No.59 アストロロジャー 東海豊さん

 
 ただ、「自分のありのままを出していく」ことは相当難しいことだと思います。それは私自身が目指しているところでもあるし、自分のことを正直に見るのは意外と難しいですからね。そこで一番のネックになるのは、やっぱりポジティブじゃなきゃだめという固定観念じゃないかな。だから、セッションの中では「ダメな自分をいかに自分でいいと思えるかが大事」とよくお話しています。実際、自身の中にある、いわゆる社会的に見てダメだと言われるところが私だ、僕だと思えると、わりと自分を正しく見れる人が多いかなと感じています。
 やっぱり星読みの世界は、善悪とか是非が存在しないのがいい。例えば、(星から判断した時に)ものすごく暴力的な人っているんですよ。でも、その人が暴力的ではなくなるというのは無理だというのが私の中での大前提。だとすると現代においてその能力をどう生かしたら生きやすいかを一緒に考えていくという感じです。簡単な例で言うと、「じゃあボクシングでもやろうか」とか。さすれば、合法的に誰からも批判されないし、むしろ賞賛されるくらいですから…。というような捉え方をしていきます。やっぱりそういうところを生かす場がないと、どうしても”生きにくさ”みたいなものとして表れてきちゃいますからね。
 ”生きにくさ”で言えば、実は女性の中には水商売が合っている人も比較的多いんです。そういう人が、きれいな仕事ばっかりやっていると、生きにくくなってくるんですよね。でも、まだそれは薦めやすい次元の話。そこに性的なものも含まれてくるとね…。私の場合、男性だし、相当言葉を選びます。そもそも性のエネルギーっていうのは非常に強いんです。であるが故に、人を殺めたりとか色んなことが起こる。でも、それは当たり前だけど生き物にとって一番大事なもの。だから、ほんとはそこに手をつけた方がいい人ってけっこういっぱいいるんですよ。けれど、乱れてきているとは言いながらも、まだまだそこに対する世の倫理観はかなり厳しいですからねぇ。私は、乱れるくらいがちょうどいいのかなとは思っていますけど。実際、水商売ですらビックリされる人はいるくらいなので、現代に生きるわれわれの価値観というのは偏っているなと感じますね。

星を通して伝えたいこと
 セッションをする上での他の基本スタンスとしては、「人生はドラマみたいなもので、そのドラマの主人公になれるかどうか」というところを大事にしています。ドラマというのは、波風がある、つまり嫌なことがあればいいこともあるってこと。そこでドラマが起きないように生きるのは意味がないんです。何にもなくスムーズに生きられるなんてことはありえないし、「どうしたらスムーズに生きられますか?」と訊かれても答えられません。加えて、「どうしたら悪いことを回避できるか?」もあんまり意味がない。ただ、自分をそのドラマの主人公に持っていけるかどうか、いいドラマだったと思えるかどうかがとても大事なことだと思っています。
 現実としては、わりと自分を脇役に置く人が多いんですよ。脇役というのは、言い換えれば受け身の人生。例えば、あの人がああ言ったからこの仕事をやっているとか。そんな風に人に巻き込まれていく感じだと壁にぶつかった時、あまり乗り越える力もない。実際、その対応に追われて生きる人も多いのですが、そこに対する解決策はあまり提案しないんですね。一方で、自分が生きたい人生を生きたとしても起こることは起こる。だけど乗り越えられるし、ドラマになっていく。それが主人公として生きること。大人しくてやや受け身的な人でも主人公になれるんですよ。でも、どうやらこれも社会通念の影響なのか、それが可能だとは思われていないように感じます。
 主人公として生きるということは、ある意味”極める”ということと近い感じかな。「極める」というと、何か一つのことに打ち込むという感じで捉えてしまう、あるいは「じゃあ天職は何?」という風になってしまうけれど、そうじゃなくていいんです。自分の人生を謳歌できればいい。例えば、毎日楽しく生きているってことでも人生を極めることにつながっていくはずですから。でも、現実としては打ち込む”何か”がなくていける人の方が断然少ないですけどね。その辺り私自身未熟なところかもしれなくて、現代に生きているからこそどうしても仕事ってところにフォーカスしてしまうんです。だから、そこはあまりリベラルにものを考えられていない可能性はあるかなと。その例に留まらず無意識のうちに社会通念に支配されてしまっている部分は相当あるでしょうね。

絆と自由と
 ところで、私は今、山形と東京の二拠点を主として活動しています。その活動の一つとして星読みのワークショップを開くと両者の違いは浮き彫りになります。
 というのも、人が集まったときの空気がまるっきり違いますから。山形の人は無意識に気遣っている一方で、東京の人は意識して気を遣っていながらもどこか「私は私」になっている。きっと、環境や毎日の暮らしによって染み付いちゃってるんでしょうね。だから、山形でお話しするときは、どちらかというと「自由になろう」というニュアンスでお話します。つまり、絆を切るということ。なぜなら、絆が深すぎることで苦しんでいるわけですから。一方で、東京の人たちには、あまりそれを言いません。逆に、「そんなに一人で生きないで結婚してみたら」と言います。というのも、絆を深めることの方が課題になるからです。やっぱり山形で生まれ育った人は、「山形で生きること」が前提条件ですから。そういう選択肢の少なさを見ると、もうちょっと広げてみてもいいんじゃないかと思いますけどね。だから、「あまりに苦しいんだったら、出た方がいいんじゃないですか」と言うこともあります。結局は自分で自分を縛っているわけだから、ほんとは難しくない。でも、(本人にとっては)慣れてないことだからやっぱり難しいのかなと感じますね。
 そういう意味では、絆を断ち切って広い世界に出て自由に生きる人が一番享受できるものは社会通念から解放されることだと思っています。あらゆることを気にしないで生きていけるようになることかなと。

仕事と生き方と
 今の自分が置かれている状況を考えてみると、自分の好きなことを研究して、好きなように生きて、それがそのまんま仕事になって、なおかつどうも少しは人の役に立てている…という感じです。だとすると、何というか、恵まれている人生なのかなとは思いますけどね。無理せず自分らしく生きて、結果的に好循環になっているという感じですから。実際、今の仕事は人のためにやっている仕事のように解釈されがちですが、私の中に全くそんな意識はないんです。だから、どちらかと言うと、モノ作りをしている人に近い感覚なんじゃないかな。
 とは言え、生活がかかっているという現実があったので、葛藤はありましたけどね。一時、お金のことを気にせずにもうちょっと自由にやれたらもっと素晴らしいものになるんじゃないかと思っていたこともありましたからね。でも、今思えば、経験がないが故の幻想だったのかなと。実際、やりたくて始めたとは言え、仕事にした以上だんだん「好きなことをやれていて楽しいな」という領域ではすまなくなってきましたから。その時、生活がかかっていたことが支えとなり、結果として越えられたし、良かったなということは最近痛感しているんです。そして、そういう経験をして初めて人間の軸が作られていくのかな・・・ということを思い始めたのは40歳を過ぎてからだったでしょうか。やっぱり、好きで楽しいだけではダメなんですよね。自身の好き嫌いに関わらずやらなくちゃいけないこと、つまりある種の試練みたいなものも体験した方がしっかりとした軸を作れる。でも、それだけでもつまらない人生になってしまうから、その両輪でしょうね。両者のバランスが大事なのかなと思っています。
 ―――暗闇の中にいるような感覚を抱いていた会社員時代の終盤。たまたま紹介された占い師の人に見てもらったのが、星読みの世界に惹かれていくきっかけでした。それ以前は全く興味なし。「占いって何?」という程度の私にその人が語り始めた時感じたのが、あ、占いじゃないんだなってこと。私がイメージしていた世界とは全く違う世界観で語っていることがわかったし、これは自分がやるべきことだなとその時思いましたから。まぁ、いいタイミングで出逢ったと思っています。遅すぎもせず、早すぎもせず。
 星読みは学問としては確立されていて、勉強していく道筋は一緒なのですが、どう学ぶかは人によってえらく違います。1+1=2じゃなくて、1+1=3かもしれない、あるいは4かもしれないという世界です。そして、「勉強している人ほど当たらない」と言われる世界です。だから、私をよく知っている人がからかい半分に言うんですよ、「東海のセッションを受けても、「それでいいんじゃないですか?」か、大変なことがあっても「あ、よかったじゃないですか?」しか言われない。」って。(笑)極論するとそんな感じですが、実際、わからないことが多いし難しいんです。だけど、それが面白い。きっと、一生涯かけてずっと勉強しているテーマが欲しい私、そして自分で考えることが好きな私に合っているんでしょう。実際、ツールとして星読みを使うようになって、わりと一気に伸びましたから。
 思い返せば、切り口こそ変われど、「人の相談に乗る」という仕事はずっとやってきているんです。ざっくり言うと、使うツールが経営からフラワーエッセンスを経て、星読みに変わり…というように。会社員時代も、(今ほど大事にはしていなくとも)無意識のうちにこの人にはこう伝えてあげればいいかなと思ってやっていました。結果如何よりも、経営者がその結果をどう見るかの方を大事にしていたんです。だから私としては、結果がダメでも「やって良かった」と言われる方が嬉しかった。長期的に考えればそれがいいはずなんですけどね。それをよしとしない経営者もいるし、会社としても結果出ないとダメというスタンスでしたから。業績が上がっていないのになんで切られないんだと会社からは不思議がられていましたけど。
 あんまり将来設計はしないので先のことはわからないけれど、きっとこれからも今の仕事は続けていくんじゃないかな。私自身、元々東京の人間だし、わりと自由に色んなところに行けるし、行っています。それに子供もいない。そんな風に自由という要素の方を強く持っている私が人にしてあげられることは何か…と考えていくと、そうじゃない人に対してそういうのもいいんじゃないと言ってあげることなのかなと。――ネガティブな面も含めて無理せず自分らしく生きて、結果的に好循環になる。そして自分の人生というドラマを主人公として生きていく。それは決して一部の人に与えられた特権ではなく、誰もが持っている可能性だと思っていますから。

 

<編集後記>
好きなことを仕事にして、充実した生を送るというのは、経験がないが故に僕の中に果てしなく膨らんでゆける幻想なのだろう。だけど、きっとその幻想こそが今の僕を支えてくれているのだ。

記事公開:2014-01-05

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