No.45 大江町本郷東小学校 校長 安孫子一彦さん

Story No.45     大江町本郷東小学校 校長 安孫子一彦さん

 「子供たちには、偉い人より立派な人になってほしいと思っています」
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 Profile
1956年生まれ。寒河江市出身、在住。高校卒業後、東京の大学の法学部に入学。大学卒業後、2年の時を空けて1982年4月より教員として仕事をスタート。2011年4月より当小学校校長。今に至る。

 

私が思う学校のあり方・教師のあり方
 まず学校というのは、どこでもそうでしょうけど、人を育てる場所ですよね。小学校ならば、”立派”な大人•社会人になるための準備をする場所であると思うんです。だから現場にいる人間は、「なぜ学校があるか?」という問いに向き合って、自分たちの仕事の意味や価値を理解しなきゃいけないんじゃないかと思うんですよ。
 現場にいる人間の一人として、いずれは大人になる彼らに対して抱く一つの願いとしては「偉い人より、立派な人になってほしい」ということなんです。いや、偉い人になってもいいんですよ。だけど、例えば一つの会社で偉い人、要するに社長は一人しかなれないじゃないですか。かけっこで言うならば、1位は一人しかなれないわけですよね。そんな中で仮に1位だけが大事だとすれば、あとの人は皆敗者になってしまう。たった一人の勝者を作るために多くの敗者を作ってしまうわけです。一方で、立派な人はもっとたくさんなれるじゃないですか。確かに、偉くなるにはその道でそれ相当の努力をして、周りにも評価されて、時にはしのぎを削って自己を高めて…という過程を経るのかもしれません。世の中というのはそういう偉い人が作る部分もあるでしょう。だけど、偉い人が増えても、いい世の中になる保障はないんじゃないかな。一方でたとえ貧しくとも、社会的地位は高くなくとも、立派な人が増えれば増えるほどいい世の中、いい社会が作られていくんじゃないかと思っています。
 ”立派”というのは、ある意味人智を超えたものであり、徳と呼べるものなのかもしれません。要するに、実体が見えないものではあるでしょうね。でも、サンテグジュペリじゃないけれど、大切なものは目に見えないんですよ。一方で目に見えることっていうのは、実はそんなに重要な問題ではないですから。そのことを踏まえると、人に勝った負けたよりも、究極的には人としての値打ちとかあり方、生き方を求めて人を育てることが現場にいる人間としては大事なんじゃないかと思うんですね。仮に、全く努力をしないで100点を取った子どもと、すごく努力したけれど80点しか取れなかった子どもがいたとすれば、後者の方を褒める。 “努力しないでとった100点より努力してとった80点の方が尊い”そんな価値観を育てることが大切なんじゃないかと思っていますね。
 それから、「生きる力」という言葉が流布していても、具体的に「どう生きるべきか」ということがほとんど語られていない昨今にあって、教師、すなわち子供の前に立つ指導者としては差し当たって「どう生きてほしいか」「どう生きるべきか」を語らなきゃいけないと思うんですよ。決してその教師の言うことが絶対である必要はないし、数あるうちの1つでいい。教師も保護者も生きづらくなっているこのご時世ではあっても、あえて、だからこそ次の時代を作る彼らにそれを語ってほしい。そしてそのことを粋に感じて、仕事への誇りも生まれてくるような形であってほしいですね。まぁ現実としては教職の誇りよりも先に、現場の意地でしょうけど。自分の中も矛盾だらけで、果たして自分が言うような生き方をして彼らが幸せになれるかどうかもわからなかったとしても意地になって語ることが大事なんじゃないかと思っています。
 自分自身のことで言えば、直接生徒に授業を展開することの少ない校長という立場において、全校朝会がいわば自分の授業みたいなものだと思っているんです。何をどのように話すか、考えを練った上で私なりの考えを話すことで、彼らの中に種をまくような感覚で喋ってはいるんですよね。保護者の方々に配っている学校だよりにしてもそう。結果報告としてのおたよりじゃなくて、自身が伝えたいこと、考えていることを含ませて書くようにはしているんですよ。やっぱり、学校での教師にせよ、家庭での親にせよ、地域での大人にせよ、結局大人が子供を育てていることに違いはないと思っていて、その根っこにあるのは「大人とは何か?」という問いなんです。だから子供を云々する前に、自分たちが何とかならなきゃいけないんじゃないかというのが一人の大人としての思いですね。

”学校”と”社会”
 そういう理想は抱きつつも、現実問題としては、学校という小さな枠の中でクルクル回っていても意味がないんですよ。言い換えれば、社会とつながらない教育は意味がない。だから思うんですね、子供たちの言動や行動を褒めるにせよ叱るにせよ、学校だけに特化した価値基準じゃなくて、社会や人間本来のあり方に照合した価値基準で行うべきなんじゃないか。そうすることによって彼らは社会に出る準備をして育っていけるんじゃないかって。授業だって然り。「世の中に出て役立つような授業って何?」そういう問いから遡って考える必要があるんじゃないかと思っています。

 社会とつながるとは言っても、教育というのは庇護の下に囲われて守られないとできない部分もあるんですよね。仮にそういうものがなくて、世の中の荒波が教育現場にどっと押し寄せたなら、ひとたまりもなく波に吞み込まれてしまう。要するに、安心して教育や授業なんてできない。だから、庇護下にありながらも、世の中との接点を意識してつなぐということが以前より求められる気がしますね。観念的ではありますけども。そのためにも、“学校を外から見る、未来から見る”というように視点を外に置くということが大事だと思います。まぁなかなか難しいことではありますが。
 そんな思いの下、本校でやっている大胆に自然と関わる活動を行う冒険学校で言うならば、地域の子どもとして育てる、言い換えれば町が好きな子どもを育てることが一つの目的なんですよ。例えば、今はもう、川に入って遊ぶことなんて学校じゃないとできないですから。かつてはみんなの遊び場だった川は、いつの日からか危なくて汚くて行っちゃいけない場所に変わっている。そういう状況にあって、学校こそが責任を持って安全を確保しながら、楽しさも怖さも体験させられる役割を担っていると思うんですよ。そしてそれこそが本郷東らしい教育であり、この地域らしい子どもを育てるための一つの道筋だろうと思ってはいますね。逆に、ここで育った子どもが川で遊んだことがなくて、川を知らなかったらいびつじゃないですか。そのくせかたや、「国際化」と言われている現状がある。国際化も大事だけれども、”国際人”の前に”日本人”であって、”日本人”の前に”地域人”なんですよ。つまり、立派な田舎者は立派な国際人なんですよね。田舎の人間が田舎を知らないで日本を知っていることにはならないし、世界に出たときに語れないじゃないですか。そう考えると、当校としてすべきなのは“ここらしい教育”をすることなんですよね。
 それに当たって、子どもたちに守り伝えるべき価値というか財産の伝え役として、転勤があってその地域に関してわからないことがたくさんある我々よりも、ずっと暮らしてきた土地の人の方がはるかに適任なんです。だから学校としては、情報収集するための回路、すなわち地元の人たちとのつながりを整備してたくさん持っていることが大事だと思っています。それを少し束ねたのが、「本郷東小学校グランドデザイン」なんですよね。以前5校あった町内の小学校が統合化という時代の波に乗り1校となった当校ではあるけれども、残った小学校という捉え方ではなくて、新しい本郷東を作るという風に考えると、広大な地域の中でもう一度掘り起こして子どもたちに伝えなきゃいけないことってやっぱりたくさんあるんですよね。
 でもやっぱり、人為的に作った制度である「教育」は、絶対に現実を超えられないんですよ。常にどこか無力であって、限界がある。そんなことなどつゆ知らずに私は教員になりましたけど。それこそ金八先生のドラマが一世を風靡していたような時代でしたからねぇ。だから、20代の頃なんかは金八気取りでやっていましたよ。(笑)クラスでいじめ問題みたいなものが発生したら、教科の授業はせずに、近くの神社に連れて行って学級討論会を開いたりね。泣く子はいるし、謝る子はいるし…。まぁドラマでしたよ。今思うと何やっていたんだろうという感じですけど、当時の私には教育とはそういうものだと思い込んでいた節があったんですよね 。

”仕事”と”私”
 思えば、若い頃、私の周囲には魅力的な先輩たちがたくさんいましたよね。これまで「あんな先生になりたいな」「あの先生すごいな」と思うような人たちにたくさん出逢ってきましたから。その人たちは自分にとって一つのロールモデルであり、目指すものでありました。
 例えば、担任時代、クラス経営がとても上手い先輩がいました。何が違うって、子どもたちがどんどん変わっていくんですよね、そういうクラスって。日増しに意欲的になっていくわけですよ。勉強は自らするし、授業は一生懸命聞くし。その先生が私と決定的に違ったのは、褒め方を知っていたことですね。特別支援教育に造詣が深かったからでしょうか。とにかく、褒めるのが上手い先生でしたから。等しく子どもを良くしたいという思いを持ってはいても、注意して叱っていた私にはできないなと思わされましたよね。それから、絵の指導が上手い先輩もいてねぇ。子どもにすごい絵を描かせるんですよ、ほんとに。その姿を見て自分もあんな絵を描かせたいな、という思いが芽生えた私はある時、訊いてみたんです。「どうすればそんな絵を子どもたちに描かせられるのか?」って。そしたらその先輩は「いい絵を描かせたいと思うなら、いい絵をたくさん見なきゃダメだ」と言ったんですよ。それを聞いた私は、以後、全国レベルのコンクールの入選作品を見るために、東京まで何度か足を運びましたね。金も使ったけれど、身銭を切って学ぶことをしなきゃダメだなとは振り返ってみて思います。ーー後日談でいうなら、そんな風に自分なりに研究したからかどうか、指導した生徒たちは絵のコンクールで賞とかは結構取ったんですよ。もちろん、賞を取ることだけが大事なことではないですけども。結局そうすることで自分が嬉しかったんでしょうね。努力して指導して結果が出ることの喜びがあったんです。子どもたちも結果が出れば嬉しかったでしょうし。まぁでも、その辺は紙一重になってくるところはあるでしょうね。子どものためにやっているのか、自分のためにやっているのかわからなくなってしまうというか。そういう愚かさみたいなものを自覚しておくことが大事なんでしょうね。ーー
 そういう先輩たちは、要するに私にとっての夢であり憧れだったんです。教わった風に言えば、自分を映す鏡だったんです。夢や憧れって自助努力によって作る部分もあるでしょうけど、やっぱり環境にある程度左右されて生まれるものなんでしょうね。私が勤めていた学校では、求めると応えてくれる先輩がいっぱいしたし、若い人が先輩に学ぶという空気が一般的という風通しの良い環境でしたから。逆に、例えば結果や結論を求められてばかりいると、遊びがないから夢も憧れもないじゃないですか。汲々として今に拘泥して、今が全てになってしまう。今なんてものはある意味、通過点であるべきであって、目指すものはその先にあるはずですから。
 自分自身のことを差し挟むと、あと3、4年で定年を迎えはします。とは言え、その後も2、3年で終わるか20年続くかはわからないけれど私の人生は続く訳だから、定年というのはあくまでも通過点なんですよね。実際、今の長寿社会では、多くの人は仕事も収入もない状態で20年ほどの時を生きるわけじゃないですか。その時間をいかに幸せに生きるかということを考えたとき、そのために教育や学びがあり、仕事をして社会参加する時間があると思うんですよ。体が動いて収入がある時期というのは、苦労があろうともきっと生きられる。でもいざそれが一気になくなったら・・・、そういう時にそれでも幸せだと思えるようなモノの考え方ができるかどうかが大事なことだと思っています。
 そう考えると、老いることは果たして罪なのか、あるいは悲劇でしかないのか・・。そんな思いがフッと頭をよぎることもある。でも、この歳になったからこそ判断できることとかこの立場だから決められることもあるし、昔だったらこういう考え方は絶対できなかったなとふと思うことがあるんですよ。だとしたら、歳をとることもまんざら悪くねぇなと思いますよね。今の世の中には若いというだけで評価しすぎる嫌いがあるけれど、若いとは未熟であるということでもあって、年老いてこそ初めて老練し円熟するわけですから。

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