No.33 月山志津温泉 清水屋旅館 主人 今野信秋さん

Story No.33 月山志津温泉 清水屋旅館 主人 今野信秋さん

「山は、言ってみたら天国ですよ(笑)」

清水屋旅館主人 今野信秋さん Profile
1950年生。西川町志津出身、在住。小学校一年の時から、鉄砲撃ちをする父親と一緒に山を歩き始める。それ以来、多くの時間を山で過ごす。中学卒業後大工見習いを始め、1971年春、5年間の見習いを終え、大工として独立。1973年に実家へと戻り、旅館を営むために家を改築・増築。翌年より、現・清水屋旅館として営業スタート。今に至る。現在も、冬は鉄砲撃ちをして楽しんでいる。

 

自分を活かす道
 今から約半世紀前―――。私が子供の頃、今野家は収入源のほとんど炭焼き仕事から得ていました。親父たちは頑張って働いていたにも関わらず、かろうじて一年の暮らしを送っていけるというような状態でした。だから、二人の弟を学校に入れてやるためにも、中学卒業後は就職してお金を稼ぐことが長男としてのさだめでしたよね。
 そうして中学を卒業した私は、大工を欲しがっていた従兄弟の家(岩根沢地区)にて大工見習いを始めました。始めて3年が経った頃に、会社が倒産するという事態にも遭遇したんですけどね。東京にいるおばの助けもあり、20歳の春、無事5年間の見習い期間を終えました。
 17,8歳の頃だったかな。体だけでなく難しい計算をするための頭も必要とする大工仕事をする中で、「勉強しとけばよかった」との思いが芽生えてきたんですよ。もしちゃんと勉強していれば、商売も楽にできたんじゃないかと思ったりもして。それからは、自分自身を活かす道は体を使うことだけだと思い定めて、人に負けないくらい働いてきましたね。

志津(ここ)で生まれ育った私
 「四季感のある場所へ戻りたい」私が23歳の頃のこと。20歳で大工見習いを終えてからそれまで東京で大工として働いていた私は、そんな思いを抱きながら生まれ育った志津へと戻ってきました。強いて言えば桜くらいしか四季を感じられるもののない東京にいると、四季感豊かな志津が恋しくて。働いている最中にも、「向こう(志津)は今、どんな感じだろう」と必ず想像を膨らませていましたから。
 やっぱり、山は山なりにいいところはあるんですよ。まず、天気が良い時は景色が綺麗。例えば、雪が落ち着いた3月とか4月頃、雪の上を歩いて夏には行けないような山の頂上まで行って、そこから眺める景色はえも言えぬものがありますからね。一方で雪が降るとがっかりするけれど。(笑)それに、子どもだった私たちの遊び場でもありましたしね。あとはやっぱり鉄砲撃ちでしょうか。
 ―――あれは、生まれて初めて親父に鉄砲撃ちに連れられて行った、雪のちらつく日のことでした。歩くことには慣れていたから、親父の後をついて歩くのは訳もなかった。そんな中突然、「この山を下って、兎を追ってこい」と言われ、山の中でポツンと一人になった時の寂しさは今でも忘れられないんです。当時まだ7歳の私にとって未知の世界だった山中で、自分がどこにいるのか全くわからない状態で放り出されたわけですから。
 そんな私も、小学五年の頃には一丁前に親父と山を歩けるようになっていました。というのも、冬の間、学校が休みの日(日曜日、冬休み、正月休み)は毎日のように山に連れられて行っていましたから。しかもそれは小学校一年の時から毎年。行く動機としてはスキーに乗りたかったというのもあるけれど、やっぱり狙った獲物を射止めることができるのは純粋に面白かったですよね。
 中学校になってからは、一人で山に行くようにもなっていました。時には、隣の家の親父が「山に行って来い」というメッセージを込めて、鉄砲を持ってきてこっそり今野家に置いてくることもありましたね。今だから言えることですけども。(笑)
 戦争を経験した人間だった親父は、「銃を持ったら絶対人の方には向けるな」「銃をまたぐな」というように銃の扱い方に関してはえらく厳しかったですね。親父自身も、すごく銃を大事にしていましたし。
 そんな親父が1日で射止めた最高記録は兎11羽。私はそれを破りたくてね~。月山新道が開通した頃(1980年頃)だったかな、念願叶って15羽捕まえた私は、家に持って帰って親父に見せましたから。「オヤジを越えたぞ!」って。鉄砲撃ちをする上で、その親父の記録は目指すものとして頭にはありましたよね。
 だけど今は、昔には考えられなかったくらい兎の数が減ってきているんですよ。子供の頃は、冬は毎日のように兎の肉が食卓に並ぶほどに捕れたんですけどね。彼らが住める場所がなくなってきたんでしょう。今は、見つけるのが大変で・・・。

鉄砲撃ちが呼び起こしてくれるもの
 でもやっぱり、鉄砲撃ちは夢があって一番楽しいんですよ。その最中は何も考えなくていいですしね。生き物相手で運に左右されているから、「今日は捕まえられるかな?この辺りにはいるかな?」というワクワクドキドキがある。そんな中「見つけた!」なんてトランシーバーで連絡が入れば、あるいは足跡を見つけたりすればたちまち血が騒いできますから。無いならないでがっかりしますしね。そうやって「逃がした!」「失敗した!」とかって騒いで大汗をかきながら山を走り回っているわけですよ。興味のない人からすれば、「何であんな苦労してやっているんだ」と思うでしょうけど。
 そんな風に山でこそ味わえる、山でしか味わえない色々な冒険があって、夢もあるから鉄砲撃ちは辞められないんでしょうね。それは、いくら歳をとって体力がなくなったとしても、走る時何でこんなに遅いんだって思うくらいに体がついてこなかったとしても。昔から一緒にやって来た仲間と年に一回は行って、騒いで来ないと気が済まないんですよ。(笑)
 そんな風に夢を追う気持ちだけは昔と比べても色褪せていないんです。もしかしたら、鉄砲撃ちに夢中になっているひと時、童心に帰っている私がいるのかもしれませんね。そんな経験をさせてくれる山は、言ってみたら天国なんですよ。(笑)

 

[編集後記]
思い返せば、少年の面影を宿した信秋さんの笑顔に僕は呼ばれていたような気がする。

 

記事公開:2013-03-20

Pocket