がなくなったわけでもないんですけどね」
 西尾は昨年、自身を変えていく一手として、「しなくてもいいリスト」を作成した。「しなければならない」という意識へのとらわれを手放すほうへと向かったのだ。
 『U理論』を学びつつ実践するなかで、OSがWindows XP から Mac OSXに入れ替えられたような大きな変化がもたらされたのはここ1、2年のこと。『U理論』という強靭な翼を得た西尾はいま、新たな大気圏に突入している。
「世の中には、Windowsのほうが合う、たとえば物事を手順どおり進めるのが得意な人もいるし、Macのほうが合う、たとえば自分の発想をもとに何かを生み出していくのが得意な人もいる。ぼくはWindowsが合わないにもかかわらず、その中で散々もがいていたわけです。でもそこで培ったものがあるから、Macに移行してもすぐに力を発揮できるし、Windowsの文脈から逸脱することもない。だからぼくは、windowsとmacをつなぐ、ある種のインターフェイスになるのかもしれません。ちなみに使用するパソコンは、最近Windowsに戻りました(笑)。
 Macの方が合う人材が自分に適した環境で才能を発揮できたら、日本ももっとクリエイティブな社会になっていくはず。今は、自分のことをひそかに「中2病的な妄想を未来のカタチにする天才(笑)」だと認めているんです。
 でもそれは結果ありき。仲間たちとビジョンを描き、京都市や京都府の事業、組織のなかで取り組んできたことが文化として根付き、いまも続いている。あるいは、京都市内の区単位で行われるなど、あらたな一歩を踏み出した市民が各々でつながり、キーパーソンになっていく、という流れができている。もちろん僕ひとりの力でできたわけじゃないけれど、そうやって自分の思い描いていた“小宇宙”が人やプロジェクトを動かす仕組みとなり、受け継がれているから、とらわれを手放せたところはあるんですよね」

 

自分中心の生き方へ
「科学技術にビジネス、スピリチュアリティ……。いろんなものを過信するでもなく、かといって頭ごなしに否定するでもない。それぞれの視点を理解しながら統合していくことが目標です。偏っている状態が気持ちわるい自分にとって、中庸な感じは理想かもしれないですね」
 立脚する足場が定まったのは中学2年の夏だった。はじめて参加する天文部の合宿は、例年どおり飛騨高山でおこなわれた。夜、ペルセウス座流星群を観測するため、雪のないスキー場の斜面で寝転がったとき、西尾の目に飛び込んできたのは満天の星空だった。天気がよかったことも幸いし、天の川もくっきりと肉眼で捉えられるほど視界は良好。大阪のベッドタウンにある自宅や学校付近では出会ったことのない、圧迫感すら覚えるほどの壮観に衝撃を受けた西尾の中には、頭のネジが何個か取れたような感覚が芽生えていた。
 2万光年先で輝く星がまたたいたのは2万年前。おびただしい数の星のなかには150億光年先で光を放っているものもある。ひるがえって人間の一生はたかだか100年。なんて人間はちっぽけな存在なんだ。世の中のいろんな問題も、宇宙の視点に立てば取るに足らないもの。でも、何十億、何百億という人間の人生の蓄積によって築きあげられてきた文明には、かならずや宇宙というスケールで解き明かしていく意味がある――。
 その日を境に、西尾は目や耳に入ってくる情報に対して、表面的なものに流されず、俯瞰的、大局的に捉えることに意識を傾けるようになっていた。「中2のときに厨二病を発病した(笑)」西尾は、いわば「森を見る」視座を獲得したのである。
 その視座をもとに築いてきた思考を、西尾は「宇宙哲学」と呼んでいる。しかしながらそれを、ごく一部の親しい人間をのぞいた大衆に話すようになったのはここ2年のこと。人に話しても絶対バカにされるだけ。そんな恐れの声も聞き流すようになったのだ。
「そういう自分を認めてもらえないところにいたら、ぼくは絶対生きていけない。自分を抑えて生きていくことに、もう限界が来ていたんです。それよりかは楽しいことをしたり自分の世界観を表現したりする方がよっぽど建設的。これからは自分中心で世界と接していくつもりです。人の源にある想いの力で世の中を元氣にしていきたいですね」
 スキー場に寝そべりながら星空を眺めていたとき、人間のちっぽけさを感じてバカバカしくなったとはいえ、西尾は厭世的にも諦観的にもならなかった。人間が生きるのはたかだか100年の人生、でもだからこそ命の火を燃やして何かをすることはすばらしい――。
 当時から20年以上経ったいまも、翳りを見せない肯定的で希望の色に満ちたまなざしは、かすかに、だが確実に「人類総インタビュアー・インタビュイーで世界平和を!」という究極の目標を捉えている。

 


※1  西尾直樹「U理論実践手法としての「マイプロジェクト」の可能性 −「井上英之研究会」のインタビュー調査分析から考察する− 」, 2016
※2 同上
※3 「U理論について」http://www.presencingcomjapan.org/utheory/
※4 中土井僚『人と組織の問題を劇的に解決するU理論入門』, PHP研究所, 2014

Pocket

1 2