#103 NPO法人 スマイルスタイル 理事 島田 彩さん


「ふつう」という近道
「今やっていることが何年後に生きるんだろう、この洋服のほつれが5年後、なにか発明の鍵になるかもしれない……。そういうことを考えるのがめっちゃ好きなんです。
 それができたら、壁にぶち当たっても、思いつめて自殺するといった最悪なパターンに陥らずに済むのかなと。もちろん周りも止めなきゃいけないと思うけど、想像力・創造力や好奇心といった自分自身の力があれば、壁ができた原因を考えてみたり、人に相談してみたり、別の角度から捉えてみたりしながら、予防線をたくさん作りつつ困難な状況を打破していけるはず。人間には本来、そういう力が備わっていると思うんです。
 コミュニケーション能力とか打算的、戦略的思考はその後に積み上げていくもの。だからワークショップも、根っこにある衝動的なものを生み出そうという意識を持ちながらやっていますね」
 かくいう島田自身、「家庭環境、金銭問題、女の子にありがちないろいろな問題……。世の中でドラマとして取り上げられるようなできごと、たとえば金八先生に出てくる登場人物が経験するようなことはほとんどすべて自ら、あるいは身近な人間が経験している」という。
「そういう状況から脱出する方法は、身をもって修得したものが多いんです。「方法」とはいっても結局、人に話したり、そんな時でもちゃんと作ったご飯を食べたりする、みたいな普通のことなんですけどね。だから、これから起きることはあまり怖くないんです」
 「ふつうのしあわせをつくること」は、就労支援、教育事業、飲食など、スマスタの事業すべての根底に流れる理念とも重なるところだ。
「たとえば10年間引きこもっていて、人と目を合わせるのもしんどい、というような人に就労支援をする場合、必要なのは心理カウンセラーに会わせることだけじゃない。おやつを一緒に食べたり、転んでいるおばあちゃんがいたら起こしたりとか、ふだん生きていて当たり前にやるようなことをやる機会も大事やんなぁ、という考えはメンバーとも共有しています。そういうことって、遠回りそうで実は近道だと思うんです。
 スマスタの基盤にあるのは、人が本来持っているつながりの力や愛情で解決しようとする姿勢。だから手法としてはすごく泥臭くて、生っぽい。そこからプロジェクトにしていく設計やデザインは難しくて、スキルも必要です。でも根本的には、そんなに特別なことではないんです。実際、私生活でいろんな壁にぶち当たった自分を救ったのは自己啓発本とかではなく、なんでもないことでしたから」
 「ネガティブで根暗」だと自己分析する島田だが、他者の目には超人的にアクティブで前向きな人間として映るのだろう。仕事で接する高校生から「悩みももちろんあると思うけど、しーちゃんってなんでそんなにポジティブなん?」と訊かれることもある。「しーちゃんいたから今回はうまくいったけど…」と言われることも少なくはない。
「わたしにはビビリなところもあって予期せぬ失敗があまり好きじゃないんです。だから、念入りに準備するか、他者の力を借りるか、あるいは失敗する前提でやるか。失敗するから辞めようという選択肢はあまりないですね。
 人間は100回くらい同じことを繰り返せば、大概のことはできるんじゃないかなと思っています。挑戦することを怖れない、怖い時にも誰かを呼べるようにしておく、というようなことをやってみせる、いちばんの模範になりたいんです」
 高校生に「しんどいときとかにも、なんですぐに立ち直れるん?」と訊かれたとき、島田は「悩み以外に興味のあるものがいっぱいあるから」と答えている。
「わたしって注意力が散漫なんですよ。たとえばなにか辛いことがあって歩いていても、それだけを考えていることができない。道を歩いているときにご飯がおいしそうなお店に出会ったり、おもしろい顔をしている友だちと会ったりすると、そっちに気を取られてしまうから、悩みに集中できないんです。(笑)よく言えば気楽というのかな。
 もっとも、考えているばかりでも脳は成長せず、一回寝たほうが熟成するというか、思考回路が活発になりやすい、というのは医学的に証明された説でもありますから。悩んでばかりにいるのは生理的にも効率が悪いし、実際、好奇心が持てるものが世の中に多すぎる。だからポジティブになっているというよりは、単に集中力がないだけかもしれませんね(笑)
 今までどんな極地に立ったときも、どれほど長くても12時間以上、その状況に留まっていたことがない。一晩寝れば、また動こうという気持ちになるんです。自分が置かれている状況を変えようとする気持ちやアクションのほうがわたしは好き。衝動的に動くことは多いから、よく怒られるんですけどね(笑)」
 島田は歯科や眼科をのぞいて、これまで病院に行ったことが2回ほどしかないという。20代後半になり、風邪をひきやすくなったと自覚してはいるものの、病院や薬に頼ろうという気は起こらない。スマスタメンバー内でいちばん体力があることは、自他ともに認めるところである。
「健康は宝です。生まれつきのものかもしれないけれど、幼少期の食生活がめっちゃよかったというのは大きいでしょうね」
 食事には人一倍気を遣っていた母の方針で、幼少期の日々の食事はもっぱら一汁三菜と呼べるような献立だった。その徹底ぶりは一過性のものではなく、島田は高校生になるまで、カップラーメンを口にしたことが一度もない。そんな食生活が功を奏したのだろう。学生時代、健康診断を受けた折、親しい医師から「あんたの場合、細胞がもう大丈夫やから診んでええわ」と冗談半分本気半分といった口調で言われたことがある。部活動をしていた頃には、整体師から「(疲れないということは)乳酸がたまりにくい質のええ筋肉を持ってるんやろな。だから、これからもアクティブにどんどん動いていったらいいよ」と言われたこともある。
「幼少期の食生活しかり、体力が人よりもあることしかり、優遇されたような環境にいられたことは第一に感謝しています。だからそれを活かすしかないなと思っているんです」

 

自己中心的に生きる
 スマスタ代表の塩山は島田について「子どもたちをやる気にさせる天才」だという。
 島田はたとえ小学校低学年相手でも、声色を変えて「よくできたねー」などと言ったためしがない。高校生を相手にするときも、同じ目標に向かうなかでリーダーシップを取る瞬間はあっても、たいていは彼らと肩を組むように接している。
「まず高校生がおもしろいですから。彼らとやることなら、おもしろいに決まってるんです。声質も子ども向きやし、子どもに何かをするのが自分には合っていると思っています」
 島田には忘れられない思い出がある。2010年、小学生たちと数日間ともに過ごした出前授業が終わりに近づいたころ、島田の様子を眺めていた5年生の女の子が真顔でこんな疑問を投げかけてきた。
「しーちゃんってこどもなん、おとななん、どっちなん?」
 善意も打算もない。心の底から自然に湧き出てきた感想を口にしたすぎないのだろう。そう読み取れる彼女のまなざしに触れたとたん、島田は顔をほころばせずにはいられなかった。
「うわっ、そう見えた!? しーちゃん、それ目指してんねん!」
 抑えきれない感情の昂ぶりを身体であらわす島田をまったく理解できず、ぽかんとした表情を見せる小学生。その落差もまた、彼女の発言が無邪気なものであったという事実を裏付ける材料でしかなかった。
「今までの人生でうれしかったことランキング」においてチャンピオンの座についた一連の記憶は、今もぶっちぎりの1位を保持している。
「わたしは、あんまり他人(ひと)のことを考えていない自己中心的な人間です。ただそれは裏返せば、ぜんぶ自分ごととして捉えているということ。子どものために、という気持ちがないわけじゃないけど、自分が人の変化とかを見たり、関わったりすることにおもしろさや充実感を感じるという動機づけの方がはるかに大きいですから。
 みんなもっと自分を主語に生きてほしいというか、自分のことを考えまくってほしいんです。生きている限り、主語は自分でしかない。ただ、トラウマとか傷に阻まれて、そういう生き方ができない人もいると思います。だからわたしは、みんなが役割を持てる社会であり、自分が自分の人生の主人公と思えるような体験を就労支援や教育を通して作っていきたいなと思うんです。
 目立ちたいというわたしの欲求は、細かく言えば、人のリアクションが見たい、人の変化に立ち会いたいということかもしれません。就労支援を例にとれば、はじめてハローライフを訪れたときのおどおどした表情と、1ヶ月一緒に過ごした後、就職が決まって「一緒に飲みましょう」と声をかけてきたときの晴れ晴れとした表情がまるっきり違うのがおもしろい。子どもと接するときも、その変化に自分も携わることができた、一翼を担うことができた、と思えることがうれしいんです」
 2016年3月上旬、3ヶ月間のワークショッププログラム「高校生百貨店」はひと区切りを迎えた。同プログラムは、石巻や女川で暮らす20名の高校生たちがバイヤーとなって発掘した地元の商品を、仙台、大阪の催事場にて自分たちで販売する、という内容のものだ。立ち上げ時から企画運営をおこなうディレクターとして関わっていた島田のもとには、参加した高校生たちから以下のような感想が寄せられた。
「わたし、変わった。参加してほんとうによかった」
「この経験は転機になった気がする」
「今度はスタッフとしてお手伝いできたらいいな」
「すごくしんどかった!でもすごく楽しかった!!」
「しーちゃんがやってるのって教育デザインっていうの?
 まだわからないけど、わたしがやりたいことというか、なりたい大人ってこういうことなんじゃないかなって思った」
 あべのハルカスでフィナーレを迎えてから3日経ち、いまだほとぼりの冷めやらぬ3月11日。島田は彼らとの関わりを振り返りながら、日記にこうしたためている。
「高校生たちから届く声が、嬉しくて嬉しくてしあわせ。この仕事、しあわせすぎる。
 私は今日もこれからも「教育」を仕事に
 子どもたちを愛して、いっぱいの灯を創出したいな。
 きっと彼らは心豊かにまちをつくり、全員がこの社会を生き抜く主人公となる。
 今度は彼らが、次世代の子どもたちに伝えていく。
 そしたら、あー、 絶対に光るなあ」
 職場にある島田の机には、これまで出会ってきた子どもたちとの日々を思い起こさせる絵や写真が飾られている。限られたスペースには収まりきらず、箱のなかでいつか訪れるかもしれない出番に備えているものも一枚や二枚ではない。このたび、またひとつ上書きされた思い出は、島田の未来を煌めかせる光源にあらたな彩りを添えてゆくのだろう。
「子どもって信じられるなぁと思ったんです。いつからそう思っていたのかはわからないけれど、なんとなく未来を作っている感じがあったというか、すごくわくわくした。
 いや、「子ども」と「大人」という分け方は語弊がありますね。やわらかいものを持っている人たちと関わっていく自分も含めて未来を信じられるというか、自分と関わったことで彼らに起こる変化を信じながら全身でぶつかっていける感じがする、と言えばいいのかな。いつか出会う子どもたちと、あんなことやこんなことができる日が、もう待ち遠しいですから」

 

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