No.26 大工 阿部喜代治さん

Story No.26 大工 阿部喜代治さん

「木をさわっていると、嬉しくなってしまうんです」

DSC_0318Profile
1953年生。西川町吉川出身。3人兄弟の長男として育つ。吉川在住の大工。父と二人暮らし。中学卒業後、6年間の大工見習いを経て独立。見習い期間も含め、大工歴約45年。32歳の頃、体調を崩し半年ほど休職。その間に出逢った雑誌『夢の丸太小屋に暮らす』をきっかけとし、東京のログスクールに約1ヶ月、ログハウスの本場カナダのログスクールにのべ約3ヶ月通う。現在は、個人のお客さんからの注文や、工務店などからの請負で、ログハウスや一般的な建築物を建てている。
TEL:090-3368-9995


 

私が感じていること
 中学卒業後すぐ大工見習いになった私が、大工になってから約45年(見習い時代も含めて)の月日が経ちました。
 いいか悪いかは別として、住宅の工法が時代と共に次々と変わるおかげで、未だにわからないこと(工法)が色々あるんですよね。今は時代が一周回って、昔の家、要は純日本建築の価値が見直されてきているように感じますけど。でも、私が思ういい家とお客さんが思ういい家には、まだギャップがある気がするんです。それから、色んなものが安くなっているせいか、技術に見合うだけのお金を払う人が少なくなってしまったように感じますね。
   やっぱりログハウスにせよ純日本建築にせよ、機能は優れているんですよ。断熱性も高いし、調湿機能もありますから。ログハウスに関して言えば、自分で家のメンテナンスを楽しめる人ならいいでしょうね。木が割れてきたり、変形したりするから、2年に1回とか管理しないといけないですから。何てったって、使っている木は自然のモノですからね。だからと言うか、そんな風に本物の木を使った家を建てるにはどうしても費用が高くなってしまうんですよね。

見習い時代
   中学校の頃、勉強が苦手だった長男の私は、「工業高校に行け」「いやだ、東京に行きたい」「戻ってこなくなるからダメだ。大工の弟子になれ」親とのそんなやり取りの後、住宅ブームだった当時、隣の寒河江市に住む大工さんの下で見習いを始めました。
   途中で見習いを辞めたせいで大工仕事ができない一方で、そろばん勘定が得意で仕事をとってくるのは上手だった師匠ゆえに、私たちは年間20棟くらいのペースで家を建てていました。その注文をみんな弟子に任せていた師匠だったけど、結果オーライ。おかげで、仕事を覚えられましたから。
 「人の言うことには反抗し、自分の考えをはっきりと言う」そんな“自分”を押し通した6年間の見習い時代。いびつの塊だった(である)私は兄弟子たちから疎まれ、気難しい年寄りの大工の所や技術の高い職人さんの所にしょっちゅう手伝いに行かされていました。だけど、それも逆に良かったんです。個性の強い変な大工さん達から色んなことを教わりましたから。教わったとは言っても、言葉でなんて絶対教えてくれませんでしたけどね。盗んで覚えるしかなかったんです。
 元々鈍臭かったおかげで、仕事の呑み込みが遅かった私は、技術仕事に加え、苦手な計算などもしなければならない大工仕事は大嫌いでした。ほんと、毎日のように怒られていましたから。そんな中、僕とは違って、言われたことをすぐできる器用な弟弟子(おとうとでし)と比べられる度にこみ上げる悔しさが引き金となり、自然と自分で勉強するようになった私は、気がつくと色んなことを覚えていました。・・覚えるまでに、人の倍くらいはかかりましたけどね。時間がかかったからこそ良かったんですよ。その分、しっかり技術が身につきましたから。

親方時代
 人を育てる上でも、その経験はすごく生きたんです。
 ―――15年ほど前、一度、5年間見習い弟子をとったことがありました。「自分の頭で考えさせるために、徹底的に放ったらかし。聞かれたら教えるけれど、聞かれるまでは絶対に教えない」自分の見習い時代の経験を基にそんなスタイルを貫いていたから、彼も1年半~2年くらいまでは大変だったと思いますよ。あえて、手こずっている彼の隣で同じ作業をやったりもしましたしね。だけど、一通り体で覚えた後の彼の伸び具合には目を見張るものがありましたから。
 人を育てるのは面白いんですよね。疲れるし、胃が痛くなるけれど。(笑)それにお金がかかるから、個人でやっていると見習いをとる余裕がないんですよね。

20代の頃
 見習いを終え独立した後、ひたすらハウスメーカーから依頼される仕事ばかりをこなしていた私の20代は、休みなんてほとんどなく、仕事に追われ続ける日々でした。次々と下りてくる仕事をひたすらこなしていくという感じだったから、「どこそこの家を建てた」というような記憶は全然残っていなくて。その分、稼ぎはしましたけどね。ガス抜きのためにも、毎晩のように飲んでいましたよ。
   32歳の頃だったかな。大工という職業に嫌気がさした私は、仕事を辞めました。というのも、建材に使われている接着剤から出る化学物質に対するアレルギーにずっと悩まされ続け、年中医者に通っていましたから。それに、積み重なる精神的疲労が加わり、もう最後は身も心もボロボロ。うつ病のような状態にまで追い込まれていたんですよね。

ログハウスに惹かれて
  辞めてから「さて、何をしようかな」とフラフラしている時に出逢ったのが、当時発刊されたばかりの雑誌『夢の丸太小屋に暮らす』でした。それをきっかけにログハウスに興味を持つようになり、東京のログスクールに約1ヶ月通ったものの、物足りなかった私は、そのしばらく後、本場カナダへと飛び、日本人向けのログスクールにこれまた約1ヶ月通ったんです。カナダには、それから3年後、2ヶ月ほど再び訪れました。現地のログハウスがどういう雰囲気を醸し出しているのか、風景にどう溶け込んでいるのかを生で見て、感じてみたかったんですよね。
   その研修を終え日本に帰ってきたのが、世間がバブルに突入していた1986年のこと。その後3年くらいの間は、別荘としてのログハウスを次々と建てました。手入れされなかったおかげで、今ではボロボロになっているものも多いでしょうねぇ。それ以降は、一般的建築物をメインとして、たまに注文を受けるログハウスを建てるというスタイルでこれまでやってきています。
  仕事と並行して、1990年から自分の家を建て始めたんですけど、10年くらいかけて建てた家は、今もって未完成。家の中は一応ある和室を除いて、他は完全なる洋風の部屋なんですけど、そんな風に色んなものが入り混じっているのは私の遊び心ゆえ。自分の家を使って色んなことを試すんですよね。

好きなもの・苦手なもの
 やっぱり、自分の家は自分で作るのが一番面白い。木が大好きで、木をさわっていること自体大好きですしね。若いうちは、大工仕事の空いた期間(2、3ヶ月程)とかに、しょっちゅう山に入っていましたから。友達の木こりに同行して、木に関する色んなことを聞いたりというように。子どもの頃も、木とか山は好きでした。貧乏だった昔、切った木を背負って帰ってきたりするために、親の手伝いでよく連れて行かれていたんですよね。
   そんな私の仕事場や家には、気づいたら色んな木材が集まっているんです。集めている過程で、「こんな風に曲がった木を、どう使ったらかっこいいかな」とか考えていることがすごく楽しくて。ほとんどがムダなものなんですけどね。だから、貧乏になるわけです。(笑)
   かつては、友人が立ち上げてくれたウエブサイトで情報発信していた時期もあったんです。もしそれを地道にずっと続けていれば、今ではもっと仕事が増えていたかもしれない…。だけど、アナログ人間の私には、コンピュータをいじっていること自体が嫌で辞めちゃったんですよ。今は、人の紹介で仕事をもらうだけだから仕事は減ってきたんですよね、実際のところ。
   私のように個人で大工をやっていると、「仕事がないと、明日から飯が食えなくなる」というリスクはどうしてもつきまとってしまう。特に私は変わっていることばかりしているから、流行らないですし。本来、人とのつながりを積み重ねていって仕事をもらうのが大工の王道なんですけどね。そんなことより、木の方が好きだからダメなんですよ。(笑)煩わしい人間関係を避けて、自分のしたいことだけしているのが、大きな間違いなんです。それを重々わかっているのにできないんですよね。(笑)木をさわっていると、嬉しくなってそんなことどうでも良くなっちゃいますから。

 

[編集後記]
阿部さんのような人に出逢うと、「出番が来た!」と張り切ってしまう僕がいる。

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