#111 RegettaCanoe RinCチーム 木村 花野子さん

木村花野子さん 「人のよろこぶ顔を見ると、わたしはうれしくなるんです」

 

1988年生。広島県生まれ、愛媛県育ち。高校卒業後、大阪の服飾関係の専門学校に進学。卒業後、女性下着のデザイナー、ダーツバーの店員などの職を経て、2012年4月、シューズミニッシュに入社。企画部、総務部を経て、2013年4月、RegettaCanoe(以下、RC)初の直営店舗となる南船場店の店長となる。現在は、自社商品を扱うパートナーショップや顧客と本社(ミニッシュ)をつなぐRinCチームの一員として仕事に取り組む「小さな巨人」(高本泰朗談)。

※ 文中敬称略

記事公開:2016-10-12

 

存在価値を求めて
「もう勉強やらんけん。自分のやりたいことをするわ」

 木村が母にそう宣言してマクドナルドでのアルバイトを始めたのは、高校入学後間もない15歳のときのことだった。

 胸には漠然とした将来への不安がくすぶっていた。自分にはなんの特技もなければ取り柄もない……。沈んだ気持ちを抱えながらも、いずれは服飾関係の仕事に就きたいと、服飾関係の専門学校に進むことを決めたのは中学生のときである。

 目の前には一本道が続いていた。友人と街の古着屋に通っていた木村は、やがて親しくなった店長から「服とか作れるんやったら、作って販売してみたら?」と声をかけられる。リメイクした古着やピアス……。店頭に並べてもらった自身の“作品”が売れた喜びは、服飾関係の仕事をより具体的で現実味を帯びた目標へと近づけていった。

 小さい頃から服が好き、ものを作るのが好きだったというのも服飾関係の仕事に進路を定めたひとつの理由である。

 美術系の学校を出た母は、主婦として家庭を切り盛りする傍ら、フリーランサーとして顧客を開拓しながら、広告デザインの仕事を請け負っていた。県内にあるスーパーのチラシなど、真っ白な紙面が綺麗な文字やかわいいイラストで彩られていく様は、傍で見ていて感動すら覚えるほど胸が躍った。

 母もものづくりが好きな人だったのだろう。幼い頃に作ってもらったアンパンマンのリュックサックなど、木村ら3きょうだい(姉と兄)の日常には母の手作りグッズがありふれていた。そんな環境で育った木村が、子ども用のミシンで遊んだり、服を自作したりと、ものづくりが好きになるのは、ある意味自然な流れだった。

 かくして木村は、実家のある愛媛の高校を卒業後、計画どおり大阪にある服飾関係の専門学校に進学する。しかし「就きたい職業は定まっていなかったから、その瞬間を楽しむように時を過ごした」身に、見晴らしのいい未来は描けずじまい。リーマン・ショックの影響をもろに受けながら、かろうじて正社員として就職できたのは、女性下着をデザインする小さな会社だった。

 1年半ほどで辞めたその会社にはこれといった思い出がない。

 仕事があるかどうかわからないのに出社して給料をもらえたり、スタッフの仲が悪く、社長の機嫌によって物事が左右されたり。もとより「仕事をさぼったり、手を抜いたりするのがすごく嫌い。真面目な性格もあってか、ちゃんとやることをやってお給料をもらいたいと考える」人間なのだ。

 そんな環境で働いていると、決まって身体が不調を訴えかけてきた。それでも大きく崩れることがなかったのは、学生時代から続けていたダーツバーのアルバイトがあったからだ。朝方になっての帰宅、飲酒しながらの接客。決してよいとはいえない労働条件にもかかわらず、ダーツバーで働いた日には不思議と体調が回復した。

「仕事は楽しかったし、自分が受け入れられている感じがあって居心地がよかったんです。きっとそのおかげで精神的なバランスが保てていたんでしょうね」

 その点、高校時代に3年間勤めたマクドナルドでのアルバイトはやりがいがあった。学校では禁止されていたため、木村の担当は外から顔が見えないキッチンエリア。客からのオーダーにしたがってパンを焼いていく係だった。

 端的に言えば、スピードと正確性、チームワークが求められる仕事である。木村は要領がよかったのか、つぎの作業工程を担うスタッフの前で流れが滞ることが多く、そのたびに苛立ちを覚えていた。

 そんなある日、木村は店長から「木村さんのせいで売上変動することがある」と叱責めいた注意を受ける。その場では突き返すかのように「忙しいんで戻ります」と答えた木村だが、冷静に考えたとき、チームの輪を乱しているのは自分だったのかもしれないと思い当たる。その頃を境に、木村は「大丈夫?」とまわりに声をかけたり、スタッフの休憩をまわしたりとチームワークを考えながら働くようになっていく。

 それが功を奏したのか、店の売上高、売上目標の達成率も増加。店がひまになり他のスタッフが雑談を交わしているときにも、自分たちと入れ替わりで入ってくる夜の部の中高年スタッフが仕事をスムーズにこなせるよう、積極的に自分にできる仕事を探して取り組んだりもした。そんな姿勢が店長から評価され、時給アップにつながったりと、店では欠かせない人材になっていったのである。

 それから8年。ミニッシュ入社のきっかけは、専門学校の同級生である向(企画部)からの紹介だった。RCに配属されるまで、木村はいわば会社のルール作りをおこなうミニッシュの総務部で1年ほど働いている。

 正社員として雇ってもらえたことはありがたかったが、木村の心はどこか晴れなかった。極端に言えば、自身が用意する交通費の請求用紙がなくとも会社は回っていくのだ。現場でがんばっている人たちに、入社したばかりの自分が何かをお願いするのは気が咎めるというのもある。わたしはなんのために総務の仕事をしているんだろう……。行き場の定まらない心を持て余しながら、忙しそうではあっても、目的意識を持って溌剌と働く企画部の人たちを羨望の眼差しで見つめていた。

自分を偽らずにいられる場所で
 転機となったのは、生野区の区民センターで開催された「ものづくりフェスタ」に立ち会ったこと。近隣のものづくり企業が集まって商品の展示・販売をおこなうイベントに木村はスタッフとして参加したのである。

 木村にとっては専門学生のとき以来、数年ぶりに携わる接客業務だった。楽しいひとときを過ごす木村の胸の裡には、1年ほど、アパレル販売員の仕事をしていたときの記憶が懐かしさとともに甦っていた。

「アパレル販売員時代は、お客さんと話すのは好きで楽しかったけれど、テンションを上げて「お似合いですね!!」と言うのが苦手でした(笑)。売上を上げるために、自分を偽ってまで接客したくはなかったんです。

 その点、うちの商品は「お似合いですね」って言わなくてよかった。機能性が優れているおかげで、試し履きをした瞬間、お客さんが「この靴、すごい」と興味を持って話し出してくれたからです。で、わたしが商品について説明するとさらに喜んで、他の靴も履いてみたいと前のめりになっていく。そんな場面に立ち会えたことがうれしかったんです」

 設立後間もないRCで直営店舗を立ち上げる話が出たのはそんな折のこと。やってみたいという前向きな思いを抱いていた木村は、取締役からの後押しもあり、初代店長に就任した。高本や日吉をはじめ、社員は誰ひとりとして店舗運営の経験もノウハウを持ち合わせていない、いわば航海図を持たない状態での船出だった。

 その後、RC2店舗目・吉祥寺パルコ店(4ヶ月の期間限定)の出店が決まった折は立候補して店長に着任。現在は店舗運営からは退き、運営をサポートする側に回っている。

「うちの店舗にはマニュアルは一切ないんです。たとえば店頭で靴を両足とも展示すると盗られてしまうリスクがある、という考えに対しても、高本社長は「盗った人が履いて広めてくれるんじゃない?」という感じで構えています。

 高本社長も日吉社長も基本的に「お客さんのためになると思うんやったらやってもいいよ」というスタンスだから、正解か間違いか、迷うことも少なくはない。でも、わたしたちの考えを尊重しながら、いろんなことにチャレンジさせてもらえるのはすごくありがたいこと。日吉社長は絶対にわたしたちの提案を否定しないことがわかっているからこそ、目的とか予算、メリット、デメリットをちゃんと考えようと思うんです」

 RC直営店舗の店長となってから、木村は「接客・販売」の新たな扉を開いていくこととなる。大阪という土地柄もあるのだろう、靴を履くなり店内でスキップしたりダッシュし始めたりするおばちゃんもいるなど、商品のすぐれた機能性は何より雄弁で説得力があることを幾度となく肌で感じてきた。

「商品力のおかげでさらにお客さんとの会話が弾みます。だからなのか、お客さんがくつろげる空間を作ろうという雰囲気が直営店舗ではおのずと育っていった気がします。実際、直営店舗での接客は長いと1時間以上かかることもありますから」

 RC直営店の店長というポストは、木村にとって自分を偽らずにいられる場所でもあった。

「窮屈そうにしながらヒールの高い靴を履くお客さんには「これたぶん、お客さんの足に合ってないですよ」とはっきり言います。売上目標は設定しているけど、目的ではない。お客さんのためになるとは思えないことをしてまで売りたくはないんです。店舗スタッフたちも、オープン当初からそういう気持ちを持って働いてくれていると思っています。今は、全国にあるパートナーショップの販売員さんがそういう気持ちを持って販売できる状態を目指しているんです」

 2年ちかくの店長経験を積んだ木村が、発足したばかりのRinCチーム(当初の名称はサポートチーム・メンバーは3名)の一員となったのは2014年のことである。

 ぐんと伸びた自社商品の売れ行きに追随するかのごとく、全国各地でパートナーショップが相次いで誕生、「あいだに問屋をはさむうえに、扱う会社も違うため、自分たちの思いやビジョンが店舗に立つ販売員まで届かなくなってしまった」というのがRinCチーム発足のいきさつだ。

 以来、RinCチームは顧客を招いて自社商品を紹介する受注会を開いたり、顧客からの問い合わせや商品修理に対応したり、各店舗の売上を管理したりと、「何でも屋」として機能してきた。

「パートナーショップの人たちやお客さんと本社の人たちをつなぐ立場として、情報や熱をもうすこしダイレクトに伝えられるようにすることが当面の目標ですね」《次ページヘ

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