#109 シューズミニッシュ 営業 上嶋 敦さん

109-上嶋敦さん 「ミニッシュは僕が働きたい会社そのものだったんです」

 

1976年生。大阪府出身。小学生のときに始めたラグビー歴は11年。甲南大学卒業後、旅行会社、家具販売会社にて勤務。主に営業マンとして15年近くのキャリアを積み、2014年7月、高校時代の同級生が社長、専務を務めるシューズミニッシュに入社。以来、営業を担当している。「起床後に腕が回らなくなるまで腕立て伏せをするのが毎朝の日課」だと噂の、自他ともに認める「ゴリラの中のゴリラ」。

※ 文中敬称略

記事公開:2016-09-21

 

仲間に入りたくて
  その日、酒に酔っていたのか、幻に酔っていたのかは定かではない。ひとつ確かなのは、目の前で繰り広げられていた光景が、これから所帯を持つ30代後半の男に夢を見させるほどに魅惑的だったということだ。
 2013年10月。上嶋が職場で出逢った妻と結婚式を挙げたその日、新たな船出を告げる節目は人生の潮目をも運んできた。24歳のときより14年近く勤めてきた前職(以下、O社)からの転職を上嶋に強く促したのは、二次会の会場で目にした同級生の姿だった。
 上嶋が二次会の司会進行を頼んだのは、高校時代の3年間、ラグビー部で時を共にした友人・高本泰朗である。
 地元大阪にて下請けで靴を製造する家内工業を年商10億規模(2012年度決算額は12億円)の会社にまで成長させた―—。そんなミニッシュ社長・高本の活躍ぶりを耳にしたことがなかったわけではない。「今なら到底頼めない(笑)」という上嶋だが、快く引き受けた高本は、O社の同僚や上司、大学の同級生ら総勢70〜80人が集う場を精一杯盛り上げてくれたのである。
「バカ騒ぎしながら腹の底から笑えた時間でした。おもしろいことをしてくれてありがとうという気持ちになったし、嫁さんからは「いい友達持ったね」と言ってもらえました。今でもその時の映像をたまに見返して、ゲラゲラ笑ってしまうんです」
 会場では、ミニッシュで働く藤尾と一木もサポート役として一役買っていた。ふたりも高校ラグビー部の仲間である。身体が覚えているノリや笑いのツボは、彼らが本質的には何も変わっていないことを語っていた。
 幻のような時間だった。20年という歳月を一跨ぎにして、記憶の底に沈んでいた日々を思い起こす上嶋の胸には願望めいた思いが芽生えていた。彼らとこのまま一緒に働けないものだろうか―—。
「存分に楽しんで場を盛り上げてくれた彼らの姿からは、同じように楽しんで仕事をしている様子がうかがえました。すごくパワーを感じたのと同時に、自身の現状を省みる機会にもなったんです」
 その日をさかいに心の片隅に居座ったミニッシュという存在が一気に膨らむきっかけとなったのは、半年後、飲み屋で聞いた高本の一言だった。
「やっぱり子どもに自慢できる仕事をしたいやん。毎朝、出勤するときに笑顔で家を出ていけるような仕事に携わってるほうが絶対ええやん」
 その言葉は、まだ子どもがいなかった上嶋の心を揺るがした。
 結婚したてでマンションを購入したばかり。住宅ローンを払いながら家族を養っていかなければならない身として、未来を案じなかったわけではない。不安がる妻にも「絶対大丈夫!」と言い切れるはずもない。だが「一回スイッチが入ると、もう止められないと思っていた」と妻も言うように、いちど固まった気持ちが翻ることはなかった。ほどなくして上嶋は辞表を提出する。
「O社では仕事に行き詰まっていた時期でもありました。組織の歯車のひとつにしかなれない職場では、自身の将来像がまったく描けなかったんです」
 とはいえ、逃げの一手だったわけではない。辞職するつい数ヶ月前まではむしろ、10年ぶりに戻ってきた大阪で一旗揚げてやろうという気概に溢れていた。よもや自身が転職するとは思ってもみなかった。

味わってきた、組織の不条理
 ある意味、組織の不条理に抗い続けた20〜30代だったのかもしれない。
 O社に入社後早々、24歳の上嶋は出鼻をくじかれていた。想像の域を超えないが、見た目の印象が洗練されていないと判断されたのだろう、営業担当として入社したにもかわらず、2ヶ月と経たずして、商品管理部にまわるよう店長から通達されたのだ。
 花形とされる営業職は憧れだった。社内のエース級と同様、営業一筋で出世街道を駆け上がっていきたかった。だが待っていたのは、営業マンとして烙印を押されたような処遇である。自尊心が傷つくと同時に、歯噛みするような悔しさが湧き上がってきた。売れた家具をトラックヤードにまで運び梱包するという、きわめて肉体労働に近い仕事を求められる商品管理部は、「営業ができない奴がまわされる場所」だった。
 それでも気持ちの切り替えは早かった。「やるしかない」と肚を決めた上嶋は、誰よりも早く仕事をこなすことを信条に、だだっ広い敷地内を駆け回るがごとく働くようになる。腕力には自信があったこともあり、2mほど近い幅があるソファやクイーンサイズのベッドなど、通常なら二人がかりで進める作業もひとりでこなした。
 1日につきポロシャツの替えを2枚必要とする真夏のトラックヤードは蒸し風呂だ。営業に復帰できる確約があったわけではない。ただそうすれば這い上がれるんじゃないかという希望だけが、汗にまみれて働く上嶋を支えていた。
 捨てる神あれば拾う神あり。仕事に取り組む姿勢を評価してくれたのだろう。ひとりの上司が、売り場のディスプレイなど、新しい仕事を与えてくれたのは半年ほど経ったときのこと。1年目の新米社員には珍しいケースだった。
 頑張ればこんなふうに報われるのか―—。至極明快な図式にアクセルをぐっと踏み込んだ上嶋にさらなる追い風が吹く。部署間を横断的に動ける商品管理部というポジションが幸いしたのだろう、ときおり接点を持っていた照明コーナーのトップから「上嶋が(うちの部署に)ほしい」と名指しで声がかかったのだ。そして励ますようにこう助言された。
「うちで働く以上、営業が花形だということはわかってると思うけど、いろんな部署を経験したほうが、のちのち営業として強みを発揮しやすい。(独立した部署を持つ)照明、カーテンだけじゃなくて、総務や人事とかも経験して、うちのプロフェッショナルになったらええよ」
 かくして照明部署で働くこと2年。照明コンサルタントの資格も取得した上嶋は、福島県への転勤を告げられる。新たな職場となったのは、郡山市内にある百貨店のワンフロアに構えられたショールームだ。規模は小さいながらに、照明コーナーのリーダー(といっても担当はひとり)というポストには奮い立つものがあった。28歳の秋だった。
 抜擢されるようにして与えられたそのポストを務めること5年。会社が百貨店からの撤退を表明したことを機に、上嶋はビルをまるごと借りた仙台にオープンする新店の立ち上げに関与、開店後は営業リーダーに昇格する。加えて、福島時代から仲間として働いていた男性社員の大半は、自身がセッティングした飲み会や合コンでの出逢いを機に結婚するなど、スタッフの“アニキ”としても存在感を発揮。そうして順調に階段を登っていく上嶋の前に突如立ちはだかったのは、東京から転勤してきた新しい店長だった。
「どうもその人は僕を気に入らなかったみたいで、目も合わせてくれなければ、話もしてくれなかったんです。憶測にすぎないけれど、仲間に恵まれていた僕のことを敵とみなしたのかもしれません」
 店長の決裁で営業リーダーから降格させられた上嶋は、照明担当の平社員にキャリアダウン。と同時に、いずれは係長、次長、店長に……と思い描いていた青写真もひび割れてゆく。半ば腐りかけていた上嶋だったが、上司との人間関係だけで仕事を投げ捨てるほど若くもない。接客の仕事で得られるよろこびや培ってきた仲間との人間関係を支えに冬の時代を忍んでいた。
 だが無情にも、福島時代から付き合いのある仲間たちもひとり、またひとりと実質的な権力を持つ店長の方になびいていく。しだいに肩身が狭くなっていくのを感じていたある日、上嶋は大阪への転勤を命じられる。上嶋が相談を持ちかけた折には「いつでも大阪に帰ってきたらええよ」という言葉をかけてくれていた、尊敬する上司の計らいだった。
「正直、複雑な気持ちでした。仙台という土地が好きで、仲間もいましたから。でもそいつから離れられるのならまた道は拓けるかもしれないという期待もあって、すんなり受けました。だから大阪では、心機一転、がんばっていこうと思えていたんです」
 仙台では2年ほどトップクラスの営業成績を維持していた上嶋だが、37歳で大阪に戻ってきたとき、商圏が異なる地域で自分がどれくらい通用するのか、自信もあれば不安もあった。しかし転勤後初となる営業成績の期末発表では、全国1,000名中トップ50に名を連ねた。
 手応えある結果はやがてチャンスを運んできた。次期からは約20名の営業マンが属するチームのサブリーダーを任せたい、と声がかかったのだ。だが時すでに遅し。心はもはや、ミニッシュへと移ろっていた。
「大阪に戻ってきて半年くらいは頑張れたんですけどね。数多いる営業のひとりとしてこなす仕事のやりがいは、一国一城の主のように照明部門を任されていた福島時代のそれには敵わなかった。好きだった接客もだんだんルーティンワーク化して、おもしろみも薄れてきていましたしね。例の結婚式の二次会があったのは、ちょうどその時期だったんです」
 生え抜きの若手を責任ある立場に積極的に登用していく、というのがO社の全体的な方向性だった。事実、本社のある大阪には約20名のチームが5つ、計100名の営業マンがいたが、出世街道に乗るような連中はそろって、20代後半〜30歳でチームリーダーに抜擢されていた。
 遅咲きの営業マンは、その流れには乗れていなかった。だが、いちど降格の憂き目を見た人間が37歳でもとのポジションに返り咲くことは社内でも稀なことだった。
 もしそこで踏ん張って続けていれば、“いぶし銀”として独自路線は敷いていけたのかもしれない。家具を極めて出世していく営業マンが大半を占める中で、照明やカーテンという専門性を身につけた希少価値の高い存在として居場所を確保できたのかもしれない。事実、転職する意思を告げたとき、上嶋は上司の店長からこう言われている。
「もったいないな。照明のノウハウも持ってるし、これから(他の奴にはない)おまえのスキルを生かせるようなステージで上がっていければいいと思ってたんやけどね」
 名残惜しそうに語る店長の言葉にも心は動かなかった。ひとつのライフステージに幕を下ろした上嶋の胸中はむしろ、どこか晴れやかだった。心の彼方には、新卒で就職した会社をたかが1年数ヶ月で辞めてしまったという過去の汚点がかすかにその姿を留めていた。《次ページヘ

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