No.42 Project Restore Manager ウィトン・ダリーソン

ウィトンStory No.42 Project Restore Manager ウィトン・ダリーソン

「すべての生き物が共存している世界をこの目で確かめたい」

Profile
1979年生。タイ王国チェンライ県の外れに位置するバンバラ村出身在住。少数民族であるラフ族。チェンマイにあるパヤップ大学にて社会学を学び、卒業と同時に結婚。チェンマイ大学院に進学し、持続可能な発展、自然資源管理のノウハウを学ぶ。卒業後、チェンマイ市内に事務局を構えるNGOでの約5年間の勤めを経て生まれ故郷へと戻り、村人たちと共にメーチャン郡内の村が直面している社会問題の解決に取り組み始める。現在は家族と共に実家で暮らし、アカ族やラフ族の農民たちと組んだり地方政府と足並みを揃えたりしながら、周辺域で暮らす山岳民族へ持続可能な未来をもたらすべく尽力している。二人の子の父。 Project Restore HP *写真:奥山昇    

記事公開:2013-6-20

 

資本主義の下で
 それは、僕がまだ生まれていない1970年頃の話。タイの奥地にあるここバンバラ村までグローバリゼーションの波は押し寄せてきたといいます―――。
 触手を伸ばしてきたのは、ビジネスの拡大を目論む穀物メジャーでした。彼らは村の農民たちに提案したんです「手っとり早くお金を儲けられるから、トウモロコシを作ればいい」と。きっと魅力的に聞こえたんでしょうね。提案に乗った農民たちは、豚の飼料作物となるトウモロコシの単一栽培をいっせいに始めました。それから約30年――。平地や山の斜面を切り拓きながら、そして参入してきた外資系の農薬、化学肥料メーカーが無知につけ込んで買わせた農薬や化学肥料を大量に使いながら作ったトウモロコシに村人たちの生活は支えられてきました。
 一方で、弊害を省みられることのないまま、そういうやり方が続けられてきたことの代償は大きかった。化学肥料や農薬の大量使用により土地はやせ細り、新たな農地を求めるべく行わざるを得ない焼き畑により、かつては木が生い茂っていた山もはげ山となり、大量に降る雨により表土が流されてしまっている。その結果、かつて美しかったという風景も今や見る影もなくなってしまっている。さらに悪いことに、荒れた土地は政府に没収されてしまう可能性があり、もし没収されてしまったら住むところを失う僕らは町へと追いやられてしまう…。
 そんな現実にこの村が直面していることを知ったのは、僕が大学生の時でした。

思い通りにゆかない日々
 バンバラ村が抱えるそれらの問題を解決するノウハウを学ぶため、僕はタイ王国第二の都市、チェンマイ市内にあるパヤップ大学を卒業後、チェンマイ大学大学院に進学しました。
 大学院で学ぶ中で「学び得た持続可能な農業に関する知識を現場で早く実践したい」との思いが湧き起ってきた僕は、2年目くらいから土日の休みを利用して実家に帰り、荒れた山の斜面にお茶、コーヒー、アボガド、マンゴー…といった作物が成る10種類の木を植え始めました。というのも、色んな葉っぱが地面に落ちることで良い腐葉土ができ、土が豊かになり、地下水の涵養効果が生まれてくる…という過程を経て、山が元に戻っていくと学んだから。だけど、そんな僕の行動を村人たちや家族は理解してくれなかった。「何でそんなものを植えるんだ。お金を得るためにトウモロコシを植えろ」彼らの口から出るのは、そんな反対の声ばかり。僕としては、彼らがやるような農業、要は化学肥料や農薬を大量に使い農地をどんどん荒らしていくような農業はやりたくなかったんです。木を植えたのは、そういう従来のやり方から脱却していく第一歩だったんですよね。
 それから「村で腰を据えて農業をやりたい」との思いを抱くようになるまで時間はかかりませんでしたね。「いずれは村に帰ってきたい」という思いは高校生の頃から抱いていましたし。というのも、子どもの頃から手の届きそうな所にある森や川に行くのが好きで、ただその場所にいるだけで幸せだった僕の目に、毎日をここで過ごせるという未来はたまらなく魅力的に映し出されていましたから。
 でも、その時すでにチェンマイ市内で所帯を持っていた僕の前には、たやすくは乗り越えられないハードルが待ち受けていました。というのも「故郷に帰ろう」と妻(同じくバンバラ村出身)に提案した時の答えはこうでしたから。「会計を学ぶ短大に通ったのは、村に戻ってきたくなかったからなのに。都市部で仕事を見つけて、いい暮らしをするために勉強したのに、何で今さら戻らなきゃいけないの」って。そんな僕たち二人の意見は合うはずもなく、平行線を辿るばかり。結局最後には僕が折れて、大学院卒業後はチェンマイ市内に事務局を構えるNGO(主に山岳民族が暮らすタイ北部の村の子供たちの教育機会の拡大や衛生面の改善をミッションとする)のプロジェクトマネージャーとして働き始めました。
 そこで働いていた時は、必然的に色んな村に出向いていたんですけど、その度に僕の頭に浮かんでくるのは、生まれ故郷であるバンバラ村のこと、政府に没収されてしまうかもしれないバンバラ村のことでした。そのうち僕は、土日の休みを利用して村に帰り、思い描いた農の形を実現すべく動き始めると同時に、村の農民たちを巻き込もうとしたんです。なぜなら自分のビジョンには自信があったから。でも「俺の言うとおりにすれば間違いないから、皆もそうすべきだ」というように相手の立場を顧みることなく、あまりに強引だった僕には誰もついてこなかった。そんな風に独り相撲をとる僕を尻目に村の若い人たちは皆、仕事を求めて都市部に出ていく。さらに、妻は知らぬ間に子どもたちを連れて遠く離れたバンコクに働きに出ていってしまう…。次から次へと現われてくる問題が僕の前に立ちはだかり、全てがうまくいかなかったあの頃は、光が差し込む気配のない暗闇の中にいるような状態でしたね。

僕を支えているもの
 そんな状況下で、何より心の安らぎが欲しかった僕は、すがるようにキリスト教の考え方を学べる聖書学校に通い始めました。29歳の時でした。
 その学校に通っていた4ヶ月間は、自問自答の繰り返しでしたね。「どうすれば村で暮らしていけるのか?そのために自分は何ができるのか?」という問いが何度も何度も僕の胸の内を行き交っていましたから。そんな僕に先生は諭してくれたんですよ「あなたの心は、あなたが本当にやりたいこと、そしてあなたがこの世に生まれてきた理由を教えてくれますよ。神様は、あなたを正しい道へと導いてくれるでしょう」って。
 「大学院まで出ているのに何でそんなことをしているのか?あいつは頭がおかしいのではないか?」「妻と子ども二人を置き去りにした。どうやって家族を養っていくつもりなのか?」周囲が僕に向けた蔑みの目はそんなことを語っていました。というのも、以前働いていたNGOでセカンド・ディレクター、要するに高い社会的地位や賃金を確保できる職を蹴って、そこに通ったわけですから。実際、金も地位も一切手にしていなかったですしね。
 そんな時に来てくれたのがマイクであり、ジョン(現在、ウィトンが進めるプロジェクトの支援を行っている)でした――。チェンマイ大学で教鞭をとっていたアメリカ人のマイク(バプテストの宣教師でもある)が授業のカリキュラムの一環としてこの村を訪れるようになったのが数年前のこと。マイクはその傍らで、主に農村部にいる、経済的には豊かでない家庭に育った子どもたちにも教育を受ける機会を平等に提供するために学校を作るというプロジェクトを先頭に立って進めていました。バンバラ村も、例に漏れず学校が建てられました。そこで先生をやらないかという話を彼からもらったんです。でも、断りました。もちろん村には帰りたかったけれど、先生として帰るつもりはなかったんですよ。農家として帰るのでないなら、帰る意味はなかった。ほんと、農業に対する僕の思いは狂気の沙汰とも言えるほどなんですよね。
 そんなこんながあるうちにも、農地の荒廃はどんどん進んでいく。だけど、ある時気づくと農地がとても綺麗になっていたんです。それは、妻の母が土地の面倒を見てくれたから。そんな光景を見た私の中で再びエネルギーが湧いてきたんです。もう一度チャレンジしてみようって。
 我慢に我慢を重ねた、2年前の2011年。ようやく村に身を落ち着けて働けるようになりました。ところが、そこでまた問題が持ち上がってきたんです。「この村で暮らしていては、子供たちは学校に通えない。だから通えるような所に家を建てたい」と言う妻と、その一方で「農作業で使う中古車のトラックを買いたい」と言う僕で意見は対立しました。父や母を始めとして、皆妻の肩を持ちました・・・。とにかくずーっと我慢、我慢の連続でしたよね。
 そんな風に逆風が真正面から吹きつける中を前に進んで行く上で、僕の狙いや考えを理解してくれるマイクやジョン、そして彼らが連れてきてくれるグループの存在であり、彼らがかけてくれる「続けてくれ。私たちは応援しているから」との言葉は心の支えになりましたね。僕一人だけ気が狂っているわけじゃないんだと思わせてくれましたから。おかげで、今こうやって諦めずに夢を追い続けられている。

僕の夢
「いい仕事について、大きな車を買って、いい家に住んで…。それが人生の成功なのだから」タイ政府は僕ら国民をそう煽動してくるんです。今、多くの人がそういった”成功”を目指す中で、それに倣えない僕のような変人がいる。
 やっぱり、この土地には答えがあるんです。農業をやるのに適した美しい山や川や土地といった自然がある。そして、長年の間、この土地で紡がれてきた生活や歴史、文化がある。その中で伝承されてきた生活の知恵は「どうすれば私たちが生き残っていけるか」という問いに対する答えを内包しているんですよ。実際、お金をどれだけたくさん持っていたとしても、食べるものがなければ死んでしまうわけですから。そういう意味で、お金は生活を支えてくれないんですよね。人やお金、経済のための生活はもう終わりにしたい。土地に根付いた文化や動植物といった自然資源を後世にも受け継いでゆけるような持続可能な生活スタイルへと変わってゆかなければならないと僕は思うんです。
 土地を奪われ、ここに住めなくなってしまうかもしれないという恐怖は僕を強く駆り立てている。そうなる前にかつてこの村に広がっていた美しい風景を、自分たちの手で取り戻したいし、取り戻さなくてはならないんですよ。僕の頭には、そのこと以外ないですから。今回は、二度目のチャレンジ。かつての失敗から学び、村人たちと根気よく対話を重ね、同じ目線に立って一緒にやるようになった今では、十数軒の農家が僕の考えを理解し、僕について来てくれている。ほんと、何度も挫けそうになって、何度も辞めようかと思ったけれども、かろうじて踏みとどまってようやくここまで来られた。
 いつの日か、持続可能な農業がここで行われている風景を見てみたい。すべてのものが共存している世界をこの目で確かめたい。それが僕の夢なんです。とてつもなく大きな夢だということは十分わかっているし、最終的には「ならば、どのように金にしていくのか」「いつお金になるのか?」という問いにはいつも還って来ます。でも、神様も言っていますから「あなたのやりたいようにやりなさい」って。

 

[編集後記]
新しい時代を切り拓いていく人間は、皆同じような道を辿るのかもしれない。

※ 次ページに英訳版を記載しています。

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