#108 シューズミニッシュ 専務取締役 藤尾 大介さん

見えてきた「自分」
「最近気づいたのは、今の自分はほんとうの自分じゃない、俺はこんなもんじゃない、というのは腹の底からやりたいことが見つかっていない自分への言い訳だったんだということ」
 転機となったのは、今年2月、高本と腹を割って話す時間を持ったことだった。
「定職に就いていなかった頃、海外を旅して自分探しをしているような人たちを馬鹿にしていたところもあったけど、そういう人たちより僕は自分のことをわかっていなかった。自分が否定していた人間よりも明らかに劣っていたにもかかわらず、劣っていることに気づけていなかったことを、最近ようやく自覚したんです」
 《やりたい事と やりたくねえ事とが 思いどうりにいかなくて 「夢は何ですか?」と聞かれる事が この世で一番怖く思えた》 長渕剛が歌う『Myself』の歌詞はまさに、自分のことを好きになれない藤尾の心情そのものだった。
「高本は同級生であり中学時代からの友達だけど、どこかでビビって気後れしてしまっている自分がいたのかなと思うんです。そういう関係性であることに加えて、入社してから10数年間、一緒に会社を作り上げてきたという自負もある。だからこそよけいに、器の大きさを感じる彼が羨ましかったのでしょう。
 かといって、その感情をバネに打ち負かしてやろうという気持ちにはならず、羨ましいだけで終わってしまってた。それをつきつめた先に行き当たるのはたぶん、すべて嫉妬という一次感情です。勝ち負けなんてどうでもいいとは思いながらも、その実、負けを認めたくなかったのかもしれません。だから、高本に対しては素直に負けを認めることにしたんです」
 入社以来、自身が携わってきた業務やそれを支えるイズムをおおかた後進へと受け渡しできつつあるのはここ1年のことだ。手が空き、自分にできる新しいことを模索するなかで、藤尾は先月、靴の生産を依頼している協力工場の人たちと対話する場を設定した。対話が不足しているという問題意識に端を発したその取り組みを、今後も継続していく予定だという。
 2016年8月、自然豊かな環境で自分を見つめ直すという目的で参加したイベントで与えられた課題に、藤尾はこう記している。(※ カッコ内が藤尾のコメント)
【私が他と異なっているのは「超一流のムードメーカー」だからです。
 私は「個別のメンバーの特徴を見抜き、成果を残せるチーム作りをしていくの」です。
 私は「個性とユーモアを尊重」しなければならないと信じています。
 そしてそれをするとき、私は「対話を大切にすること」を約束します】
 藤尾は言う。「チームのムードメーカーでいることが唯一、僕の誇りであり生きる場所なんです。他の強みといっても、数字に多少関心があって、分析的、推理的思考を好むという程度のものしかないですから」
 そんな藤尾にも、自分に適性が高いと感じられる仕事をしていた時期がある。20代半ば頃に経験したキャバクラのキャッチである。事実、それなりに成果を残していた藤尾は、会社から「社員にならないか」という話を持ちかけられている。
 風俗業界の規制が緩かった時代背景もあり、雑踏の中、行き交う男たちの傍にくっついて、食い下がるように話しかける日々だった。ちょっとやそっとでは折れないしつこさゆえ、苛立ったその筋の男から殺されそうになったこともある。
 それでも経験を積む中で、元来口が達者な藤尾は、相手のタイプに応じて態度を使い分ける「個別化」スキルを発揮しながら、着々と成果を上げていった。
 自身の強みを生かせていた藤尾だったが、「社員にならないか」と誘われたことを機に、水商売からきれいさっぱり足を洗う。会社から提示された35万/月という給料も、「この先何があるかわからない」という冷静な判断の前では大した力を持たなかった。
「やらしいけど、その時々で人が何を考えているかを考えるのは好き。だからというか、自分が目指しているわけではないけど、「世渡り上手」な人を否定したくはない。もちろん、法律とかルールを破ったら絶対ダメだけど、媚びとかごますりとかも含めて、テクニックを駆使したり細かく神経を遣ったりしながらうまく立ち回っている人は、その人なりに努力しているのだと僕は考えています」
 状況対応的でアレンジや即興を好む藤尾は、このインタビューにも一切よけいな情報を入れずに臨んでいる。
「たとえば中道さん(※ 筆者)の印象をすでにインタビューを受けたAとBに聞いたところで、そいつの主観が入り混じるから、返ってくる答えは絶対に違う。それって不安要素を生むだけだと思うんです。だったら何の情報も入れずにフラットに構えて、自分なりの感覚を大事にしたほうがいい。日頃から、振り返りをするにしても、「何が起きたか」という客観的情報と「どう思ったか」という主観的情報を選り分けて考えるようには心がけていますね」

「ムードメーカー」という生きる道
 お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志が好きな藤尾は、かつて読んだ松本の著書に書かれていた一節が忘れられないという。
「俺のことを嫌いな奴がいるとしたら、それは嫌いなんじゃなくて、俺が好きにさせてないんや、という内容には衝撃を受けました。ただそれはわからんでもないんです。
いや、人には好き嫌いもありますし、万人と分かり合うのは無理だということは承知しています。会社の経営陣のひとりではあるけど、人によって得手不得手があるのは言うまでもないこと。でもそれはそれとして、俺はこんなもんじゃねぇという気持ちが残っている証なんでしょう、自分が魅力的になることで、僕のことを好きにさせたいという気持ちは確かにありますから」
 いつだったか「藤尾さんの顔ってうんこの色と同じですよね」とスタッフに指摘されてから、誰からともなく「うんこ」と呼び慣わされるようになった藤尾が、栄えある「人糞」の称号を手にしたのは昨年のことだ。
 専務取締役という要職に就く年長者。その立場をつゆほども感じさせない激しいいじられっぷりは、もはや無法地帯と化している。規律性の高い一部のスタッフからは「度が過ぎているのではないか?」と心配する声もあがるが、当の本人は「全然OK。むしろ僕がNGを出そうという感情になるようなことをやってほしいくらい(笑)」と余裕しゃくしゃくだ。事実、「人糞」と呼ばれたときも、「まだ人のうんこなだけマシや」と軽やかな切り返しを見せている。
「人がツッコミたくなるような自分を演出することで、とっつきやすい人間だと感じてもらえればいいなと思っています」
 学生の頃から、ムードメーカーの下地はあった。得意技は、場の空気を読みつつ、頃合いを見計らって投入した気の利いた一言で笑いをとること。やみくもにパンチを連発するのではなく、一発で鮮やかに仕留めることが好きだった。
「今も、笑いが欲しくて欲しくて仕方ないというくらい、おもしろいことがとにかく好き。というより、僕の言った一言とか僕がやったことでみんなが笑っている状況が生まれるとすごく気持ちいい。
 今からでもなれるけど、生まれ変わって2番目になりたいのはお笑い芸人なんです。そのくせ群を抜いた緊張しぃで、一度スベったが最後、立て直せなくなるほどボロボロになってしまうのが厄介なところ(笑)。自分が笑いをとることに限らず、たとえば大阪ミナミの繁華街を歩いているときには、おもろいことを言うキャッチの兄ちゃんとの出会いを待ち望んでしまうところもありますから(笑)。
 そう語ると、おまえ何屋やねん、という話ですけど(笑)、企画会議で妙案が思い浮かばないときとか、生産性のない話が何かを生み出す場面ってあると思いますしね」
 昨年11月、中期経営計画の発表を終えた後、思ったほどウケなかったことに気落ちする藤尾の胸には、「おもしろかった」という観客の感想も響くことはなかった。自身が嫌うはずの100点主義を自覚させたのは、「なんでそんなに笑いにこだわんの?」という東京から来た観客の素朴な疑問だった。
「最近、自分が前に出ることで場のムードがよくなったり、楽しい雰囲気になったりするのが気持ちよくなってきました。テレビにもみんなと一緒なら僕も出たいと思うようになりました。
 昔は目立ちたくないという思いが勝っていたんでしょう、今のようにコスプレをして前に出ることは嫌いだったし、テレビに出たいと思ったこともあまりなかったですから。
 たぶん、多少なりとも自分のことを嫌う気持ちが薄れてきたんだと思います。高本も言ってますけど、自分で自分を評価するってすごく大事なことですよね」

等身大の自分で
 自身の命題とみごとに合致したからだろう、藤尾の胸にはいま、1ヶ月ほど前に開かれたイベントの参加者が口にした「僕は“Who am I?”を問い続けています」というコメントがこだましている。受け売りの言葉をさも自分で考え出した言葉であるかのように方方で使い倒しながらも、藤尾は「小手先で何とかしようとすることが多かった」過去から脱却すべく、自分と向き合う日々を送っている。
「エジプトのピラミッドにも「最近の若いもんは……」と落書きされていると聞いて確信したけど、世の中の言葉なんて全部受け売りですから(笑)」
 自身にはイマイチその凄さはわからなかったが、プロをも唸らせる手を打つ羽生善治に、徹底的な合理主義を貫く落合博満。かつての藤尾にとって、ふたりは憧れの的だった。とりわけ有言実行、「三冠王を獲る」という宣言どおり三冠王を獲った落合の姿には心惹かれるものがあった。
 しかし、等身大の自分を見据えられるようになった帰結なのだろうか、いつからか特定の誰かへの憧れは影を潜め、胸の奥にしまわれた憧れという感情にも埃がかぶっている。
「最近思うのは、自力で何かを掴みとるにしても、きっかけは絶対誰かが与えてくれているということ。身近なところでも、嫁さんや2人の子ども(小学校2年生、4歳児)がきっかけを与えてくれることはたくさんありますしね。
 だから、きっかけをくれたすべての人や物事に対する感謝や尊敬の気持ちはいつも持っています。といっても、いろいろきっかけを与えてくれた高本に感謝してます、というのは非常に悔しい(笑)。ともかく、自分がしてもらったように、誰かに対してきっかけを作ってあげられるような影響力の大きい人間になりたい。今はそれだけですね」
 夢は何ですか?——そう聞かれることはもう、怖くはない。

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