#118 清水 省三さん


出逢った人との絆に腰を据えて生きる
清水省三さん
 

 

 
● 1979.7.29 異端へ
大阪府枚方市にて、男ばかりの4人兄弟の三男坊として育つ。教育を重視する両親の意向により、全員が「お受験」をするも、自分だけが失敗し、公立小学校に通うことに。破れたところをワッペンで覆い隠したズボンを履いたり、たまの外食にはあらかじめ家でお腹をふくらませておくルールが設けられたりと、厳しかった家庭の経済状況がうかがえる思い出がいくつも。
 
● 社交
べつの学校に通う兄弟との会話の少ない日常が訪れる。地元の友だちと連れ立って学校に通い、放課後もずっと一緒に遊ぶなど、他の3兄弟と自分とを隔てる何かが社会との接点を持とうとする原動力に。近所の先輩や後輩が「兄弟」になる。
 
● 1995 16歳 夢
登下校時によく見かけ、会話することもあった大工さんの仕事に憧れ、小学校の卒業文集に「将来の夢は大工さん」と書く。中3の夏休み、知人が営む工務店で、解体作業のアルバイトをする。学業の意味を見出せなくなっていたこともあり、かっこいいからという単純明快な動機のもと、「定時制高校に通いながら大工の修行をしている」3つ年上の先輩と同じ道を歩もうと決意する。
 
● 1995 冬 16歳 落胆
自身の進路について両親に決意表明するも、猛反対される。担任教師から「大工仕事はいつでもできる。とりあえず昼間を受けるだけ受けてみよう」と諭すように説得され、しぶしぶ工業高校(昼間部)を受験。合格してしまったことに落胆する。
 
●  憂鬱
憂鬱な高校生活に嫌気がさし、1年の終わり頃には中退することばかり考えるように。学期中は授業が終わると作業服に着替えて現場に駆けつけ、夏休みには水道工事店でのアルバイトに打ち込むなど、仕事中心の生活が心の支えとなる。中退せずに済んだのは、「おまえが辞めるんやったら、おれも辞めるで」、「おまえがバイクの免許を取ったら、おれのバイク売ったるわ」などと教師の枠を越えて接してくれた先生のおかげ。
● 中3〜高校時代 原点
誘ったわけでもないのに、10数人の友だちが入れ替わり立ち替わり家に来る日々。清水家は、住人がいなくとも構わず人が出入りする「たまり場」と化す。中学時代の友だちと高校時代の友だちが混ざり合う交流会が自然発生する。「○○のこと嫌いなんやったら、おらんところで言わんと直接言うたらええやん」と促し、人と人の仲を取り持つことも。まわりが心地よく過ごしていることを心地よく感じる。
 
● 1998.3 18歳 実現
同級生の大多数が学校からの紹介で就職先を決める中、唯一の希望就職先として約3年間働いてきた工務店に狙いを定める。正式に社長にお願いするも、「まずは両親としっかり話をしてきてほしい。その間に、私も雇うかどうか考える」との返事が来たことに茫然自失となり、将来が閉ざされたとまで思いつめる。両親を説得し、もう一度お願いに行く。社長に承諾され、3年越しの夢が現実になったことに胸躍らせる。
 
● 1998 春〜 幻滅
勤め出した途端、これまでの日々が嘘だったかのように、大工になった感動が日を追うごとに薄れてゆく。現場で働くほうが刺激的で、人生も有利になるという確信に亀裂が走る。家と現場を往復するだけの毎日に気持ちが沈んでいく中で、夢や憧れは現実を超えないものだと実感する。
 
● 1998 春 18歳 逃避
人生に対するどこか投げやりな気持ちもあってか、尊敬していた先輩に楯突く。言い争った末、現場の仕事を放り出して帰宅。冷静になった途端、罪悪感やふがいない自分への苛立ちが押し寄せ、家から一歩も出られなくなる。10日後に辞表を提出し、近所の青果店でアルバイトを始める。学生時代は「働かせてもらっていた」ことを実感。
 
● 再起
数カ月後、高校の同級生だった大工の友人(Tくん)から声がかかる。同じ会社で働くことが決まり、大工として再出発を果たす。「うちおいで。居候したらええやん」と声をかけてくれたTくんの母の厚意に甘える。助けてくれる人や自分自身の境遇に対する感謝の念が湧き起こるとともに、この恩を返していこうと心に誓う。
 
● 1999 別の道へ
当初は新しい分野の仕事に取り組めたこともあって、モチベーションを回復。が、大工としての基礎知識がないことが足かせとなり、頭を使って考える仕事に四苦八苦する中で、前職で味わった感情がよみがえってくる。その状態が続くこと約1年。見習いで一人暮らしの身には自由に使える金がないことも手伝って、気持ちがついていかなくなった矢先、水道工事店の社長から「うちで働かないか」と声がかかる。
 
● 20歳頃 自発
参加人たちに楽しんでもらいたいと、中学の同窓会を毎年のように開催。西暦2000年には、近隣中学3校合同同窓会を記念に開催するも、参加者どうしが揉める場面に立ち会う中で、無差別に人を集めたことを反省。学校を借りての体育祭やバスを貸し切っての白浜旅行など、大がかりな企画も実行しているうち、まわりがついてこなくなる。忙しすぎたせいか、毎日のように一緒にいた友だちから「おまえとおったら熱出るわ」と冗談交じりに言われる。一方、よき相談相手として多くの同年代から頼られる。
 
●  納得
水漏れトラブルや店頭接客など、お客様対応が多い配管工の仕事に適性を感じる。修理を終えた後のお客様の喜びように触れ、人の役に立てた実感で心が満たされる。似たような感覚を得た高校時代のアルバイト経験を思い出しながら、仕事の意義は「お客様が喜び、笑顔になってくれること」だと腑に落ちる。
 
● 20歳 忘れられない思い出
仕事の安定性を感じたこと以上に、お客様の笑顔を目にする機会が増えたことにより、一転して充実した日々を送る。ほぼすべてのフロアが水びたしになっていた水漏れの現場に呼ばれて修理を終えた後、ビルのオーナーから「ほんまにありがとう」と手を取って礼を言われる。胸にこみ上げてくるものを感じながら、困っている人を助ける仕事ができていることを誇らしく思う。
 
● 21歳 挑戦
10代の少年少女が親を殺害したというようなニュースを観たことが引き金となり、なんとかしたいという使命感に駆られ、教員を志す。教員免許を取るために夜間大学に通う。「無意味で嫌いだ」とひたすら遠ざけてきた勉強の必要性を実感。履いた二足のわらじを休ませる暇がないほど時間に追われ続ける中、疲労と睡眠不足が引き起こした居眠り運転により、前の車に突っ込む。軽度の事故で済んだのが不幸中の幸い。
 
● 23歳 新たな道へ
夢が向こうからやってくる。大学3回生(3年生)のとき、大阪工業大学高等学校・建築学科の実習助手のポストを獲得。大工や配管工の現場経験も採用を後押ししたと後に聞かされる。19歳のときから4年間勤めた水道工事店を退職する。
 
● 失望
閉ざされた学校空間で生きていく限界を悟る。と同時に、もっと見識を広げたい、自身が世界で通用するかどうか試してみたいという思いが湧き上がってくる。海外で働くイメージを膨らませていく中で、青年海外協力隊の存在を知る。
 
● 2003 夏  24歳 夢想
夏休みを利用して、自由の国アメリカに15日間のひとり旅をする。旅先で偶然出逢った女性経営者・ケイさんから「バリ島の会社スタッフとして、現地で働かないか」と誘われる。「英語が話せなくても、やる気さえあればできる」と励まされ、願ってもないチャンスだと心をときめかせるも、「今まで何かやりきったことはあんの? 大学だけは卒業しとき」「ほんまに縁があるんやったら、大学を卒業した後にもう一度話が来るはず」とTくんの母に説得され、泣く泣く断りの電話を入れる。
 
● 2005 春 25歳 新天地へ
ケイさんから再び誘われる。大学を卒業し、心おきなくインドネシアのバリ島へ向かう。建設する自社施設の現場監督の他、世界的に有名なフラワーアーティスト・マサ(中川聖久)さんのスタッフとして結婚式を華やかに演出するフラワーアートの仕事を任される。ある人からもらった「世間に名を轟かせるような人間になることが、これまでお世話になった方々への恩返し」という言葉を胸に、バリ島で骨を埋める覚悟で懸命に働く。
 
● 疾走
「疲れることはしない」現地の人たちとの習慣や文化の違いに戸惑う。フラワーショップの店長を務めていた頃には、部下の横領に遭う。3年目にはゼネラルマネージャーとなり、フラワーアートの仕事をする傍ら、マネジメント業務を行うように。2008年、現地で出逢った日本人女性と結婚。4年目にはバリ島でサロンを4店舗に拡張、スタッフ100名という規模にまで成長させる。
 
● 旺盛
不便な中で、どうすれば快適な暮らしにできるかを模索する。観光客に対する物売りのがめつさや無秩序な交通事情に、生きるエネルギーを感じる。空の広さも相まってか、地球のエネルギーに背中を押されているような感覚に、眠っていたハングリー精神を呼び起こされる。
 
● 2010.5  30歳 転身
「うちにおいで」と言い続けてくれていた先輩の誘いに乗り、外資系保険会社の営業マンに転身。長男が誕生したこと、「ビジネスは情熱さえあれば成功する」と考えていた自分には経済観念が欠けていると感じたことがきっかけに。5年間のバリ島生活に幕を閉じ、大阪に帰ってくる。
 
● 2010 夏 幸先よいスタート
自主的なトレーニングやロールプレイングに精を出す他、自分らしく話せるペースを身体に覚えさせるため、帰宅中に歩きながら話す訓練を繰り返す。その甲斐あってか、入社早々にして、ロールプレイングの予選で支店第2位、本社第2位の成績を挙げる。
 
● 2010 夏 苦境
友人、知人からご祝儀的な契約を取れた数ヶ月間を経て、「保険の営業は、人の不安を煽りに行く仕事や」という教育の影響により自分自身を見失う。成績ゼロが数ヶ月続くと退職を余儀なくされる世界で、契約を取れない日々が続き、人と会うのすら怖くなる状態に陥る。
 
● 脱出
相談を持ちかけた先輩からセミナーを紹介される。「飛ぶように売れるようになった」という謳い文句のセミナーの参加費は3日で30万円。参加すべきかどうか、妻に相談すると「いいやん、行ってきたら」と男前な返事をもらう。
 
● 2011 確信
セミナーに参加したことで上昇気流に乗り、2年目には社内コンテストでMVPを獲得。「生命保険も、花と同じアートだ。限られた数しかない商品を扱うにもかかわらず、提案する人によってまるで違う結果が生まれるところが、誰が生けるかによって大きく変わる花と同じだ」と確信する。
 
● 2014 34歳 結実
会社が掲げる「お客様中心主義」に沿う社員の取り組みを賞する社内コンテストに応募。契約していただいたお客様と一緒に写真を撮る「スマイル・フォト」という取り組みを始める。80人のお客様に実施し、好評をいただく中、知人の勧めに従い、〝ビジネス界のアカデミー賞〟と称されるスティービー賞・セールスカスタマーサービス部門に応募。2014年にアメリカのラスベガスで催された最終審査で30秒間のスピーチを行い、金賞を獲得する。
 
● 仕事観 
「自分が欲しいものがあるなら、それと同じくらいのものを他人に与える」という教えを胸に刻んで仕事をする。手帳には「花を教える」「雨漏りの補修」「棚の据え付け」など、過去の職業経験を生かした予定がびっしり。お客様の困りごとに応えて動くほうが、商品を何度も説明するより効果的だと体験的に知る。
 
● 2017.4 38歳 発展
知人に誘われたことがきっかけとなり、代理店として幅広い保険商品を扱うGift Your Life㈱に転職。出勤義務は週2日という自由度の高い勤務体制や、より個人のニーズに合った商品を提案できる百貨店的スタイルが決め手となる。
 
● 仕事観
保険営業の仕事を10年以上続けているのは、永続的に人と深い関係を維持できる仕事だから。「人間関係の構築ありき」というのがずっと変わらないマイルール。親しくなった相手から「全然、保険の話をしてけぇへんな」と言われることも。バリ島時代、挙式までの打ち合わせなどで濃密な数ヶ月を過ごしたにもかかわらず、式が終われば付き合いが途絶えてしまうようなお客様との関係性に感じたさびしさはひとつの原点。
 
● 仕事観
保険営業の仕事は「人と接点を持ってナンボ」と考える一方で、交流会などに参加したときには「名刺は絶対に渡さない(職業を明かさない)」というポリシーを守っている。自分と縁がある人は一期一会で終わらないはずだと考え、自然な出会い方、関係の深め方を大切にしている。
 
● 人生観
異業種への転職も含めた6度の転職は、「仕事ではなく、出逢った人との絆に腰を据える生き方」によるもの。目の前にいるひとりの人を大切にする心が根幹にあれば、仕事(保険の契約)はそこから自然と生えてくる枝葉だと捉えている。「家庭を持っても何も変わってないのは、あんただけやで」と旧友に言われる。
 
● 2018 転換
40歳を迎えようとしている今、人が喜ぶことを最優先に動いてきた過去を振り返りつつ、同窓会を主催していた昔のように、フラワーアート教室を主宰するなど、新たな価値を創造する人が集まる場を自分で作り出していきたいと考えている。
 
 

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