No.31 月山志津温泉 変若水の湯つたや 女将 志田英子さん

Story No.31 月山志津温泉 変若水の湯つたや 女将 志田英子(えいこ)さん

「“つたやらしさ”を追い求める気持ちは、変わっていないんです」

志田英子さんProfile
1952年生。東京都三鷹市出身。西川町志津在住。1975年、大学卒業後間もなく、同級生だった夫・靖彦(現・つたや社長)と結婚。と共に、つたや旅館の若女将となる。以来、女将として宿を守り続け、今に至る。

 

私が志津(ここ)にやって来た理由(わけ)
 ―――月日は遡って、約40年前。大学卒業後は、商売をしていた実家の手伝いをやる予定だった大学4年生の私。その一方で、当時付き合っていた今の夫とは「卒業したら離れ離れにはなるんだろう」とおぼろげながら思うくらいの状態で卒業を迎えようとしていました。そんな中ヨーロッパへの卒業旅行から帰ってきた3月のこと。突然旅館を営んでいた夫の父の具合が悪くなり、それから事態は急展開。「付き合っている人がいるなら、お父さんの元気なうちに結納も済ませたら?」という話になり、大学を卒業してから一年も経たないうちに彼と結婚し、つたやに嫁いだ私は旅館の若女将となりました。

志津(ここ)で生きてきた私
 そうして生まれ育った東京とは全く環境の違う志津に来たわけだから、最初は慣れるだけで精一杯でしたよね。経験したことのない寒さを始めとして雪囲いのやり方から漬物のつけ方、山菜のもどし方まで。ただ新しいことを覚えるだけで時間は過ぎていきました。実際、こういう風に自分で自分の思いをそれなりに語れるようになったのは、嫁に来て10年ほど経ってからですから。
 そんな中でも「何とか自分なりに溶け込んでいかないといけない」「ここで主人と共に自分の人生を楽しく生きなくちゃいけないんだ」という思いのあった私は、ここを毛嫌いするような気持ちにはならなかったですね。例えば、色んな人と出逢うことを楽しめたりというようにわりと何でも前向きに捉えられるような性格でしたから。もちろんその中で、不安や不満とかは芽生えてはきましたけど。むしろそれは自分が前向きになればなるほど。
 そういう時期を経て、「自分はなぜここに来て、こういうことをやっているんだろう?」という自問自答のようなことをし始めたんでしょうね。というのも、私自身が外から来た人間だったおかげで、外というか地元の人たちに向かえば向かうほど余計に自分というものを意識したという感覚はありましたから。・・・人生とは自分探しの旅だとよく言われるけれど、その自分ってなかなかわからないですよね。若い頃は思い描いた理想の自分と現実の自分とのギャップに悩み、時には自己嫌悪に陥ったり、時には自信を抱いたりということを繰り返しながら成長していく。そういう過程を経て、「私はこういう人間なのか。私みたいな人間もいていいのかも」というように自分自身を認められるようになってくると、本当の意味での自分らしさに気づけるような気はするんですよね。私の場合、その自分らしさを追求した結果、言うことを言った方がいいのかな、ということを今つくづく思うわけです。(笑)
 そういうことを始めとして無駄だと思うようなことも考える癖が私にはあるんですよね。・・・そうそう。30代のときだったかな。子どもを産み育てている私の中にふと湧いてきたのは「大人になるってどういうことなんだろう?」という疑問でした。それで色々考えた末に行き着いた自分なりの答えが、「どんなことに対しても自分なりのものさしで判断し、自分なりの意見を持つこと・言えること」だったんですよ。そう思うようになるヒントをくれたのが、夫でした。一時、東京から来たということで、県の審議委員の役を頼まれてやったことがあったんですね。でも、その当時、まだ若かった私の心中には「私なんかでいいのかしら」という思いがちらついていました。そんな私に夫が言ってくれたんですよ、「いいんだよ。英子は英子の今の立場から自分なりの思いを語れば、それが正義だし、それがいいことだよ」って。大学の先生や社長さんなどがたくさん列席する会議だけど、そういう人たちと肩を並べることはないんだと、彼の言葉は気づかせてくれましたよね。
 同級生だからか、夫と私には日頃から色んなことを話すという昔から変わらぬ習慣があるんですよね。私にとって(夫にとっても)同志、つまり志を一つにして旅館を経営したり、子どもを育てたりする同志である彼は、私の一番の理解者ですから。やっぱり、夫婦の心は対等な関係がいいなと思います。男と女だからそれぞれの役割は別ですけどね。
 そういう過去を経てきて、私は思うんです。「ここに嫁に来て、ここに暮らすっていうことが自分の運命だったと捉えれば、それが自分にとって幸せな生活なんだと気づける。そうやって生きていくのが、本来人間としての使命なんじゃないか」って。大事なことは、「どういう場所で暮らすかではなくて、どういう風に生きるか」「自分に与えられた生を、生き生きと生きられるかどうかなんじゃないか」って。外の人からすれば雪が5~6m積もる志津(人の住んでいるところでは日本一の積雪量があるんだけれど、アメダスでは出ていないんですよね。そういうことを変えていこうという運動をし始めてはいるところなんです)で暮らすことは大変だというイメージはあるんでしょうけど、私はむしろ中途半端な田舎よりも全然いいと思っているくらいなんですよ(笑)。これだけ積もる雪にしても、仕事だと思えば、生業だと思えば、そのくらいの苦労はあってしかるべきものでしょうし。それにこの雪があるからこそ、山菜などの春の恵みがいっぱいあって、そのおかげで商売ができている。そして、一年中いつだって豊富な水もある。だから、結局は捉えよう一つ。そうやって捉えれば、苦労のある生活ではあっても、決して不幸な生活ではないんですよね。だから、息子と娘を、東京に行っても「自分は志津という山の中で生まれ育ってきたんだ」と胸を張って言えるような人に育てたいとは思っていました。「山の中にいたから、何も出来なかった」って言うんじゃなくて。実際、雪の上なんかを歩かせれば、彼らの方が都会の子たちよりも断然上手に歩くわけです。そんな風に住んでいるところが違うからそれぞれに備わってくる特技もあるというように、人間には色んな違いがある。その一人ひとりの違う個性を認められれば、違う地域の個性も認められるんじゃないかとは思いますけどね。
 職業にしてもそう。「職は天与の任務なり。職を辱むる者すなわち之天与を辱むる者なり」という言葉があるけれど、「自分が縁あってついた仕事は、どんな仕事であろうと、胸を張って言うべきじゃないか。職業が恥ずかしいんじゃなくて、それに前向きに取り組んでいない自分が恥ずかしいんじゃないか」って思うんですよね。だから、従業員にも言っているんです「例えば、明日は今日より上手に掃除できるようになろうというように、自分なりに前向きに課題を見つけなさい」って。そういう風にやると、人って成長が違うと思うんです。少なくとも、自分自身はそうやってきたとは思っていますから。
 まぁ、そういう風に前向きにならざるを得なかったというのも事実でしょうけど。(笑)でも、たぶん、たぶんね、どこで暮らしても同じような過程を経て、そこに至るような気はするんです。自分で道を切り拓いていくことも大事だけれども、一方で自分の運命を受け入れていくことも大事なのかな、と思うんですね、この歳になると。(笑)私自身、「もしかしたら自分には違う人生があったんじゃないかな」なんて思う時もなかったわけではないですけどね。実際、嫁いで間もない時に、夫に見つからないように当座の衣類をバックに詰め込んで、ここから逃げ出そうとしていた私もいましたから。そんな若かりし頃の私から約40年の時を経て今の私になり、「自分にとってこれが一番幸せだったんだと思って生を全うする。それこそが人生での幸せなのかな」と感じている今日この頃です。

私(つたや)のこだわり 
 振り返ってみて、「どう生きていきたいか」そんな風に続けてきた自分自身への問いかけは、同時に「どういう旅館を作りたいか」という問いかけでもありました。当初より、夫と色んな所へ旅行してきた中で「このサービスはいらない、うちはこういうサービスをしよう」と建物や料理、サービスといった全ての分野において必要なものを一つ一つ自分たちなりに考えて構築してきた結果として、今のつたやがある。
 その一つが、本物に近づく努力をすること。その本物とは何かと言うと、志津の場合、この地域の本当の良さを旅館としてどう伝えるべきか、いかに真剣にこだわって商売をやれるかどうかなのかな、と思うんですね。宿泊業全体は安売り競争が激化しているんだけれども、うちは安売りをしないで、値は張るけれども本物を使うというスタンスを頑固に守っていきたいな、と。例えば、志津が宿場町だった頃に食べられていた精進料理を復元して雪旅籠御膳の中に入れたり、昔ながらのおばあちゃんの料理に新しいものを加えてお客さんに提供したりというように。実際かつては、冬は外に行けないという状況において自分たちで飛龍頭を作ったり、肉も買えないということで山からとってきた山グルミで脂肪分を補給したりというように、とても知恵のある生活が営まれていたはずですから。―――本物も何も本物でしかなかった「スローフード」をお客さんに提供していた当時から、戦後の高度経済成長に伴って夏スキー客も増え、そのニーズが全くと言っていいほどなかった時代を経て、地域独自のものとしてその価値が見直されつつあるという今に再び戻ってきている。そんな中でもうちは、例えば夏スキー客が多かったかつて、スキーヤーに合わせて昔の良かった家を改造したり、その一方で昔の良さを残した新館を建てたりというように試行錯誤しながら時代と共に変わってきた部分もあるけれど、軸となる部分は変わっていないんですよね。
 それから、例えば部屋係がいないとか、女将である私が挨拶に回らないとかっていうのも自分たちで編み出したサービスの一つ。やっぱり、お客さんは寛ぎに来られているわけですから。旅館なんだけど、山の中にあるということもあってペンションやロッジのようなものでもあってほしいな、と。だからかどうか、おかげさまでうちに来てくださるお客さんはリピーターの方が多いんですよね。「構われないからいい。とても寛げるからいい」と言って何度も来てくださる。そうやって一度来たお客さんがまた来たいと思えるようなサービスを提供することが、宣伝広告にお金をかけたりすることよりはるかにいい方法だと思っていますから。
 先代から旅館を引き継いだ当初から今まで、私たちが大事にしてきたのはオリジナリティのある宿であること、つたやらしくあること。そんな風に”つたやらしさ”を追い求める気持ちはずっと変わっていないんですよね。

 

[編集後記]
自分自身を誇れる人の姿は美しいと、僕は思う。

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