No.32 かんじき・つる細工職人 前田武さん

Story No.32 かんじき・つる細工職人 前田(まえた)武さん

「やっぱり、山が好きなんです」

前田武さん Profile
1938年生。大江町生まれ。大井沢在住。妻と二人暮らし。4歳の時より、自らの意志で叔母の嫁ぎ先であった大井沢の家で暮らし始める。中学卒業後、主に炭焼き、養蚕(共に1967年頃まで)、ゼンマイ採りを生業としていた家族と共に働き始める。その後、森林組合の作業員としての木の伐採、冬期間の都心部への出稼ぎでの土方仕事など複数の仕事を経験。その傍ら、釣りや猟(2012年まで)をして楽しむ。現在も、かんじき、つる細工作りや山に関わる仕事を続けている。 写真:本人提供

自分で選んだ場所
 ここ(大井沢)から山一つ越えたところにある生家を離れ、この家で暮らすようになってから70年の月日が経ちました―――。
 私の実家の祖父と叔母の嫁ぎ先の爺さん(以下、爺さん)は、釣りや猟を一緒にやったりする旧来の友達でした。そんな間柄だったから、爺さんはしょっちゅう生家にも来ていたんですけど、その爺さんが聞かせてくれる釣りや猟の話は面白くて。話を聞いているうちに、まだ幼い私の中で「大井沢へ行ってみたい」という憧れのような気持ちがいつしか芽生えていたんですよね。だけども、生家から爺さんの家までは歩いて約2時間。まだ子供一人では行けない場所だったから、大人と一緒に行ける機会を待っていたんです。
 そんなある時、4歳の春、桜が咲き始めた頃だったでしょうか。チャンスがやって来たんです。その日は、兵隊の任務を終え無事帰ってきた旨を伝えるべく、叔父が叔母と共に私の生家へと挨拶に来ていたんですよ。その後、彼らが家に帰る時になって「ならば一緒に行きたい」と便乗した私は、彼らの後をついてまだ少し残雪の残る山道を歩き、大井沢の家に泊まりに行ったんですよね。
 それから2日後のこと。「恐らく寂しくなって泣きべそかいているだろう」と見越した祖父は私を迎えに来ました。ところがどっこい。祖父の予想を裏切った私は「帰らない。まだ泊まっていく」とだだをこねたんです。その1週間後くらいにも、祖父が再び迎えに来たんですけどね。それでも変わらず「帰らない」とはっきり拒んだ私は、それから70年この家で暮らしています―――。私の兄弟は、私を入れて7人。三男坊だった私はいずれどこかの家に婿に行くか、あるいは都会に出ていくか、何にせよ家を出る運命にはあったんでしょうけどね。叔母と叔父の間には子どもがいなかったことも幸いしたんでしょう。結局、私は前田家の養子になったんですよ。
 それから一緒に暮らすようになった爺さんは、よく私の面倒を見てくれて、可愛がってくれましたね。山に関する話から始まり、キノコ採り・山菜採りの話、そして釣りの話まで色んな話を私に聞かせてくれたり、話だけでなく、実際に山や川にしょっちゅう連れて行ってくれたり。当時の私はまさに、「習わぬ経を読む、門前の小僧」でした。そんな爺さんに懐いていた私は、叔父叔母とは一緒に寝ずに、爺さんとばかり一緒に寝ていましたから。
 それにしても、当時4歳の私の心中にあったのはどういう思いだったんでしょうね。叔母の家が好きだったし、居心地が良かったというのもある。だけど、真相は今もって自分でもわからないんですよ。ほんと謎なんですよね。(笑)

自分で選んだ道
 私が小、中学生として過ごしたのは、戦後間もない時代でした。当時の前田家はいわゆる五反百姓として飯米を作り、炭焼きと養蚕、ゼンマイ採りを主な生業としていました。私も重要な労働力であった”子ども”の一人として、帰宅後や休み期間には親の仕事を手伝っていました。
 元々勉強が嫌いで、「読み書き、足し算が出来れば世の中通用するんだ」くらいに思っていた私。その一方で、山とか川に行くことが好きで、行く時にはいつもルンルン気分だった私。そんな私だったから、中学生の頃には「卒業後は親父と一緒に炭焼きをやる」という思いはほぼ固まっていたんですよね。親父の仕事を手伝っている時にも、そういう仕事をやることに全然抵抗を感じていなかったですし。だから、わざわざ家にまで来た担任の先生に「高校に行きなさい。これからの世の中では、学力を身につけないと生きていけないぞ」と高校進学を勧められたにも関わらず、「勉強は好きじゃないです」と言い張ったんですよね。そしたら、先生は黙っていましたけど。(笑)
 そうして中学を卒業した私は、親父と一緒に働き始めました。炭焼きやゼンマイ採りの仕事は面白かったんだけれど、養蚕の仕事は嫌でね~。嫌々ながらやってはいたんだけども、二十歳頃、ついに我慢が出来なくなった私は、「蚕の代わりにゼンマイ採りをするから、蚕を辞めさせてくれ」と親父に申し出たんです。それからは、親父は蚕、私はゼンマイ採りというように役割分担で仕事をするようになりました。親父は親父であんまり山が好きじゃなかったからちょうど良かったのかもしれませんね。(笑)

写真:中学3年生の夏休み、旧朝日村にある大鳥池にて。本人を含め4人(先生2人、生徒2人)で自然学習の一環として、大鳥池へ釣りに行く3泊4日の旅の一コマ。村を出発してから3日後、着くやいなや、荷物をぶん投げるか早いか、釣りに取り掛かったという。

好きだったからこそ…
 ゼンマイ採りというのはチームプレーなんですよ。朝5時に皆で集まり、それぞれ前日に行った場所で得た情報を持ち寄り、交換し合った上で、誰がどこに行くかという担当を話し合いで決めるんです。だから、「同じ山に入る者は、みな仲間だ」という意識はありましたよね。誰かが怪我なんかをすれば、直ちに皆で助けに行くという体制がとられていましたし。
 一方で、その仕事に対して抱く思いは人それぞれ。まだ残雪のある春先。朝、空も明けないうちに家を出る。そして、雪解け水で増水した川を腰まで水につかりながら向こう岸まで漕いで歩くことを何度か繰り返し、ゼンマイが出ている山深いところまで向かう。そうして、帰りは帰りで、採った約40キロのゼンマイを背負って同じ道を帰ってくると、時刻は16時頃になっている。それがだいたい5月半ばから7月の初めまで一月半続くんです。だから、多くの人はゼンマイ採りについてこう言うんです「こんな辛い仕事…」って。実際、重労働なんですよ。初日、2日目あたりは足がつって何度もこむら返りになったりしますから。だけども、ゼンマイがたくさん出ている光景に出逢う喜びを追いかけていた私には苦労なんて全然感じなかったんですよね。ゼンマイ採りに行く時期が近づいてくると、その風景が夢にまで出てきたくらいですから。ゼンマイに限らず、他の山菜やきのこにしても然り。狩猟本能の塊だった(である)んでしょうか。(笑)
 そうやってゼンマイ採りをする上でも、またキノコ採りや熊撃ちをする上でも、まずは山を覚えていないといけないんですよ。そのためには、冬に山を歩く必要があります。というのも、冬場は3~4m積もった雪と裸の木のおかげで、自分より背丈の高い藪や木が生い茂っている夏場なんかよりも断然視界が広がりますから。稜線に立つと、山の全貌のようなものが見える。その稜線を歩きながら、「どこに何がある」というようにインプットしていくというか。山を歩く上では、自分がどの位置にいるのかということを常に把握していないといけないですからね。
 ゼンマイ採りの極意は、柴木の芽吹き具合からゼンマイの出具合を判断すること。そうやって目星をつけた所へ足を運んだ際に、予想が当たっていたらしてやったり。それは一つの醍醐味ですよね。そんな風に立てた予測が当たる、あるいは外れるという経験を積み重ねるうちに、段々その精度も上がっていくんです。マイタケにしても、早く出る木、遅く出る木というのを何度も山に足を運ぶうちに覚えていくんですよ。そういう過程を経て、ひとりでにたくさんのことを山から教わっていたんですよね。山は、嘘をつかないですから。そういうのも、山が好きだったから出来たことだったんでしょうけど。
 だけど、そういった面白さの裏側には、下手すれば大ケガや死に至ることもあるというおっかなさもありました。実際、身近にもそういう人はいましたから。私自身も、今まで何度か危ない目には遭ったことはありますしね。それでも大きなケガに見舞われることなく、かすり傷くらいで済んできたのは気をつけていたというのもあるでしょうけど、結局は運が良かったんでしょうね。

自分を活かす道
 かつて、背が小さく、力もあまりなかった私が他の人と同じ仕事をするために見出した道は“技”を磨くことでした。
 例えば木を切る仕事をする時に心がけていたのは、まず仕事に関わる道具である窓のこぎりをきちんと目立て、要は管理・手入れすること。というのも、窓のこぎりの刃の状態は仕事の出来に如実に反映されてしまうから。例えば、目立ての際にヤスリを当てる角度が少しずれると、切っている時に刃が引っかかってしまったりするんです。同じく、木を切った時に出るおがくずも、目立ての良し悪しを教えてくれます。だから、良い仕事をするためにはまず、良い目立てをしないといけない。そして、良い目立てをするためには、何度も木を切る中で最適なのこぎりの刃の状態を知り、その目立ての仕方を体で覚えていかないといけない。その過程において、理論と実践をどう噛み合わせるかが腕前なんですよ。それが噛み合って初めて、自分のものになった、一人前になったと言えるんじゃないかな。そういう仕事をして現金収入を得るのが、プロなんだと思います。
 とは言うものの、実際に仕事をこなすのはやっぱり難しい。たかがのこぎり、されどのこぎりなんですよね。

私を動かしていたもの
 出稼ぎでいくつか仕事も経験したけれど、やっぱり理屈を覚えると仕事も面白くなる。仕事によっては、自分のやった仕事の出来栄えも見られるし、それも面白みの一つですよね。例えば、鉄筋を組むといった土方仕事をする中で、コンクリートの型枠に鉄筋がすんなり収まってちゃんとしたものに仕上がったりすれば、満足がいくわけで。自分の腕が問われるわけだから、やり応えがあるというか。そういう面白みこそ、「土方仕事を3年すると、辞められなくなる」と言われるゆえんなんでしょうね。一方で、工場での流れ作業のような単調な仕事は面白くなかったですけどね。その仕事をしている時は、ただ休日ばかり待ち遠しかったですから。
 かんじき作りにしても然り。木の癖はそれぞれ違うから見極めが大切なんだけれど、やっぱり人間だから木の本当の癖はわからない。上手くいく時もあれば、途中で折れたりする時もある。しかも、それは仕上げに近い段階でよく起こる。完璧なモノを作りたいという思いは毎回あるけれど、そうは問屋が卸さないんですよ。それがまた醍醐味なんでしょうけど。
 そういう意味では、釣りや去年まで毎年欠かさずやっていた鉄砲撃ちにしても同じです。釣りをする時にも「どうすればたくさん釣れるか」ということには子供の頃からすごく興味がありましたから。「より良い仕事をしたい」「より良い成果を出したい」そんな思いが私を動かしてきたんでしょうね。
 振り返れば、私がやっていた仕事はほとんど、1日の工程が大体決まっていたものでした。例えば、今日は~まで終わらせるというように。言い換えれば、毎日ゴールが見えた中で仕事をしていたんです。だから、それを能率よくこなした分だけ早く終わらせることが出来たし、満足を得られた。自分の頑張りがもろに結果に跳ね返ってくるから、面白かったんでしょうね。頑張りは嘘をつかなかったですから。
 いずれにしても、最終的には山が好きだったということに行き着くのかもしれませんけどね。

 

[編集後記]
地元の人たちも一目置く存在である、武さん。穏やかな語り口の中に見え隠れした、揺るぎないものであろう仕事への矜持は、ある種の憧れを僕に抱かせた。

記事公開:2013-03-27

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