#58 加工蔵まや 所属 伊藤孝紀さん

目指している暮らしのかたち 
 ところで今、日本政府は企業の農業参入を推進していますよね。ということは、農業の分野でもより効率的、合理的な生産体制が広がっていくことになります。一方で、自身は個人で化学肥料等に頼らない循環型農業を実践していくという方向性で考えているので、農地を集積し、大規模化していくことは視野に入れていません。
 もちろん、企業という存在も必要だと思います。自身も将来的には、地域の人たちで協力し合って農業をやりたいと考えているので、今まで縁のなかった組織というものを肌で感じてみようと今年(2013年)6月から人材を募集していた地元の農業生産法人で働かせてもらっているんです。企業の農業参入の実状も知りたかったですしね。実際数ヶ月間働かせて頂いて、山手にあるという土地条件も似ているうえ、アスパラガスや枝豆といった主力商品のほか、試験的に漢方薬の原料となる甘草(かんぞう)やどくだみなどの薬草も栽培しているなど部分的に学ばせてもらいたいな、生かしたいなと思うところはありますから。
 そういう考えを僕が持つに至った発端は専門学校時代に遡ります。カリキュラムの一つにテーピングの実践練習という授業があったんですけど、練習のために巻いたテープは使い捨てでした。すると、1クラス30人強の生徒が一斉に行う一度の授業で出るテープのゴミの量は半端ない量になるわけです。もう、ほんとに莫大な量になる。そんな光景を見て僕は思ったんですよね、今の社会ってなんてお粗末なことをしているんだろうって。本当は真面目に学ばないといけないのに、本気になれない自分がいましたから。何というか、あらゆる資源を使って自分を確立することにやきもきしている世界観に対して本能的に違和感を感じたんでしょうね。人間中心的な生活環境というか、消費社会っておかしいなって。
 そうはいっても、現実的な話をすれば、資本主義社会に生きている僕自身、家で石油ストーブを使っているし、車も乗っているなど、化石燃料には依存しているわけです。ガスとか水道にしても、ないと生活が成り立たないわけです。ただ、薪を使って暖を取ったり、狩猟活動によって鳥獣の肉を頂いたりというように山にある資源を使って何か自給できるものがあればそれは活用したいなと。食べるもので言えば、山に行けば山菜とかキノコがあるし、農業をやれば自分たちで食べるものを自給できるわけで。そんな風に何が出来るかは常に考えているし、出来ることを地道にやっていきたいなとは思っています。  

僕にとっての生き方の手本
 振り返ってみると、「自分の意志で自分の行動を決める」ことは多かったですよね。というより、自分でやらないと気がすまないし、人任せにしたくない。質(たち)なんでしょうか。周りの人に「これは大事だからやった方がいいよ」って薦めるんじゃなくて、「これは大事だからやった方がいいな」という感じになる。そんな風にスイッチが入ると、図書館に行ってそのジャンルに関する本を読み漁ったりして、何とか形にしてやろうと考えます。それが行き過ぎると、こだわりすぎて頑固になっちゃって、母から注意されたりすることもたまにあるんですけどね。(笑)きっと甘え下手なんでしょうね。
 そういう自身の生き方というか考えの源には、母や父という手本の存在が大きいんじゃないかな。
 現在、自宅に加工所を設けて惣菜加工をしている60代半ばの母は、過去に大型トラックの運転手、ヤクルトの配達員、生命保険会社の正社員などといった色んな職業を経験してきています。料理に関して言えば、兄が寿司屋をやり、姉も飲食店を営むなど調理師家系に育ち、若い時に彼らの店を手伝っていた際に教わっていたからか、和食や中華などジャンルを問わず何でも作れます。加えて、人の技を盗んで自分のものにする天才です。猪突猛進というか、色んな分野にチャレンジしていって自分の可能性を探っていくという性格が原動力となっているのか、料理にせよ、編み物にせよ、人から習ったものをいつの間にか自分のものにしていますから。食品加工の分野に至っては人から学んだものをベースに新しいものを生み出し、商品として売るなど生業となるレベルにまで持っていっているわけですからね。
 彼女は四六時中しゃべっているような人なんですけど、仕事に対する情熱がとにかくすごいんですよ。我が母ながらに偉大だなと感じますから。性格が似たのかわからないけれど、母にも自分で決めたところは自分でやらなきゃ気がすまないようなところもありますしね。負けん気が強いというか、男勝りというか。だから同じ地区で暮らす人たちなどからもよく言われるんですよ、「あんたの母ちゃん、すごいな」って。「あんなこと出来る人いないよ」って。
 そういう人に育ててもらったことは、ありがたいなと思っているんですよね。ある意味、僕にとって手本となる生き方をずっと傍で見ていられたわけですから。そんな彼女の生き方に則って、色んな経験を通してこの環境で必要なスキルを高め、目的を全うできる生き方をしたいなとは思っています。
 自営で運送業を営んでいる父もおそらく、似たような気質なんですよね。ずっと同じ仕事をやり続けているのも、きっと信念があるからこそだと思うんですよ。傍で見ていて、周りが何と言おうとおれはこの仕事をして生きるんだというような強い思いは感じますから。
 そんな風に、僕の両親は共に自営業。若い頃はどこか組織に属していたんでしょうけど、そのキャリアを以てして自分で事業を展開している二人の下で育ったからか、型にはまるのが嫌なんです。ある会社に属して規範に則って黙々と定年まで働くというような生活には関心がなかったですから。もっとアグレッシブな生き方をしたいというか。

理想とする生き方
 僕が住んでいる倉沢地区から少し離れたところに大鳥地区があります。そこにはわずかながら僕と同じ方向に向かおうとしている人たちがいます。そのうちの一人、彫刻家の方は言うんですよね、「僕たちが描いている構想というのは、100年先、200年先の未来に向けたものなんだ。だから僕たちが一生を懸けてやり通したとしてもゴールじゃない。僕たちはその一部分を担っているにすぎないのだ」と。
 その中で、僕は僕の世代にできることを人生をかけてやりたいし、結婚して子どもも作って僕らの意志をつないでいきたいんです。具体的に言えば、自然と調和した生き方というのが人間の本来の生き方であり、原点なんだということをもっと多くの人に伝えたい。都会に住んでいる人たちに関心を持ってもらって、足を運んでもらって、ゆくゆくは里山づくりの一環としてこういう地方に住む人を増やしたいなと思っています。さすれば、遠い未来のことだとしても、動物と人間の軋轢の解消にも結びつくだろうし、本来の循環に戻っていけるでしょうから。
 というような長期的なビジョンや目標はあります。一方で、近い将来、具体的にどう収入を得ていくか、どう生活をしていくかという考えはまとまっていないんです。なので、周りからは「変わり者」と称されるのかもしれません。「何でもいいから仕事をしろ」と言われるのかもしれません。だとしても、僕は自分の気持ちを大事にして、信念に則って行動したいなと。だって、その方が清々しいというか、幸せじゃないですか。心の豊かさも得られるでしょうしね。元来僕は人に合わせるのがあんまり得意ではないし、合わせすぎて自分を殺すというか、自分の価値観や本音にフタをして建前で生きていくことは好まないんです。それだったらむしろ積極的にフタを開けて出る杭は打たれるどころか、打たれても打たれても出てくるくらいに強い信念を持った生き方をしたいと思う。
 実際、目指すものができたことで気が楽になったというか、本来の自分に戻りつつあるのかなという気はしていますから。だから最近つくづく思っているんですよね、人生を通して追い求めていく自身のテーマみたいなものに早く出逢えてよかったなって。
 そう。最近お話を伺った人の中に鷹匠の松原英俊さんという方がいます。松原さんは、大学卒業後すぐ、鷹匠になるため山形県真室川町の鷹匠の下へ弟子入りし、今では日本で唯一クマタカとイヌワシを使った実猟ができる鷹匠となっている人です。そんな松原さんも強調されていましたから、「自分のやりたいことをやるには、歳をとってからやればいいという気持ちでは果たせない。人生を通して取り組んでいくことが必要なんだ」って。
 僕もそう生きていきたいんです。人生を通して「僕たちが目指すべき里山暮らしとは一体何なのか」を問い続け、自身の行動で周りに示していきたいし、その信念を貫いていきたい。そのためにも僕は一生ここで暮らしていくと心に決めているし、ここで暮らす以上、僕がやっていかなくちゃいけないなという使命感みたいなものはありますから。思えば、子どもの頃好きだった自然はいつしか、僕にとって関わらずにいられないというか、常に意識の中心に置いて向き合っていたい存在になっていたんですよね。

<編集後記>
「定まっていない」とは、「可能性に溢れている」とも言えるはずだ。何かを成すためには、情熱を支えに可能性という至極曖昧で不確かなものを信じ続けるしかないのだろう…と自身に言い聞かせている。


 

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