No.35くんせい工房ぽれぽれ&ゆみはり茶屋 主人 田作政司さん

Story No.35くんせい工房ぽれぽれ&ゆみはり茶屋 主人 田作政司さん

「素材そのものの味を楽しむ機会を提供したいんです」

田作政司さんProfile
1959年生。東京都出身。西川町大井沢在住。東京農大在学中は、畜産加工を学び、卒業後、ハム製造会社、精肉店での勤めを経て、1985年西川町に移住。と同時に、月山ポレポレファームのスタッフとして働き始める。翌年より、無添加のソーセージを作り始めると共に、ソーセージ教室も開き始める。2008年、独立。以来、くんせい工房ぽれぽれにて無添加のソーセージを作りながら、ゆみはり茶屋にて自家製ソーセージを使った料理などをお客さんに提供している。並行して、ソーセージ教室も年に10数回開催。その傍ら、2002年より、年に数回にわたり自宅の一角を「民家ギャラリー&麦わら」として開放。(現在、4月上旬のみ)主に大井沢で暮らす職人たちの作品を展示、販売している。3人の子の父。              

場所の力、空間の力
 ―――振り返れば、約10年前。自宅でもある築約100年の古民家の一部を「民家ギャラリー&麦わら」として初めて開放したのが2002年秋のこと。この家で暮らし始めたのは、さらにその7年前のこと。当時、ここで生活を送る中で芽生えた「大井沢の一番奥に住んでいても、人と交流できる機会を作りたい」という思いのもと生まれたのが、このギャラリーだったんですよね。
 いざやり始めたら予想外に人も来てくれたし、ほんとに楽しくてね~。そういうものに囲まれた空間を独り占めできる喜びはもとより、色んな人に出逢えましたから。ライブをしたら50人くらい集まってくれたり、そこで出逢ったお客さんの個展をのちのち開催できたり…。実際、仮に同じ絵を見るとしても、その絵を見る場所によって全然違って見えると思うんです。例えば、洗練された都会的な空間で見た時と、古民家のように懐かしさを感じるような空間で見た時はまるっきり印象が違うわけで。そういう空間の魅力に加えて、例えば4月の晴れた日ならば、柔らかな春の光に照らされた新緑を横目に見ながらこの場所まで来られるという特典もついてきますから。
 食べるものにしても、然り。どこで食べるかで味は違ってくると思うからこそ、弓張平に店を開いたんですよね。山に囲まれているんだけれども、標高が高いおかげで広々とした空に抱かれている。そして月山を臨む上では、屈指のビューポイントでもある。そんな弓張平にある公園の芝生の上で晴れた日に食べ物を頬張りながら月山を眺めるというのは、この上ないシチュエーションなんです。だから店でも、商品をテイクアウトできるようにはしているんですよね。

私の原点
 「生まれ育った東京を離れ、地方で暮らす」中学生の頃にはそう決めていた私が、10数年温め続けた思いと共にこの町にやって来たのは1985年、26歳の時のことでした。
 ―――子どもの頃の私は、新潟の高田市の山奥にあった母親の実家、いわゆる田舎が好きでよく行っていました。中学生になってからは、一人で行くようにもなっていたそこには好きな農家の叔父さんがいたことも、好きだった理由の一つ。というのも、私が行く度に、ある時は耕運機に乗せて山へ、またある時はカニを獲りに川へというように色んなところに連れて行ってくれていましたから。それから搾りたてのヤギの乳や、池から獲った鯉、僕の目の前で首をかっ切られた鶏の生のササミなど実家では食べられないものを食べさせてくれたりもしたんです。そんな叔父さんがある時、自分の畑で食べさせてくれたもぎたてのトマトの味は今でも忘れられないんですよ。ほんと、ものすごく美味しかったんですから。
 とにかく食べ物が好き、食べること自体が好きだった私にとって、そこは絶好の場所だったんですよ。今でもそれは変わっていないんですけどね。この辺りでは有名なんですよ「田作はなんでも食う」って。(笑)人の家でご馳走になる時も、出てくるものを全部食べる。というか、食べてしまうんです。農家育ちの母親に「米一粒も残すな。作っている人の苦労を考えろ」と口酸っぱく言われてきたからか、食べ物を残すことに対する後ろめたさみたいなものが根強く残っているんですよ。それに加えて、なぜか小さい頃から嫌いな食べ物を克服しようという意志がありましたしね。だから太るのかもしれませんけど。(笑)だけどそういう犠牲と引き換えに得たものはあって、食べなくとも「この味とあの味が合わさると美味しくなるんじゃないか」というような想像はできるんですよね。
 さらに遡れば、住宅の密集した地域の一角にあった実家が狭くて小さかったことに対する不満も、一つの原点なのかもしれません。けっこうな歳になるまで自分の部屋もなかったですしね。それゆえに「広い所に行きたい」と夢見た私にとって、たまに訪れる田舎はまさに絶好の場所だったんですよね。
 振り返ってみれば、それらが相まって「地方で暮らしたい」と強く私に願わせたのかもしれません。

徐々に固まってきた思い
 その後、まだ少年だった私の中で、地方で暮らすための仕事場として最初に思い浮かんだのが牧場でした。だけど、東京農大に入学し大人になっていくにつれ、だんだん現実も見えてきたんですよ。要するに、ただ好きなだけじゃできないことに気づかされたわけです。
 それで、牧場に代わるものとして浮かんできたのが宿でした。まぁこれも一種の憧れなんですけどね。その後おぼろげながらも「宿をやるならば、一つの売りとして自家製のハムを提供できるような宿にしよう」とのビジョンを描くようになった私は、大学3年の時、畜産加工の(ソーセージとハムを製造、販売できる)ゼミに入りました。
 「まずはハム、ソーセージの製造者になりたい」と、大学卒業後はハムを作る食品メーカーに入社。ところが製造部門を希望して入ったのにも関わらず、配属先はなぜか営業部門でした。その会社で働く中で色々思うところがあった私は、3年目には退職。次に営業として勤めた精肉店も結局1年ほどで辞め、ようやく念願叶って、自家製ハム、ソーセージ作りができる精肉店で働き始めました。
 「安全なもの、誰でも食べられるものを作りたい」社会人として働く中で、私の中で固まってきていたのはそんな思いでした。というのも、学生の頃から有吉佐和子の『複合汚染』や、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んだり、ゼミでも添加物を使わないソーセージを作ったり。会社に入ってからも、営業で無添加のソーセージを売っている店を回ったりしていましたから。そんな経験をするうちに、私の中にあった安全な食品への関心は、いつしか主体的に関わる目標へと変わっていったんです。
 そんな風にビジョンが明確になってくると共に、「まずは宿で1年ほど働いて、その後はお金を貯めていずれは自分で宿をやろう」という思いが芽生えてきた私は、偶然出逢ったペンション情報誌に掲載されている北海道、東北にあるペンション(雪のある所でスキーをしたいという思いもあって)に片っ端から電話をかけていきました。そんな中、私の目に飛び込んできたのが「ヤギの世話をできる人」「晴耕雨読」と書かれてあった月山ポレポレファーム(以下、ポレポレ)の募集要項でした。それに惹かれた私は、すぐにポレポレに電話をしたんですよ。その時既にバイトは決まっていたらしく、いったんは断られたものの、数日経ってから提示された条件は「居候だったらいいよ」というものでした。とにかく宿に潜り込みたかった私はそんなことお構いなし。二つ返事でOKし、ポレポレで働き始めたんです。

描いていた暮らしの形
 それから15年以上もポレポレにいるなんて想像もしていなかったですけどね。当初は1年で帰るつもりでしたから。実際、1年では無理だったし、オーナーの奥山悌二さんにも止められたんです「ここで働きながらでも、あなたのやりたいことはできるんじゃないか」って。
 そうしてポレポレにて2年目を過ごすという想定外の道に突入した私でしたが、その後間もないうちにポレポレの一つの売りとして、以前アパートでやっていた延長のような形でソーセージ作りを始めることになりました。それに伴って、私の中にあった「宿をやりたい」という思いも徐々に薄まってきたんですよね。というのも、ポレポレにいながらにして自分のやりたいことをほぼ実現できていましたから。宿にいて、自家製ソーセージを作り、それをお客さんに提供できて、さらにはソーセージ教室も始められてというように。それに加えて、奥山さんは敷地内にログハウスを建てたり、ゴルフ場を作ったり。奥さんは奥さんで、畑で野菜を作ったりというスタイルは、私が思い描いていたものにピッタリだったんです。言うなれば、私が望んでいた“地方暮らし”が、ポレポレでは形にされていたんですよね。
 そうそう、1986年の冬のこと。研修という形で、ソーセージの本場ドイツへ3ヶ月程行った時がありました。友達に紹介してもらったドイツ人を手がかりに運良く働かせてもらえるようになった現地の店では、ソーセージについて一通りのことを教われたんです。でもそれは、ひとえにこけしのおかげ。(笑)というのも「教えてくれ」と頼んでもなかなか折れないコックの態度をこけしは変えてくれたんですよ。何かの時はと思ってたくさん持っていったこけしとけん玉が役に立ったんですよね。
 それに加えて、フランクフルトで一番大きなホテルの工場見学もさせてもらえたんです。すごく大規模経営なんだけど、農村の中にある。その工場で作ったワイン、パン、ソーセージを、これまたすごく広いホテルのレストランで料理として出している。要するに生産から販売まで全て、そこで完結できていたわけです。グリーンツーリズムが発達している現地では普遍的なものだったみたいですけどね。それもまた私にとって、まさにこれしかないというようなスタイルだったんですよ。
 そうして時は経ち、2008年のこと。私は、かねてからの目標を一つ達成したんです。ポレポレから独立し、月山を窓から臨める弓張平の地に、ソーセージを作る自分の工房(くんせい工房ぽれぽれ)と料理として提供する店(ゆみはり茶屋)を持ったんですよね。―――「このままでいいのか」食品会社の新入社員となってから退職するまで、私の胸の内を何度も去来していたのはそんな思いでした。「ここでずっと過ごすことが果たして良いのだろうか。また違う生き方があるんじゃないか」そんな葛藤を抱えていた私の胸中に生まれた「自分で生活を作りたい」いう思いと“地方暮らし”や“食”というキーワードが、約20年の時を経て形になったんですよね。

私にとってのソーセージ教室
 今、年平均10数回開催しているソーセージ教室(子供向けに限らず)は、今後も続けていきたい仕事の一つです。というのも楽しいし、人の輪も広がるから。そして何より、思い入れがありますから。
 ―――あれは私が25歳くらい、肉屋で働いている時のことでした。偶然出逢ったとある雑誌の、おじいちゃんがソーセージの作り方を教えているという内容の記事は、なぜか「いずれ(子供向けの)ソーセージ教室は絶対にやりたい」という思いを私に抱かせました。それがきっかけとなり、一人暮らしをしていたアパートのキッチンでソーセージ作りを始めた私。「どうすれば誰でも簡単にソーセージが作れるか?」ということを念頭に置き、試行錯誤しながら夜な夜な作っていたその時の経験が、約四半世紀開いているソーセージ教室の原点なんですよ。当時独学で身につけたソーセージ作りのノウハウは、今もほとんどそのまま適用していますから。
 だからきっと、たとえソーセージ作りを辞めたとしてもソーセージ教室はやり続けると思います。もちろん依頼があればですけども。

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