#30 農家 高橋春二さん

#30 農家 高橋春二さん

「”農なくして町はなし”だと思っています」

Profile高橋春二さん
1949年生。6人兄弟の末っ子として生まれ育つ。西川町吉川出身・在住。2000年頃より義父の後を継いで妻と共に本格的に農業に取り組み始める。栽培しているのは米(約6haうち約3.5haは山形県ブランド米のつや姫)、啓翁桜(約3.5ha)、さくらんぼ、ぶどう。全て、農協に出荷している。その傍ら、(株)米月山の社長や、西川町農業委員会会長、農協理事も務めている。   写真提供:西川町役場

記事公開:2013-2-25

 

 

農業を通して伝えたいこと
 現状として、専業農家(認定農業者)は数える程しかいない西川町。親が農業で大変そうにしている背中を見てきたからなんでしょうね。吉川地区を始め、町内全体でも農家の後継が全然いないという状況にある西川町。きっとその背景には「農業は儲からない」というイメージがあると思うんです。そんなイメージを打破するためにも自分自身が農業でやれているところを見せたいし、その結果として一人でも多くの人が農業に従事するようになることを願っています。
 実際、やり方さえ工夫すれば農業でも十分食っていけるんです。今の私たちがまさにそうですから。(機械を買ったりするために補助金の力も借りてはいるけれど、「皆の税金を使わせてもらっているわけだから、稼いで税金として返さねば」という思いではやっています。)具体的に言えば、11月末~4月は啓翁桜、6月はさくらんぼ、9月はぶどう、そして10月は米を出荷するというように1年を通してお金が入ってくるような方法をとっています。そんな風に4ヶ月超の間、啓翁桜を出荷できているのは夏にそれだけ手をかけているから。逆に夏の間に消毒や草刈などといった作業を怠ると、自分の身にもろに跳ね返ってくる。要は、夏一生懸命仕事をしないと、冬の仕事(収入)もないんです。やっぱり、手をかければかけるほどいいものができる。それは、さくらんぼやぶどうに関しても同じですね。
 今、栽培した作物は全て農協出荷。当然、自分で売った方が儲けはあるんだけどそこまで手が回らないんですよ。あるいは営業といったモノを売る人を雇うのも一策としてあるでしょうけど、「売る人の人件費=農協に卸す手数料」だと考えればやっぱり今のやり方に落ち着くんですよね。売ることを考えなくていい分、作ることに集中できますし。

私にとっての農業という仕事
 ―――「将来は家を出ていかないといけない」という暗黙の了解の下で育った、6人兄弟の末っ子の私(長男とは20歳違い)。農業科で学んだ定時制高校在学時に候補としてあった卒業後の就職先は、給与という条件面では山形より段違いに良かった東京にある会社でした。決して東京へ行きたかったわけではなかったんですけどね。やっぱり、”高給”という魅力には抗えなかったんですよ。そこの会社でどういう仕事をするかなんて、一切関心がなかったですから。
 いざ入ってみると、24時間操業だったそこの工場でのシフトは12時間勤務の2交代制。勤務時間中は休憩時間すらまともに取れず、ずっと機械の前で立ちっぱなし。そして会社の寮の部屋は、8畳1間に二段ベッドが二つある4人部屋。そんな風に息つく暇すらないような労働環境に耐えられなかった私は、結局10ヶ月ほどで会社を辞めました。・・・そこは人の働く場所ではなかったですね。 
 その後すぐに実家に帰ってきた私は、高校時代にアルバイトをしていたところでもある個人で商売(設備工事を主としたいわゆる何でも屋)をやっている人の下で働くようになりました。結局それから約30年そこで勤めたんですけど、勤務時間がはっきりと決められていないことを始めとした融通の利く環境が私には合っていたんですよ。資格と技術があれば出来る仕事でしたからね。
 とは言え、その仕事もつまるところ客商売。長年やっているうちに私の心中では「早く自分で農業をやりたい」という思いが徐々に芽生えてきていたんですよ。いずれ農業を継ぐことは決めて(決まって)いた中での問題は、いつ始めるかでしたから。そんな折、義父の体力も段々と衰えてきていていた2000年頃、50歳すぎで会社を辞めた私は、農家に転身しました。会社で働く傍ら、病気で田んぼに入れなかった義父の代わりに会社を休んで米作りを手伝ったり、義父が冬期の出稼ぎに出ている時に肉牛の世話をしたりというように、農業の経験もあったのが幸いしたんでしょうね。おかげで始めるに当たって抵抗はなかったし、始めてからも大変だと思ったことはないんですよ。
 それには農の仕事自体が好きだった義父の影響もあったかもしれませんね。―――結婚当初、朝早くから仕事に出かける義父と義母の背中を見ながら「よくやるよな」と感じていた若かりし頃の私。だけど不思議なことに、そんな過去の私から彼らと全く同じように妻と農業に勤しんでいる今の私へといつしか変わってしまっているんですよね。
 そんな義父から仕事の基礎的なノウハウは学んだけれど、農業のスタイルはまるっきり違うんですよ。食えなかったという時代背景もあって、義父は量をたくさんとることを目指してやっていました。一方で、私が目指しているのは品質の良いものを作ること。そこは徹底しているんです。それに伴って作り方もまるっきり変えたわけだから、当初引退した義父を納得させるためにも結果として出さねばという思いでやってはいましたけどね。
 やっぱり、農業(自営業)ではやりたいことをやれるし、時間の面でもある程度の自由が効くというのが一番の強みです。裏を返せば、全て自己責任ではありますけど。それに、自分で設定した目標を目指して進んでいく過程は面白いし、やりがいがあります。サラリーマン時代よりも精神的に楽だと感じていますしね。まぁ、考えようではあるんでしょうけど。

私を動かしているもの
 田んぼをやる人が目に見えて減ってきている近年、「歳をとってやれなくなったから、うちの田んぼを代わりにやってくれ」との依頼が後を絶たないんです。今現役で田んぼをやっている人たちもだいたい皆60代、70代だから先行きがおっかなくて。そんな中でも、まず心に留めているのは「現状維持をいかにするか」ということ。荒れる田んぼが増えていくスピードに歩調を合わせることなんて到底できないですからね。正直に言えば、数字の面だけで言うと、米は儲からないから作らない方がいいんですよ。それでも作るのは、農地を荒らすわけにはいかないという義務感に近いものが私の中にはあるから。さらに言えば、“農なくして町は成り立たない”という思いがあるからなんですよ。
 ―――義父の後を継いだ時には全然そんなことを思っていなかったんですけどね。当時は「細々と農業をやっていればいいや」と思っていた私の農業に対する考えが変わったのは、始めて1年ほどしてから、町の認定農業者となり農業委員に推薦されてからのこと。それまでは目を向けていなかった町の農業の現状を知ったことが私を変えたんですよね。
 まぁでも、働くことは生きがいですね。動くことができる限り、働き続けていたいと思っています。目標は生涯現役ですね。

 
 

[編集後記]
人の生活の原点を実感として知らないことが、豊かな時代に生きてきた僕の最大の脆さなのかもしれないと、ふと思った。

 

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