#116 ナガオ考務店 代表取締役 / シューズミニッシュ エア社員 長尾彰さん


 自然学校で富士の樹海に1泊したのは、小学校5年の秋のことである。ブルーシートだけを手に、日暮れ近くに到着した現地にて、牧野は約500mおきに割り当てた1人あたり直径2mほどのサークルを指してこう告げた。

「このお守り(サークル)から出なければ絶対に安心だから、ここから出るなよ。おれは明日の朝、陽が上ったころに迎えに来るから」

 恐怖と闘いつづけた一夜だった。そう遠くないところに人がいるとわかっていても、人の気配はまったく感じられないのだ。ただでさえ新月で真っ暗なところに、懐中電灯もない。視覚が一切奪われた状況では、他の感覚が研ぎ澄まされるのだろう。樹のざわめき、枝が擦れる音、正体不明の動物の足音……。樹の根っこも音を鳴らすのだと知ったのは、そのときのことだ。

 「自殺の名所」という知識も恐怖を助長しただろう。物音がするたびに心臓が止まるのを感じながら、寝ているとも起きているともつかぬ状態で過ごしているさなか、ふと気づいたのは、「音があるのは動きがある証拠。それはつまり、独りじゃないということ」。その後も、防寒具としては力不足のブルーシートにくるまりつつ、寒さに身体を震わせながら朝を迎えたとき、真っ先に気づいたのは太陽の暖かさだった。

「無音であることの恐怖は、人の心をさみしくさせるのだと知りました。だからいまでも、ひとりで寝ているとき、周りが静まり返っていると不安になる。車の走る音が外から聞こえれば、独りじゃないとわかって、とても安心するんです」

 小学校4年で「琵琶湖一周」を体験した身に、翌年の「富士五湖一周」はさしたる思い出を刻まなかった。小学校6年の夏休みに実施された、式根島の砂浜で20泊するという企画では、予定されたプログラムはなく、探検なり、漁師の仕事やくさやの製造過程を見に行くなり、自分で自由にテーマを決めて行動する毎日だった。

「人はテント生活が続くと、靴を履かなくなり、風呂に入らないのも普通になるんです。現地住民との交流も深めながら、野生に還っていくような感覚は他では得られないものでした。

 いずれの企画でも、「自分のことは自分でやれ」「よく考えろ」としか口にしない牧野さんのスタンスは一貫していました。ただ、牧野さんが僕に強い影響を与えているんだな、すごかったんだなと思うようになったのは、5年くらい前のこと。なんだこのじじぃ、狂ってるのか、というのが当時のリアルな心境でしたから(笑)」

 それでも長尾は辞めなかった。入校するも、戸惑いのあまりすぐに辞めていく子どもたちが大半を占めるなか、小学校4年〜6年まで3年間在籍した稀有な存在だった。

「振ってくるお題をどうすれば乗り越えられるのか、考えるのが好きだったんでしょうね。簡単なお題はすぐに飽きちゃうからやらない一方で、難しければ難しいほど燃えるようなところはあったんです」

 中学時代には運営側に入り、牧野を手伝う形で関わった。バスケットボールに夢中だった高校時代は足が遠のいたものの、大学時代には牧野からの要請もあり、長期休み、週末のたびに静岡に戻り、牧野イズムを体得した者として補佐役をまっとうした。

「琵琶湖一周中、牧野さんが教えてくれたのは、縁石の上でずっと黙って横に座っていることが、こんなにも強い強制力となるのかということ。逃げ出す自由も与えられていた状況で、自分のことは自分でやるしかない、考えるしかない、と身体に染み込ませてもらったというのかな。当時、牧野さんが生半可ではない関わり方をしてくれていたおかげで、何があっても自分で何とかできるだろう、と根拠なく思い込めている今がある。野外技術とは別のサバイバル精神のようなものが培われたように思っています」

 

仕事=となりに居続けること

「きっと牧野さんの関わり方が僕の中に根付いているんでしょうね、自分のことが自分でできるようになる、というのは今も一貫して大事にしていること。だからファシリテーターとして、僕はチームが動き出すまでとなりに居続けます。

 ただ、お客さんが「彰さん、どうにかしてくださいよ」「金払ってるんだから、プロなんだから(何とかできるでしょ)」という目で見てくる、要は依存される気配を感じたら、その場を離れます。「僕は隣の部屋にいるから、皆さんで話し合ってまとまったら声をかけてね」というふうに。

 実際、「こうやりましょう」「こうしたらいいんじゃないですか」と、答えを明示、提案するのは自分も相手もすごく楽になる。でも、それをしたら負けなんです。

 答えを知りたいという相手の望みに応えていないわけだから、そのとき、そのやりとり自体は快適ではありません。でも、1,2年経ってから「あのときに隣の部屋に行ってくれたから今がある」というふうに感謝されることは少なくない。即効性はなくとも、定期的、継続的に関わりながら、それ自体に価値があるプロセスを提供し、かつ成果も出せる。そもそも、そんな仕事がやりたくてナガオ考務店を立ち上げたわけですしね」

 ここ3年、長尾の仕事は概ね、火曜から金曜は関西圏に出張、土曜から月曜は東京というサイクルで回っている。

「時間や労力面の効率を考えれば、広島や大阪までわざわざ行かなくても、スカイプなり何なりを使えばファシリテーションはやれるでしょう。でも大事なのは、僕がその場にいること。「彰が来るから仕方なくやろう」という動機であってもいい、とにかく僕が存在すること自体に意義や価値があるのかなと。

 やり方としても、極めて合理的で生産性が高いと思いますしね。効率性と生産性はトレードオフの関係にある、というのが僕の考え方。効率を追求して上がるのは生産性ではなく、再生産性。ゼロからイチを生み出す過程と効率性は相反していると思っています」

 長尾が提供する1泊2日のチームビルディング合宿を通して、高本泰朗が「リーダーシップのあり方を考えさせられた」ことを機に、ミニッシュに月2回のペースで通いはじめてから3年。会社の核となる16名のメンバーが、経営理念を1年半かけて練り上げた過程に伴走しつづけた長尾は振り返る。

「仕事を中断して、いつ答えが出るかわからない作業を続けるのは、たいへん非効率的でした。でもそれが効いているというか、「高本泰朗の会社」から各々が自分ごととして捉える「自分たちの会社」に変わった今がある。僕はどんなことでもチャレンジできる土壌があるミニッシュの未来を一緒に作りたいし、そばで見守りたいんです」

 

独自性を追い求めて

 何が問題なの? なぜその問題が起こってるの? どうしたらいいと思う? 

 長尾がいる空間には、たえず疑問符が宙を舞っている。

「(ミニッシュに限ったことではないけれど、)ふつうっぽい会社になるのをいかに阻止するかが僕の役割だと思っています。仲間がだんだん増えていくにつれ、就業規則やマニュアルを導入しようとする動きが生まれるので、「ほんとにそれって意味ある? どうしたら(経営理念として定めた)「唯一無二のおもしろ企業」になれるの?」と問いかけています。

 それは自分なりの「唯一無二のおもしろ企業」でいいんです。といっても、勝手気ままにやればいいわけじゃない。自由には必ず責任が伴うし、やるからには最後までやり通さなくちゃいけない。自由を掴み取ることそのものがすごく大変なことなんですけどね」

 唯一無二を実現させることは、長尾自身が辿ってきた足跡でもある。よその研修講師と自分を比べてばかりいた「している」時代は、色んな人のセミナーに参加し、その人のいいところを真似たりしながら、競争優位性を保つため、懸命に差別化していたのだ。

 ファシリテーター養成講座を開催していたこともまた、唯一無二とはついぞ合流することのないベクトルだった。目的としていたのは、自分と同じようなスキル、技術を持った人を増やすこと。生徒に仕事をふって何割かの紹介料を得る家元制度のような仕組みで儲けを得られた反面、満足いくレベルに至らないコピーに苛立ちを募らせる日々だった。

 ナガオ考務店を立ち上げ、独自化路線を歩みはじめてからはコピーを作るのを辞めた。「ファシリテーターとは◯◯」そんな定義などないことを知り、自分にしかできないことをやっている今、「ファシリテーター養成講座なんて、二度とやるつもりはない」という。

「俺は俺にしかできないことを突き詰めるから、あんたはあんたにしかできないことを突き詰めてよという感じです。差別化に力を注いだ30代を経て、人と比べることの無意味さ、みたいなのを知った今は、ようやく無駄な力が抜けてきた感じはありますね」

 ひとつの価値観にとらわれて、縛られていることも、差別することで自分の優位性を感じるのもすごく不自由。その考えによって生まれたのが「世の中から差別と偏見をなくす」というナガオ考務店の経営理念だ。

 視座を一段高め、思考の抽象度を上げるとともに、その経営理念を「調和と繁栄の均衡を保つ」にアップデートしたのは、2016年8月のことである。

「みんな違うから調和が生まれ、それぞれの違いを生かすから繁栄が生まれる。杉ばかり植林された森は人間が手を入れないとあっという間に廃れていくのとは対照的に、調和がとれている森には違うものがたくさん生えている。違うことに意味があって、違いをうまく生かしている、そのままの姿がもっとも自然だということに気づくヒントを与えてくれたのは、小さい頃に森の中で味わった原体験です。

 自然界と同様、チームにおいても自由な感じを自然に作りたいんです。人がやらなければならないと思ってやってるときと、やらずにはいられないことをやっているときの喜びの顔、声、振る舞いはまったく違う。僕は後者というか、自由な人を増やしたいんですよね」

 

望んでいた自由

 他人が自由を手に入れる過程に伴走する人生と、みずからの自由を希求する人生。その両者は、長尾にとってのパラレルライフである。

「したいこととしたくないことがはっきりしている、悪く言えば協調性に欠ける子だった」長尾が学校の授業に出席しなくなったのは、小学校3年のときのことだ。

 「本ならばジャンルを問わず、いくらでも買っていい」という母の教育方針もあり、小さい頃から読書が大好きだった。3,4年の頃に松本清張や北方謙三を読んでいるようなおませな小学生に、学校から与えられる教科書や授業はとにかくつまらなかった。

 それなら図書室で本を読んでいたほうがよっぽど楽しいし、勉強の範疇にも入るだろう。そう考えた長尾は「図書室で勉強したい」という希望を担任教師に伝えるも、「ダメ」「座ってなさい」と一蹴されるのが常だった。それでも納得できずに対話を求める長尾は、教師からすれば、生意気で小憎らしい子どもに映ったのかもしれない、冷たくあしらわれることが続いたなか、決定的な事件が起こったのは、ある日の国語の授業中だった。

 教科書に載っている文章をみんなで声を合わせて朗読しなさい。教師からそう指示されたとき、長尾はひとり、他の本を読み始めた。

「何やってんの!」

 教師からは怒声が飛んできたが、長尾自身、教師に反抗したかったわけでもなければ、秩序を乱したかったわけでもない。原著から部分的に抜粋されている教科書の文章はおもしろくない。世の中にはこんなおもしろい本があるんだよ―—。クラスメイトにそのことを知らせてあげようという素直な気持ちから生まれた行動だったのだ。

 しかしそんな理屈は通じず、長尾は教師から黒板用のコンパスで頭を叩かれた。その瞬間、気持ちの糸が切れたのだろう。

「おれは間違ってない。勉強はしているし、誰にも迷惑はかけていないはずだ。先生の言うとおりに座っていたし、あれで叩かれるのは絶対に納得がいかない。でも友達とは遊びたいから、昼休みと放課後は学校に行く」

 帰宅後、両親にその誓いを伝えると、父は「わかった。お前がそう決めたんならそれでよし」と受け入れた一方で、パニックになった母は、同じ学校に通う2つ年上の兄のクラス担任に相談を持ちかけた。その女性教師に紹介されたのが、夫である牧野だった。

「いま思えば、先生と話したかっただけなんじゃないかなと。でも「先生」と「生徒」、「大人」と「子ども」の間で対等な関係性は望むべくもなかった。

 みんなと同じことをなぜしなければならないのか、という問いに対する答えを明示してくれなかったことへの不信感。自分で決めたことを、誰かの指図で変更せざるを得ない不合理さ―—。わかり合えないから、わかり合うための努力をお互いにしたかったのに、「ルール」や「決まり」という一言で片付けられてしまうことが耐えられなかったんでしょうね」

 27歳のとき、独自の社員研修をするために加わった大手玩具メーカーでも、似たような経験を味わった。四半期に一度、目標を設定する機会が訪れるたび、部の目標が君の目標だからと、人と違うことをしようとすると矯正される。そんな仕組みのつまらなさに目をつぶれるほどの魅力を、安定した給料や会社のネームバリューに見出すことはできなかった。結局、在職したのはわずか1年半。いまが潮時とばかりに何の躊躇もなく会社を去ったのは、区切りとして定めていた30歳を目前に控えた29歳のときだった。

 

手に入れた自由

「お別れをしようじゃないか。俺はもうすぐ死ぬから(病院に)来い」

 癌に冒された牧野から突然、電話がかかってきたのは、30歳のときのことだ。

 自身の結婚式以来、病室にて半年ぶりに見かけた牧野の身体は1/3ほどに縮小し、かつてのキャンプネーム「宇宙人」を地で行くような風貌に変わっていた。聞けば、麻酔を打っているおかげで痛みは感じないが、ものを食べることができないという。

 まだ50代半ばである。が、諦観とも悟りともつかぬ境地に達したかのような牧野から悲壮感は感じられなかった。元気なときと変わらず、突き放すような口調で必要最低限のことしか語らない人だった。

「おまえに言っておきたいことがある。

 これだけ約束しろ。

 いいか、やりたいことだけやれ。以上。

 あの世で待ってっかんな。見てっかんな」

 社会的に成功したわけでもなければ、有名なわけでもない。ふたりの子どもを持つ父でもあった牧野は、妻が公務員でなければ生活が成り立たないほど、収入は少なかっただろう。母からも「あんな大人になってはいけない」と釘をさされていた宇宙人の、徹底して自由を求め、実践し、貫いた生き様は、いまもその熱を保ったまま長尾の胸に焼きついている。

 安定した生活をかなぐり捨ててから10数年。大企業、中小企業、官公庁、スポーツチーム。色とりどりの12の組織をまわりながら、長尾が感じているのは「自転車を漕ぐとき、スピードを出したほうが安定するように、常に変化の中にいることが安定を生む」ことだ。

「組織ごとの違いを見られる、感じられる時間を過ごすこと自体がプライスレスな感じです。しかも関連性のないそれらすべての組織をつなげられるのは、この世で唯一、大使のような立場で12の組織を自由に行き来できる僕だけです。独自性を重視してきた結果として、誰にも真似できないことをやっていると自負できるようになってからは、不安はきれいさっぱりなくなりました」

 大手玩具メーカーに勤めていた頃までの自分しか知らない牧野に手を合わせながら、長尾は胸を張る。

「宇宙人。あんたに言われたとおり、僕は自由にやりたいことだけやって生きてますよ」

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