#61 山岳ガイド 髙村眞司さん


 そういう場所で60日という期間、自身の体を維持しながら過ごすためには協力し合わざるを得ないし、メンバー同士で喧嘩していても済まないわけです。でも、高所でみんな気持ちが荒くれてくるから、箸の持ち方一つをとっても喧嘩の種になってしまうんです。いい歳をした大人が「煙草が切れた」ということで他の人に八つ当たりをするという光景がむしろありふれたものになってしまう。自身はあんまりその渦中に入ることはなかったと言えど、自分のことで精一杯だから関わっている余裕なんてなかったんでしょうね。見えていないところもあったでしょうし。実際、動きすぎて40℃以上の熱を出して、一人テントでうなされていたこともありますから。
 そんな風に日本で普通に生活していたら絶対に見えない部分が見えてくるのですが、私はそれが全然嫌だと思いませんでした。いざこざを起こして途中で下山する人もいるけれど、そういうことも含めたどろどろした部分がおもしろかったんです。
 自分の限界を思い知らされてくるというのも魅力の一つです。というのもまず、その最中は常に死と隣り合わせですからね。目の前で死ぬ人間もいるし、過去に死んだ人の遺体が出てくることもあります。実際、自身がアタック隊の一員としてエベレストに挑戦した時、高度障害で脳と肺に水が溜まる浮腫を起こし一時的に右半身麻痺状態になったこともあります。そこで断念して下山しましたが、一歩間違えば死んでいましたから。…まぁ、山はそういう世界だから仕方がないんですけどね。

一社会人として
 でも、山屋も山屋である前に一社会人です。
 「山屋だからって許されるものはないよ」とは学生の頃、部長の湯浅先生からよく言われていました。例えば、「山に行って疲れたから部活を休みます」とでも言おうものならぶん殴られたし、風邪で休むと言ってもぶん殴られました。『社会人で山をやっている人が、山に登ったからといって会社を休んだり遅刻したりしたら、「それだったら山なんか行かなくてもいい」と言われるようになってしまう。お前たちもやがては社会人になるんだから同じことだ』と叱られたんです。とにかく山屋だから、山に行ったんだからいいだろうという甘えは完膚なきまでに許されませんでした。まぁちょっと厳しすぎたなとは思います。それが今に生きていることは間違いないですが…。
 実際、怒られてばっかりだったとしても、湯浅先生がいなければここまで山にのめり込んでいる自分は恐らくいなかったでしょうね。それに、先生は日本の山岳界のトップレベル集団の中の一員としての”湯浅道男”の顔も持っていたから、先生のつてでトップクラスの登山家たちとも気軽に会えたんです。その時彼らの口から飛び出してくる嬉しそうな話とか楽しそうな話を聞いていると、掻き立てられるものがありました。そういう人たちを身近に感じていたから、ヒマラヤも身近なものとして感じられたのかもしれませんしね。
 とにかく「山屋である前に、社会人として…」と口酸っぱく言われていたことが、今やっている大鎚町の子供たちへの支援にもつながっているのかなとも思っています。
 でもその背景には「山岳ガイドの社会的地位はまだまだ低い」という実状への問題意識もあるんです。実際、山岳ガイドという仕事は職安の職業リストにも載っておらず、職業的に確立されていませんからね。なので以前から「ガイドの社会的地位を上げたい」という意識は常に頭の片隅にあって、社会貢献のようなことができる場所を探していたんですよ。

目指すべきガイドの姿 1
 今のように好きなことを仕事にしていると他人からは羨ましがられたりするけれど、逆に言えば会社勤めができなかったというのはあるんですよね。現実に折り合いをつけて、山に行きたいという気持ちに蓋をすることはどうしてもできなかったんです。
 でも「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、10年以上続けていればそれなりにものになっていくんじゃないでしょうか。ガイドの仕事で食っていけるのかどうか最初はすごく不安でしたけどね。技量的なこととかガイドできるかできないかの問題ではなくて、お客さんがいるかどうか、それがちゃんと生活につながるかどうかがすごく不安でしたから。
 30歳の頃、山形に戻ってきてからは父の仕事を手伝うようになり、10年後くらいには登山道具を扱う店をオープン。その後しばらくして、「山の道具を使う場を提供する」をコンセプトにガイドをするようになりました。つまり道具を買ってもらったお客さんに自身がガイドとして同行するようになったんです。
 その後しばらくして、2008年には父親の急逝で一時、その3つに登山研修所での講師の仕事を足した4つの仕事を掛け持ちでやっていた時期がありました。けれど、(今だからお話しますが)体を壊してしまったことを機に、会社、そして山の店を畳むことに決めました。
 でも山のガイドの仕事だけでは心もとないということで、生活していくための保険となる仕事を探すために派遣会社に登録に行ったんです。そこで担当者の人に見せられた紙にはたくさんの質問項目が並んでいました。要は、あなたは何の資格を持っていますか、何ができますかということを問われたんです。でも、その時私が持っていた資格は、普通自動車免許だけ。「word○級」とか「Excel○級」という資格なんて何もなかったんです。
 そこでふと気づいたんですよね、仕事を2つ持つと力が分散されてしまうって。いい仕事をするためには、やっぱり力を一本に絞らなくちゃいけない。好きなこと一本に絞っていけば、自ずと何かが見えてくるんじゃないかって。実際、3つ4つの仕事を掛け持ちしていた時期は、全てが中途半端になっていましたから。当時は40代後半。子供2人を抱えているという状況で、ここは正念場だと腹をくくりましたよね。
 ガイド一本でやっていこうという気持ちに切り替えてからは、不思議と仕事が来るようになったんです。収入の多寡を問わず、懇意にしてもらっていた旅行会社からもらえる仕事をこなしたりするうちに、色んな人から仕事が舞い込んでくるようになりました。ガイドの仕事がない時に、リンゴの葉っぱ摘みとかサクランボもぎといった短期的な仕事をやったことはありますけどね。でも、それ以外はなるべく山に入るようには心がけていました。
 そう考えると、その時パッと切り替えたことが今の生活につながっているのかもしれませんね。派遣会社の人から手渡された質問表を見て、それまで胸中にあった迷いがふっ切れましたから。
 それから5年。今、ガイドとしてやっている仕事のうち、半分くらいは個人ガイドとしての仕事です。そのうちほとんどが1対1(ガイド1人にお客さん1人)か1対2であり、多くても1対5というスタイルです。個人ガイドを申し込んでくれるお客さんは、基本的にリピーターです。やっぱり、結局のところ、ガイドとして食っていけるかどうかはリピーターがどれだけ来るかによると思います。そのためには「どこの山に行くか」ではなくて、「誰のガイドで行くか」っていうところまでお客さんとの付き合い方を深めるべきだと思うんですよね。
 だから例えば、ガイドを始めて間もない人たちは、どうしても何かしらの企画を立てて参加者を募って回していかなきゃいけないという考えに陥りがちですが、(もちろんそれも一つの方法ではあるけれど)ガイドとしては「あのガイドと行きたい」というものを伝えていってほしいし、伝えるべきだと思います。
 今、私は一切募集をせずに、ガイドした時に次回の予約ももらうという形でやっています。だから、それが途切れた時のことを考えると怖いんですけどね…。(笑)

目指すべきガイドの姿 2 
 私がガイドの資格を取ったのは2000年のこと。まだガイドマニュアルが出来ていない頃のことです。だから、ガイディングの技術は全くのオリジナルです。自身のこれまでのガイド経験の中で身につけてきたものです。あんまりいいことじゃないかもしれないけれど、お客さんの反応なりクレームなりを持ち帰って、自分なりに消化して次の時に生かすという作業を繰り返してきて今がある。言うなれば、”失敗”をたくさんしてきたわけです。例えば、20年ほど前、登山教室でガイドを務めていた時などは、歩くのが相当速かったですから。自分のペースについてこいと言わんばかりのスピードで歩いていましたからね。
 私が目指す究極のガイドとは「歩かせ上手の休ませ上手」。頂上に着いた時、お客さんに「知らないうちに着いていた」とか「疲れなかった」という感想を持たせるのが最高のガイドだと思っています。実際にはなかなか難しいけれど、それに近づけるための工夫は目に見えない部分で色々やっていますね。
 今、私は山岳ガイドの検定員の仕事もしていますが、その”工夫”の部分を検定の際に教えるのは難しいんです。マニュアル化はしているのですが、センスが問われる部分はありますから。例えば、「いつもはしゃべるお客さんが今日はしゃべっていない」というシチュエーションがあったとして。まずはいつもと様子が違うことに気づき、かつそれが果たしてペースが早いからなのか、暑いからなのかなどといった要因に気づけるかどうかが大きな鍵となります。
 間の取り方などを始めとした落語の話術を取り入れることも、お客さんに満足してもらうためにはすごく大事な要素です。話術とは言っても、こっちが一方的にしゃべるのはよくないですね。まずは今歩きたいのか、休みたいのか、あるいは話がしたいのかというお客さんのニーズをキャッチしないといけません。要は、ユーザー目線に立てるかどうか。例えば最近意識しているのは、天候が悪かったり、旅行会社のプランミスがあって想定通り動けない場合に、お客さんと漫才をしながら和ませたりすること。逆に、順調に行っている時はしゃべらなくていいんですよね。
 結局、ガイドは黒子でいいんです。主人公は、あくまでもお客さんですから。お客さんが楽しんで、ケガもなく、最後に「また一緒に行きたいね」って言ってもらえるような雰囲気を作ることだけに力を注げばいいんだと思うんですよ。
 でもやっぱり、それをマニュアルの中で教えることは難しいから盗むしかないのでしょう。そこで盗めるか盗めないかはやっぱりセンスによると思うんです。今は山岳ガイドのマニュアルができて、ある程度それに添ってこなせれば、試験にも受かり、一応仕事をできるけれど、お客さんのリピートにつながるまでにはセンス的な要素は大きいんじゃないでしょうか。
 ところで、私が学生の頃からお世話になっているガイドの先輩に、当時登山研修所の講師を務めていた山本一夫さん、近藤邦彦さんという2人のガイドがいらっしゃいました。そのお二人は、日本のガイドのトップと呼ばれている方だけあって、技術的なこともさることながら、お客さんを笑わせたり場を作ったりすることが段違いに巧いんです。かと言って全く偉ぶることもないし、相手の目線に合わせるのも早いし上手い。やっぱりそれもセンスによる部分が大きい気はします。それに経験(ガイドの経験+個人的な登山経験)の深さが加わるわけだから足下にも及ばないですよね。
 結局、ガイドの仕事もベースにあるのは人と人との付き合いなので、必要とされる能力は案外普遍的なものなのかもしれませんね。もちろん、ロープを使うなどといったガイドならではの技術を必要とする場面はあります。岩稜や岩登り、冬山などのガイドの時は、終始ロープを使用します。ですが実際のところ、そういったケースを除いて、ロープを使う場面ってあんまりないんです。というか、ロープはお客さんが登山道から落っこちたとかケガをした時に使うものだから、そういう場面に持っていってしまう時点でガイドとしてはもう失格なんです。それを未然に防ぐための予防線をどれだけ張れるか、どれだけアンテナを立ててあげられるかがガイドの腕でしょうね。
 そのためにはむろん、ただついてきてくださいという感じでは不適切です。後ろを振り返らずにお客さんの息づかいや足の運びの様子を感じたり、お客さんの列の伸び具合、縮み具合を察したりできるくらいに感覚を磨いていくことが必要だと思っています。私事で恐縮ですが、ガイドの資格を取って13年、おおむね2500日というガイド経験の中で、お客さんにケガを負わせたことは“ねんざ”1回だけ。自慢しているわけじゃなくて、それだけ気を遣っているということなんです。

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