#61 山岳ガイド 髙村眞司さん



私を動かしてきたもの
 今は、お客さんと日本の色んな山に行くことが楽しいんです。過去に色んな世界の山にも登ってきたから、日本の山の奥深さというかきめ細やかさみたいなものに惹かれます。自然は豊かだし、歴史的、宗教的にも深いものがありますからね。ひるがえって、ヒマラヤは雪と氷と岩しかない単純で単調な世界。麓で暮らす民族にも歴史はありますが、日本みたいに複雑なものはないですから。
 ところでガイドの仕事に必要な力ってご存知ですか。自分の持っている力を100%としたら30%くらいでいいんです。残りの70%はお客さんのことを考える余力として使います。今の私は、四季を通した百名山登山は自身の力の30%程度でガイドできるというレベルにあります。でも、例えば海外の山のような30%以上の力を出さないといけない難易度の山に登りたいという依頼があれば、それだけの力を持ったガイドに託しています。つまり、その「100%」が大きければ大きいガイドほど色んな山に対応できるということですね。
 私は学生の時に色んな人からかなりしごかれてきました。また、自身にトレーニングを課して強くなりました。悲しいこととしては、まず19歳の年の11月に北岳バットレスの岩場で同級生を2人亡くしました。ヒマラヤに行くようになってからは同行したメンバーの死という現実に直面してきました。そして国立登山研修所(旧・文部科学省登山研修所)の大学山岳部リーダー冬山研修中、自身が講師を務めていた際に事故で学生2人を亡くしています。そういった山の怖さも知っていることに加えて、35歳までに蓄えた体力の貯金がまだあるから、年齢を重ねても、トレーニングに時間を割けなくても百名山であれば自分の家の庭先を案内する感覚で十分やっていけるんです。決して軽く見ているわけではありません。
 思い返せば、かつて一時的に山から気持ちが離れたこともあったけれど、ひょんなきっかけから登山を始めた高校時代に始まり、大学時代、サラリーマン時代を経て今に至るまで、変わらないのは「山に登りたい」との思いを出発点に生活のすべてが形作られてきたということ。だから山岳ガイドの仕事も、ある意味自分が山に登るための方便みたいなところはあるんですよ。実際、「ほんとはもっとトレーニングをして、仕事とは別にもっと色んな山にも行きたいし、できればもう一度ヒマラヤにも行ってみたい…」という衰えぬ思いも胸中にはありますから。
 今は山の仕事一本で生活の一部になっているけれど、やっぱり楽しいんですよ。楽しいから続くんですよね。

 

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