#37 月山志津温泉 変若水の湯つたや 主人 志田靖彦さん

志田靖彦さん#37 月山志津温泉 変若水の湯つたや 主人 志田靖彦さん

「月山の力に育てられてきたように思います」

Profile
1951年生。西川町志津出身、在住。江戸時代から続く
つたやの主人。高校卒業後、大学進学のため東京へ。卒業後間もないうちに、大学の同級生だった妻・英子と結婚、と共に旅館を営んでいた実家へと戻ってくる。1997年1月15日、通年営業していくために旅館を改築し、リニューアルオープン。以来、徐々に夏スキーが主だった経営体制からの脱却を図り、今に至る。宿を通して、「春夏秋冬全てに旬がある」月山の魅力を伝えている。 ※ 文中敬称略

 

記事公開:2013-04-25

生まれ変わった、つたや
 「脱スキー」を掲げると共に新館を建て、新たなつたやとしての道を歩み始めたのが、今から16年前の1997年1月15日のことでした―――。1月15日といえば、ここ志津では真冬の一番厳しい時期。雪は3メートル程積もっているし、吹雪に見舞われる可能性だってある。だから、何を寝ぼけたこと言っているんだと思われたかもしれない。でも私はあえてその時季にこだわりましたね、自分の覚悟を示すという意味でも。
 夏スキーのメッカとしての志津から、言い換えれば“夏スキー以外はぱっとしない”、“冬のあいだは冬眠(休業)している”という志津の凝り固まったイメージから脱却し、一年中お客さんを呼べる新たな志津を売り出さなくてはならない。そのためには、言ってみれば日本全国規模の土俵で勝負しなければならない…。そういった問題意識を出発点に、建物の設計などのハード面からサービスとなどのソフト面までじっくり10年程の時間をかけて一から構想を練った上で1996年につたや旅館の改装工事に着手し、完成した翌年1月15日より全く新たな思いでつたやを始めました。
 実際、この新館にしても、改築以前、すなわちスキーに来るお客さんに合わせた設備が多かったいわゆる一般的な旅館の造りとはまるっきり違いますから。例えば、お客さんにとって居心地が良くリラックスできる空間にするために木を黒く塗ったり、ロビーや食堂から見た外の景色が一つの絵になるように大きなガラス窓を配置したり。そして、たとえ真冬にここに来たとしても景色を楽しんでもらえるように、視界を覆ってしまう(屋根から落ちて)積もった雪を溶かすための水路も設置するという工夫もしているんです。
 「旅館は地域の歴史館・文化館たれ」というのも、その時掲げたモットーの一つでした。この志津という地域にある旅館として個性を際立たせていくために、強みを作っていくために必要なものとして思い至ったのが、この地域をもっともっと掘り下げていくことだった。そうして行き着いたのが、地域の歴史や伝統、山菜料理といった文化などを受け継いでいくことだったんですよね。実際、掘り下げていくと、昔ながらの食事を取り入れる、山菜といった自然の恵みを頂くということは必然的に多品目の食事をとることになる、そしていわば“オーガニックの王様”と呼べる山菜には薬膳効果もある、それに温泉もプラスすれば健康促進や休養に効果がある…という良さが見えてきましたから。
 そういった思いを込めて旅館を全面的にリニューアルした後は、それ以前には来ることがなかったであろうお客さんも相当数いらっしゃっているんです。うちは決して贅を尽くした高級旅館ではないし、至れり尽くせりのサービスを提供する旅館でもない。それでも、うちに来て時を過ごすことに価値を感じてくれるお客さんが多くいらっしゃることや、われわれが考えること、伝えたいことを良しとして来てくれるリピーターのお客さんが多くいらっしゃることはうちの強みだと思っています。その根底には、迎える方も訪れる方も対等じゃないとおかしいという思いはあるんですけどね。

私たちの暮らしの形
 昔からずっと食べられていた食材を大事にしよう。ならば自然環境も大事にしないといけない。それが山菜を採って暮らしている人たちの支えになる…。という風に思いを馳せていくと、色んな人が関わって初めて諸々のことが成立していることに気づく。そう考えると、一口に“観光”と言っても、直接的に関わるわれわれだけじゃなくて、農家の人やガソリンスタンドの人をはじめ、多くの人が関わり合って一つの産業、要は総合産業を作り出していることがわかる。だから「観光を中心に据えた町づくりをやっていくべきだ」というのは、決してわれわれの手前味噌な意見ではないんですよね。そういう観光産業を主軸とし、「よそからいかに人を呼び込むか」が、過疎に悩む西川町が生き残っていくための一つの術だと思っています。
 まぁでも、旅館としてのわれわれの経済活動は、月山という地域の宝と結びついた上で成立している。そういう風に暮らしが成り立つっていうのは、ある意味幸せなことなんですよね。雪を代表として色々大変なことはあるんだけれども、それをプラスというか仕事に転換させられるわけですから。

つたやの存在意義
 「脱スキー」を掲げたとはいえ、現状としても、数で言えば夏スキーに来たお客さんが一番多いのは確かなんですね。ならば夏スキーが月山の魅力を一番表現しているかというと、そうでもないんです。“人がたくさん来る=魅力”では決してないわけで。
 私が思う月山の魅力としては、挑発的なコメントとして受け取られるかもしれないけれど(笑)、常に旬があるということなんですよ。筍やキノコが採れる時だけが旬じゃなくて、春夏秋冬それぞれの季節においてそれぞれの良さがある。それは天気が悪かったとしても同じで、雨が降った時にこそブナ林にどうぞと私は言いたい。ブナの樹が幹に集めた雨水が大地へと滴り落ち、樹間を流れるさまを目にしただけでもラッキーだと思えると雨もまた良しとなりますから…。
 というように頭でっかちに理屈でブナ林の魅力を語らんとする時に、ふっと顔を覗かせるものがあるんですよ。―――私が子供だった頃。例えば今の時季(4月頃)には、ウサギが引っ掻いて傷ついたイタヤカエデの幹からこぼれた樹液が凍ってつららができているんですけど、固雪の上を歩いて行ってそれをメープル味のアイスキャンディーとして食べるというような遊び方をしていたんですね。そういうかつての自然体験が、数十年の時を経た今、体が覚えている感覚としてひょんな時に記憶の底から引っ張り出されてきたりすると、改めて自然と共に暮らしてきたことを実感させられるんですよね。
 それから、当時は今のように何かあったら業者さんを呼んでお金を払ってやってもらうんじゃなくて、身の回りのことは全部自分たちでやるという暮らしでした。例えばパイプを組み立てたり、藁靴や蓑、笠を編んだりする技術をみな身につけていましたから。子供たちの間でも、できることは子供たちだけで担っていましたし。例えば小学校一年生の時、学校の薪ストーブに火をつけなくちゃいけないという当番が割り振られていたんですけど、心配半分ながらに行ってちゃんと火を点けられた時の喜びなんかもありましたからね。振り返ってみて、そういう生活を送る中で、生きる力みたいなものは自然と身についていたのかな。小さいながらに課題を与えられて克服するという一連のプロセスを経験できたのは悪くなかったなとは思っています。
 それはさておき、やっぱり月山にはたくさんの魅力がある。例えばただここのロビーの椅子に座って何もしないでいるだけでも月山の魅力を満喫していることになりますから。それは、月山とお客さんがうまく結びついたいい関係ができている証でもあるわけで。そういったことも含めて、月山に限らず東北の山は、旅人の“旅をする力”というか、想像力が問われる場所なんじゃないかと思うんですね。例えば「夏草や 兵どもが 夢の跡」という歌がありますよね。舞台となった平泉は、今やただ人気のないところに草が生い茂っているだけという風景なんだけども、想像力を働かせればその土地の記憶の中に刻まれている馬の蹄の音や、兵士たちの掛け声なんかが聞こえてくる…という場所だと思うんですよ。それはここの月山の自然にしても然りで、訪れる旅人の想像力が豊かであればあるほど、楽しみも増すところはある。だから、そういう“旅力”を持ったお客さんにはあえて構わないんですよね。それぞれの自由に任せている。その結果として、そういう距離感がすごく心地よいと言ってくださるんですよ。やっぱり、自分自身が旅をする場合もそうですから。例えば旅行会社が企画したパックツアーに参加するよりは、自分でプランニングする旅の方が好きですからね。
 そうやって「一年中いつ来ても、旬の月山と出会える」ことを前面に押し出して志津という地域や月山をPRすることに、旅館としての存在意義があると思うんです。だから、つたやを新しくして以来私たち(私と女房)がやってきたことによって、うちは地域の新しいお客さんを獲得するパイオニア的存在であり続けた・・・んじゃないかとは、自画自賛しているんですけどね。(笑)

かつての私、今の私
 今はこうやって魅力を語れるけれど、かつての私は月山やブナ林、そして志津という地域が持つ魅力に思いを至らせてはいませんでした―――。
 今から約40年前。大学を卒業して間もないうちに、父親の体調が悪化したことがきっかけで何もわからないままこっちに帰ってきた私。長男だったから「帰らないといけないんだな」とはおぼろげながらも思ってはいました。でも、旅館の具体的な経営方針を始めとして、帰って10年やそこらの間は確信めいたものは何一つ持っていませんでしたから。だから当時は何と言うか、旅館の日常に流されているような感覚は抱いていましたよね。半ば惰性でやっているところもありましたし。
 でもその一方で、「何か違うぞ」という思いも少しはあったんですよ。やっぱり、どういう旅館にするのかという問いは、どういう生き方をするのかという問いと重なりましたから。そういう意味では、旅館を通して自分自身を表現しているところがあって、仮にどこか足りないところがあるとしたら、私の人間性が足りていない、表現しきれていないことによるんですね。まぁでも、そんな風に根を下ろすという大前提があった上で、生き方を模索していかねばならないというのは、私たちここに生まれて、ここに帰ってくる人間の宿命だったのかなとは思いますね。
 そういう思いがゆっくり時間をかけて大きくなって、形になって・・・という過去を経て今に至るんですよね。地域の中での色んな付き合いに始まり、国内外問わず旅行に行って自分のセンスを磨くことや、小学校の頃から好きだった読書、お客さんとの出逢いなどによって少しずつ人間として成長させられてきて、それと共に月山の魅力なんかも見いだせるようになってきたんです。やっぱり、自分自身の内在的なものよりも、外の環境の変化が自分の成長を促すようなところはあるんじゃないかな。色んな所に行って、色んなことを見て、感じるという過程を経てきた中で、私自身もある一定の所見を持てるようになって、自分を成長させられてきたんだと思います。
 読書で言うならば、もともと歴史に関わる本にまずは手が伸びるようなところがあるんです。というのも、本の中から浮かび上がる過去という目に見えない世界に、想像力をかき立てられるというのが一つの醍醐味ですから。とは言え、かつては中学校の歴史で習うようなこと、例えば「坂上田村麻呂に征服されてから東北の歴史は始まった」という知識だけで事足りていたところはあったんですよ。でも、こっちに帰ってきて本を読めば読むほど、そんな歴史観に納得できなくなってきた。(笑)実際、史実としては残っていなくとも、間違いなく人々が生活を営んでいたという歴史はあるわけですから。
 きっとそういう新たな発見に私自身の自我が相まってきたからなんでしょうね。要は、知らない世界が徐々に理解できる世界へと変わっていく。そして変われば変わるほど、自分自身のモノの見方も変わるし、何より成長できる。そういう喜び、今も変わらぬ喜びに出逢えた。それは読書に限らずであって、ふと立ち止まってみると気づくんですよね。普通に生活していると意外と知らないこと、知らなくて通り過ぎていることが多いってことに。そんな中、世間から見ると小さなことかもしれないけれど、その小さなことにこだわって掘り続けると人間は成長できるんじゃないかなと思いますね。そうそう、最近千歳栄さんも言っていました「自分の足元を掘れ。その足元に泉あり」って。そんな風に周りにいっぱいあるチャンスを生かせるかどうかは結局自分次第なんでしょうけど。
 だけどやっぱり、実家に戻るのと同じタイミングで結婚した女房との出逢いを超えるものはないでしょうね。何しろ大学時代から約40年、ずっと一緒にいて、同じ方向を目指してやってきた私たちはいわば同志ですから。
 振り返ってみれば、時が経つにつれて、そうやって仕事と自分の興味や世界観を含めた自分自身が重なってきたところはあるんでしょうね。やっぱり、何と言うか、月山の力に育てられたというかなぁ…。ここで暮らす中で、自然に育てられてきたというところはあるかもしれませんね。

 

[編集後記]
もっと深く、もっとじっくり、靖彦さんの胸の内に広がる世界へと僕は旅をしてみたい。
約40年という年月に裏付けられた「私たち」という言葉に込められた力強さから僕が見出したのは、遥か先を行く大人たちの背中だった。

 

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