No.59 アストロロジャー 東海豊さん

Story No.59    アストロロジャー  東海 豊さん

「人は誰でも、自分の人生というドラマを主人公として生きていけるんです」

 

Profileblog_photo 東海豊さん
1967年生。東京都出身。大学を卒業後、経営コンサルティング会社に就職。約15年勤め、2003年に退職。その後、フリーランスで経営コンサルティング的な仕事をする中で、個人のプライベートな相談に乗る機会が増えていく。その過程で出逢ったフラワーエッセンスを個人セッションのツールとして使うようになり、2007年頃、紹介された占い師から占ってもらったことをきっかけに、星読みの世界に惹かれていく。現在は、山形と東京を拠点に、主に星読みを切り口とした個人セッション、ワークショップなどを行っている。妻と二人暮らし。  ウェブサイトはこちら

 

私が会社を辞めた理由
 大学を卒業して以来15年ほど続けてきた仕事がにっちもさっちもいかなくなり、白旗を挙げるような感じで会社を辞めたのは、今から10年ほど前、2003年のことでした。
 どこかに就職しなければいけないから、なるべく働きたい会社で働こう。まだ新卒採用は売り手市場だった1980年代終盤、多くの大学生が考えるのとさほど変わらない意識を持った私はとりたてて深い考えもなく経営コンサルティング会社に就職しました。
 最初は比較的順調というか、わりと楽しく仕事が出来ていたんです。楽しくとは言っても、相当ハードワークでしたけどね。休みはほとんどないし、夜も家に帰らないこともしょっちゅう。ほんと、仕事一筋という感じでした。でも、私にとってそれは全く嫌じゃなかった。というのも、私にはやりたくてやっているのに嫌だっていうのはよくわからないという感覚がありましたから。言い換えれば、仕事をするならそのくらいやっても嫌にならない仕事をやりたかったんです。だから、適度に休んで…という方が私には合わない。例えば、学生時代、部活とかをやっていて、練習をサボる人とかいたじゃないですか。私はそれが理解できず、サボるなら辞めればいいのにと思っていましたから。そういう意味では、仕事の内容もそうですが、スタイルとしても合っていた可能性はありますね。きっと、うまく縁があったんでしょう。
 「仕事は現場で覚えろ」というスタンスのその会社ではかなり鍛えられましたよね。もちろん最初は先輩についていくのですが、25歳くらいからかな、一対一で経営者と話をするという感じで仕事をするようになりましたから。その中で私の場合、元々人に興味があったからか、どうしても人の方に行きがちだったんです。具体的に言うと、たくさんある会社を変える方法、業績を上げる方法の中でも、「経営者が変われば…」という方に向かいがちだった。中には経営の戦略的な面に行く人もいれば、(悪くないのですが)小手先のテクニックで勝負できる人もいます。でも、実は、人の方に入っていくっていうのは、どちらかと言うともっとベテランになっていかないと仕事がやりにくいんですよね。若いうちはもう少しテクニックで勝負した方が信頼されやすかったりするんです。というのも、あんまり若い奴から人生を語られても納得できないじゃないですか。(笑)
 私にとってその辺りは難しかったかな。そうやって数をこなしていくうち、30代になってからだったでしょうか、「会社は結局、経営者次第」つまり経営者の生き方とか個性が反映される、言い換えれば、「経営者自身が変わらなきゃ、会社も変わることがない」という自分なりの仕事観が固まってきました。と共に必然的に会社を見るのではなく、人を見るというスタンスに至り、会社の方針とギャップが出てきたんです。そうなってくると必然的に会社を辞めるという流れになりましたよね。自由な立場になればなるほど、より自由を望む気持ちに拍車がかかりましたし。
 それでも実際にアクションを起こすまで5年程のタイムラグはありましたけどね。というのも、自分の中で会社を辞める正当な理由が見つからないわけです。会社と方針が違うといっても、まだ若いし、自身の考えがどれほどのものかもわからないし…というね。そもそも会社というのは非常に閉鎖的な世界であって、その中だけで通用する価値観ってあるんですよ。その価値観に対して違和感を感じているのに、自信を持って「おれは違う」と言える程のものが構築されないという状態で。だから、当時もし上司と議論したら勝てなかったでしょうね。結局そんな風に堂々と会社を辞められるようなものを手にできないまま、5年ほどの時を経て、白旗を挙げるような感じで会社を辞めたんです。・・・無理をした状態がずっと続いて、身体面、精神面の両方においてかなりきつくなっていましたからね。最後はもう、どうにもならなくなっていたという感じでしたから。
 後になってみれば、会社員時代に自分が思っていたことに間違いはなかったんです。でも、だからといって、早く辞めればよかったとは全く思っていなくて。というのも、そこで苦しんだ時間というのは体験として非常に大きく、今に生かされていると感じていますから。実際、「自分はやり方が違うから辞めます」と言うのはかっこいいじゃないですか。かっこいいし、そういう方も多いし、それはそれで間違っていないんだけども、何だろうな・・、それでも続けてみるっていうのは決して悪くはないのかなと。私の場合、もし仮にその時フリーになって順調にいっていたら、それはあまり大きな体験じゃなくなってしまうわけです。大体、人はうまくいかないことの方から学びを得ることが多いでしょうからね。そういう意味でよかったかなと。

仕事を通して見えてきた
 人に対する興味というのは、当時自覚としては全くなかったんですよね。今思えばあったんだろうということで。
 子供の頃まで遡ると、人に対してすごく鋭い観察力をもった子供だったんです。…とは言っても、自分の中ではそれが当たり前で他人と比較できなかったので、鋭いという感覚は持っていませんでした。これも今思えば…という話で。例えば、学校の先生が何かを言った時に、どういう気持ちで言ったのか、どういう意味で言ったのか何となくわかるところがあったんですよ。「あ、今、先生、難しいこと聞かれたと思ってごまかしたな」みたいなことを瞬間的に受け取る感じだった。とにかく、聞いた言葉をただ額面通りには受け取らなかったですね。だからと言って、それに憤慨するわけじゃなく、先生というのはそういう職業なんだろうな…みたいな解釈をわりと短時間でできるという少し大人びた子供でした。状況がよく見えているというか。むしろ、何でそうなのかなという疑問は常にあったかな。そんな感じだから、大人からすれば扱いにくい子供だったとは思いますけど。(笑) 
 でも、そういった自身の内面での”できごと”を表には出さないから、周りはそんな子だとは思っていなかったでしょうね。どちらかというと自我の発達が遅かったから、何となく来ちゃうだけで「ふーん」という感じで終わっていたというか、それを人に言うっていう発想はなかったかな。というより、発言できない、言い方を知らない、どうしゃべっていいかわからないという感覚だった。だから、インプットする方はわりと発達していた一方で、アウトプットすることに関してはからっきしという感じでしたよね。
 大学生になっても、依然としてどうやってしゃべったらいいかわからないという感覚は強かったんです。そんな私が社会人となり、生きていくためという必要に迫られてというような感覚でアウトプットする努力を始めたんです。
 すると、自分の長所・短所がはっきり見えてきたんですよ。というのも、仕事で関わる色んな人たちとやり取りをする時に、「僕はこう思う」と言っても全く理解されないわけです。明らかに世界観の違いでしょうね。相手からすれば、私の言っていることの意味はわかるけれど、ピンと来ないみたいな感覚だったんじゃないかな。そうやって、自分自身が仕事をしたことで浮き彫りになってきたのは仕事をやって一番良かったことだなと。ほんと、全く理解されなかったですから。
 そもそも、私はわりと広い世界観を持っていたんですよね。でも、ビジネスをやる上では広すぎてもあんまり意味がない。達観したみたく、大乗的にものを見ると仕事はできなくなってしまいます。やっぱり、ビジネスの世界はいくら売れるかが全てだから。そこで所詮ここで売れても売れなくても…と考えが出てきちゃうとだめですよね。会社としても全く意味がないわけで。即物的・近眼的な方が仕事はやりやすい。例えば、「今年は一億売る」という明確な目標があったとして、そこにひたすら燃えていける人の方が明らかに仕事はできますからね。
 今でも、アウトプットに関しては今も全然できていないという意識はありますけどね。伝えきれていないというか。自身が受け取るすごく感覚的なビジョンを言葉になかなかおきかえられなくて。だから、小さい頃もビジョンがあったにも関わらずどう伝えていいかわからなかったんじゃないかなと思っています。例えば、「これが好きだけどちょっと怖いような気もするし、好きと言い切れないけど…」という複雑なビジョンを持つからちゃんとしゃべれない。今でも親しい人と話すと、「好きだけど嫌いだけど、やりたいけどやりたくない」みたいなよくわからないことを言いますから。(笑)「最終的にやりたい」だけ伝えればいいのに、それ以外の余計な情報まで伝えようとするから伝えられないんです。そう。少し前にある人から「もうちょっと人は自分のビジョンを手前で見てるよ」って言われたのですが、どうやら(自分でも他人でも)わりと細かいところまで見えているみたいということに気づいたのはここ2、3年のことなんですよね。

星を通して伝えたいこと 1
 星読みの世界の中に気に入っていることはたくさんあるんですけど、そのうちわりと上位に入るのが「ありのままの私をそのまま映し出してくれること」なんです。星はただ、「あなたはこういう傾向があります」ということを伝えているだけ。そんな風にいたって客観的なところがけっこう好きなんですよね。
 個人の生年月日、生まれた時間、場所から割り出した星の配置に加えて話をしている中で感じたことをもとにセッションを進めていくんですけど、その中でよくお話しするのは、基本的には偽りのない自分を出すのが一番だということ。「いい人になる」っていうのはまず論外です。そして、自分の性格のダメなところを直すというのも全く意味がない。ただ、自分らしくいること。…と言うとポジティブに捉えられがちなんですけどね。例えば、穏やかでいい感じに過ごせるのが自分らしいみたいに。一方で、ものすごく怒りが出たりするのが自分らしさだとは言われないですよね。でも、ほんとは怒りの感情を出した方が自分らしいっていう人もいっぱいいるんです。というように「ポジティブなことしか自分らしいとしない」という感覚が植え付けられている背景には教育の存在が大きいんじゃないかな。ほんとは、他人から批判されたりダメだと思われるようなこともある程度出した方がいいんです。ただ、それを出しちゃうとものすごく大変になってしまう人もいますからねぇ…。警察に捕まって10年娑婆に出てこれないみたいに。まぁでも、そんな人はめったにいないですから。せいぜいちょっと人から嫌われる程度で済むんじゃないかな。嫌う人がいる一方で好いてくれる人もいるでしょうし。
 その上で例えば、相談者の方が「これをやろうかどうか、この道に進もうかどうか迷っている」という相談を持ちかけてきた時は、基本的に「それは間違っているから、もしくはあなたに合わないから、これをやりなさい」とはあまり言いません。というのも、いったんやりきっちゃって自分で気づいて戻ってきた方がいいと思うから。そして、その方がはるかに力強いから。逆に言えば、(私自身もそうだったし)やりきらないと気づけない。「間違っているからそっちは辞めなさい」と言われても、間違ってたかどうかわかりませんしね。もっと言えば、結局どれが自分らしいかというのはその人にしかわからないし、その人にすらわからない可能性もありますから。
 実際、このヒーリングの世界では「ありのままのあなたでいいですよ」ってことはけっこう言われるんですよね。それは、ともすると「がんばらなくていい」とか「努力しなくていい」みたいなニュアンスに捉えられてしまう。だけど、それだけだと物足りない。少なくとも私自身はそう。ありのままの自分でいることも大事だけど、一方で努力して切り拓いていく部分の両輪が欲しいかなと。そうじゃないと大人である意味がないんじゃないかと思いますしね。ただ単にそれでいいなら、子供がベストなのかっていう話になっちゃいますから。実際、受け入れていかないといけない部分と切り拓いていかなくちゃいけない部分をバランス良く生きていける人というのは、非常に輝いているなと感じますから。

Pocket

1 2