#56 日本語教師の卵 會田 篤敬さん

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「自分の人生は、自分のためにオーダーメイドしたい」


1991年生。東京都出身、在住。私立の中高一貫校で6年を過ごす。在学中、友人と2人でオーストラリアへ1週間の語学留学をする。高校卒業後、授業や課題など完全な英語づけの環境を提供している法政大学グローバル教養学部へ入学。2011年にはフィジーの英語留学を斡旋するベンチャー企業のボランティアとして1ヶ月半程フィジーで、秋からは留学生として3ヶ月カナダで過ごす。大学4年の現在は、日本語教師になるべくアメリカの大学院への進学の準備を進めている。

記事公開:2013.12.3

英語との出逢い
 最初のきっかけは、たわいない憧れだったんです。
 ――遡ること7年前、高校1年の春。英語の教科書で出逢った星野道夫さんの文章を皮切りに、僕は彼の本を読むようになりました。16歳の夏、ヒッチハイクでアメリカを旅した彼、19歳の夏、アラスカのシシュマレフ村でエスキモーの家族と3ヶ月暮らした彼…。そんな彼の生き方に惹かれていった僕の中には、いつしか海外を冒険してみたいなという思いが芽生えてきたんです。と同時に海外に対する漠然とした興味がわいた僕は、英語の勉強を始めました。でも、その頃の自分は英語はからっきしダメ。中学校の頃のテストなんて10数点くらいでしたから。
 その翌年、高校2年になって係を決めるという段になり、僕は「英語係」というものについたんです。「英語係」とは、オーラルコミュニケーションの英語の先生(外国人)とコミュニケーションを図るいわゆる連絡係。先生は日本語をほとんど話せないということで、必然的に会話は全て英語。そんな係の仕事を通じて、拙いながらも英語でコミュニケーションをとる中で思うようになっていたんですよね。あ、英語って面白いなって。おまけに少しではあっても自信を手に入れられたことも手伝って、海外へ行きたいという思いはますます加速していきました。
 その年の夏休み。学校の友達と二人で1週間オーストラリアのケアンズへ語学留学をしたんです。そこで夢が叶ったことは叶ったんだけど、一週間という短期間だから消化不良みたいな感覚で。ならばどっぷりと浸かろうと海外の大学への進学を希望するも、父親からの「大学だけは日本にしてくれ」との要望を受け断念。結局僕は、全て英語で勉強しなきゃいけないといういわば”国内留学”をすべく、法政大学グローバル教養学部への進学を決めたんです。
 実際、英語に関して言えば、大学に入るまではけっこうトントン拍子に来ていたんです。英語の勉強を始めるようになって2年の3学期には一気に学年トップになり、英検準1級も受かり、推薦入試の出願資格もクリアしてしまった。そして推薦入試にも受かり…という風に順調に来ていたわけです。と同時に、英語への自信も深まってきていた。だけど…。いざ大学に入ってみると、同じ学部内では僕みたいなメイド・イン・ジャパンは逆にマイノリティ。おやつは皆OREOで、僕一人だけ芋けんぴを食べているという感じだった。要は、海外で生まれて育ってきた帰国子女がけっこういるわけです。英語をちゃんと勉強し始めてたかだか1年半ほどしか経っていない僕がそんな人たちに敵うはずもなく。しょせん自分は井の中の蛙だったんだと思い知らされましたよね。

変わってきた思い
 いざ”国内留学”を始めてみると、そこは中学高校を含めたそれまで僕が生きてきた世界とは別世界。僕が中学・高校生活の6年間で感じていたのは、みんなどうしても”日本人”を作ってしまうということ。一概には言えないけれど、和を重視するとか集団意識が強いとかいうような日本人特有のものを感じていたんです。ひるがえって、グローバル教養学部にいる日本人は、そういう日本人らしさを持っていなかった。だから市ヶ谷にいながらにして、カルチャーショックを受けましたよね。当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなったというか。例えるならば、幕の内弁当しかないと思っていたお昼ご飯にはパスタなりハンバーガーなり色んなメニューがあると知らされた時のような感覚でしょうか。
 勉強方法に”当たり前”がなくなったのも、大学生になってからのこと。僕が在籍している学部の教授は大体が外国人です。彼らが出す課題とかテストは穴埋めとか記号選択問題はほとんどなくて、ただ白い紙を渡されてテーマについて論じなさいというスタイルなんですよ。中には一週間前からテーマを教えてくれる教授もいるんですけど、基本的には準備をしてこないとできないじゃないですか。一方で、高校の時とかのテストだと一夜漬けで何とかなっちゃうこともある。大学でそういう欧米式の良さを知ってしまったからこそ、高校の頃の勉強方法が表面的なものとして映るようになったんです。
 ところで、大学の推薦入試の合格が決まった高校3年の12月半ば以降はかなり時間を持て余していました。一般入試で受験する学生にとって山場である3学期は学校に通う必要もなく、僕にとって最高に自由な時間だったわけです。
 その時、時間つぶしの方法として(英語づけという大学の学習環境に適応するためにも)リスニングの教材として洋画を観ようと思い立った僕は、TSUTAYAから借りてきたDVDを毎日3本くらいずつ観るようになりました。
 本気で英語を勉強したいという気持ちがなかったからでもあるんでしょう。映画を何本も観るうちに、だんだん気が変わっていきました。当初の目的はどこへやら。いつしか演劇に興味を持っている僕がいたんです。
 そして、大学入学後。そこでほんとに役者をやりたい人だったら俳優養成所とかに入るんでしょうけどね。そこまでの意欲はなかった僕は塾みたいなところに入学。そこには1年半くらい通って演劇を学んだんですけど、どんどん演劇の世界に惹かれていきました。まず、似たようなタイプの人たちが集まっていた中高生時代や小学校時代に通っていた学習塾とは違って、けっこう色んなタイプの人が集まるわけですよね。見た目で言えば、タトゥーを入れた人とか、ドレッドヘアーの人もいて…というように。
 進学校で過ごした中高の6年間は勉強、勉強…で遊びがないアンバランスな状態だったんです。でも、日常生活とちょっと離れたところ、いわば遊びの要素を持ち合わせた演劇と出逢ったおかげで、自分の中に初めて遊びの部分ができたんですよ。僕の場合、素で生きている部分はわりと一生懸命というか、遊びがなくなっちゃうタイプだから、その両者でうまくバランスをとれるようになったんですよね。何というか、カーナビで到着地点を設定せずに車を発進させ、運転するうちにドライブ自体が楽しくなったというような感覚でしょうか。
 そういう世界を知った上で、そしてそういう楽しみを知った上で大学なり社会を見てみると、「いい大学に行って、いい会社に入って、あるいはいい職業に就いて…」というルートを歩むことが正解とされる風潮に違和感を感じるようになってきたんです。ファッションにしてもそう。大学生もだいたいみんな似たような服装をしていますからね。パッチワークのポロシャツを着て、くるぶしまでの折り返しのズボンを履いて、リュックサックを背負って…みたいな。
 じゃあ正解ってそもそも何なんだろうってことを考えた時、要はただの一つの考え方というか実体がないものだと思ったんですね。必ず、時代の変化と共に変わっていく「ただの流行り」にすぎないのかなと。だったら、そこからは遠ざかってやりたいことをやった方が一生涯として考えた時、楽しい人生になるのかなと思うようになったんです。
 かく言う自分自身、それまでは「海外で生きているから人よりかっこいい」というような思いが少なからずありましたけどね。かなり他者と比較してしまう自分もいましたし。「おれはあいつとは違うんだ」みたいな思いは強かったですから。今は、ニューヨークで働くか川越で働くかの違いは池袋で働くか新宿で働くかの違いでしかないのかなと思うようになりましたけど。
 実際、「グローバル教養学部にいる」だけで、他学部の学生からは「英語がすごい人」みたいな見方をされるから、1年の終わりくらいまではかなり天狗になっていたんです。周りにちやほやされて勘違いしていた自分がいたわけです。例えるなら、戦車は”すごい”乗り物だと思っていたんです。確かに戦場では戦車は最強の乗り物なのかもしれないけど、首都高や狭い路地裏に行けば、戦車は無用の長物になりかねないですから。
 同じように、以前俳優志望だったのも「役者」という存在自体がすばらしいものだと思っていたところがあったから。言ってみれば、恋に恋するみたいな感覚があったんです。でも、演劇に携わる中で、監督や演出家といった舞台に上がらない人もいっぱいいることを知っていったことで、演劇の分野に限らず、仕事は色々あって全部が必要なものだと思えるようになり、とげがとれてきた。つまり、価値基準が相対的なものから絶対的なものへと変わったんですよね。
 そういう自分自身を周りからの評価と今までの経験を踏まえて分析してみると、若干人と違う感覚を持っているのかなと思うんですね。でも、それを悲観的には捉えていません。むしろその部分をこれからどう生かしていけるかが楽しみなところ。窮屈さを感じていた高校時代は、大学のパンフレットを見ながら「早くこっちに行きたい」という思いを抱いていたし、大学に入ったら入ったで「早く卒業したい」という思いが芽生えてきましたから。(笑)
 というのも、どちらかと言えば、この国にいる以上、大多数は社会の”正解”に即して生きるわけじゃないですか。それを否定するつもりはないけれど、それが合わないのだったら自分から出て行くべきなのかなと思うんです。環境の合うところでやりたいなと。知らないところに行けば、色んな人や色んな考え方に触れられるだろう…という、ある意味無い物ねだりをしているのかもしれません。どこで暮らすにしてもいいことも嫌なこともあるのだと思います。それを踏まえて海外と国内を天秤にかけたとしても、やっぱり海外がいいなという結論に至ったんですよね。

僕の中での闘い
 海外に住むこと。それが、僕が将来を決める上での第一優先事項です。
 僕は今まで、アメリカとかカナダなどいくつかの国に留学なり旅で行ってきたんですけど、例えば日本では正解と言われているものが、アメリカだと不正解になったりするじゃないですか。そういう気づきが僕にとってはおもしろくって。
 そもそも僕は、自分の性質として周りのものに縛られがちなところがあるんですね。モノで例えるならば、スポンジみたいな感じ。その場所に行っちゃえば、その色に染まっちゃうというか。例えば、日本が赤で、アメリカが青だとしたら、僕自身は紫の人間になってしまうし、そうなりたいとも思っている。具体的な例で言えば、2年程前、2ヶ月程過ごしたフィジーでは毎日のようにキャッサバが食事として出されたんですけど、僕としてはそういうもんだっていうか、まず受け入れちゃった方がいいかなという感覚で自分の中に取り入れていくんです。
 自分に色んな色を入れるということは、ある意味日常的なことですよね。周りの人と交わる中で自身が変わっていくことも、色を入れることになるでしょうから。要は、「新しいものに触れて自分がどう変わっていくか」が僕にとっての大きな楽しみなんです。だから、例えばこうやってインタビューを受ける時でも必ず心構えとしてあるのは白い画用紙みたいな状態で来ようということ。なぜなら、そうすれば必ず何かを書いてもらえるから。そして、それが学びになるから。逆に、変に分かったつもりになっているのが一番怖いと思っています。分かったつもりというのは、言い換えれば画用紙に変な色がついている状態。となると、誰かに会って本物の青を塗ってもらったとしてもちゃんと映えないでしょうから。
 要するに、変なこだわりを持たないこと。そこは普段からすごく気をつけているんです。例えば何か新しい本を読む時も、今までに得た知識とか思考はリセットしてその本を読み始めるという感覚を大事にしています。そのためにはまず、自分が馬鹿だってことを知っていなきゃいけないと思う。常にそうできる状態に自分を持っていくことが、今の僕の中での”闘い”ですね。そうじゃないと、他の人を嫌な気持ちにさせちゃったりすることもあるでしょうから。

僕が大事にしたいこと
 海外に住むとして、じゃあどうやって生活していくのか、何の仕事をするのか。そこで自分の強みを生かせる仕事は何なのかと思いを巡らせると、ネイティブの日本人として日本語を話せることだなと。ならば、英語に次ぐ第三言語、第四言語や日本語教育を学べる海外の大学院に通い、プロの日本語教師になりたいなと。

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