#64 ひつじや 代表 西塚 洋平さん

64 西塚洋平さん
「仕事を楽しくやれるようになったのは、最近のことなんですよね」

 

1977年生。山形県村山市出身、在住。高校を卒業した翌年より、夏場は家業を手伝うようになる。冬場は3年間、スノーボードのインストラクターとして働く。2000年、結婚。09年、父がオープンした、自宅にて飼っている羊の肉を食事として提供する店「ひつじや」を受け継ぐ。現在、妻と年間雇用している2人の従業員と共に、店を回している。2人の子の父。

記事公開:2014-04-04


胸にあった葛藤
 夜は遅いし、休みはあってないみたいなもの。しかも生き物を扱っているわけだから、365日エサをやらないといけない――。両親がやっていた商売というものに対して、あまりいいイメージを持たずに僕は育ちました。だから、親の後を継ぐということは頭にない状態で学生時代を過ごしていました。
 当時、僕はスノーボードにのめり込んでいました。プロになることを目指し、冬の間は、スキー場でスノーボードのインストラクターとして働く傍ら、合間を見つけて練習したりしていました。
 そんな風に夢を追いながら青春を謳歌していた僕が、現実を見るようになったのは22歳の時。2000年1月1日に入籍した妻と結婚を決めてからのことでした。03年にはいったん家から離れ、近くに借りたアパートにて妻と子どもと暮らしながら、会社勤めをするようになりました。
 とは言え、サラリーマンとして働きながらも店の手伝いや羊の世話をやっていました。だから、大変っちゃ大変でしたよね。というか、手伝わされることが嫌だった。なぜなら、ほとんど休みはないに等しいようなものだから。それに、創業以来約20年、ひつじやの看板を守ってきた両親が体力的にもメンタル的にも落ちてきているのを傍で見ていましたしね。そうは言っても、彼らが体力的に限界を迎えているのを見て見ぬ振りもできずにいて。だから、当時は何かを背負わされているような感覚があったけれど、結婚して子どももできたしがんばらなきゃなという思いはあったし、その思いに支えられていたかな。
 そんな僕が仕事に腰を入れてやるようになったのは06年頃のこと。きっかけは、作業の効率化を図るべく、新規就農支援資金を県から借りて機械を導入したことでした。要は、初めて自身の名義で借金をしたことが大きかったかなと。高校を出てからずっと手伝いという形では家の仕事をしていたけれど、お金を管理して運用して仕事をしていくことは経験したことがなかったですからね。
 いざ始めたら始めたで、今までずっとやってきた仕事のやり方がベースにある父親と、新たな方向性を模索している僕ではぶつかっちゃいましたけどね。もう、ほんとに何度もぶつかっちゃって、上手くいかなかった。まぁ、親子ってそういうものかもしれないけれど。(笑)
 そんな中、両親が経営から手をひいたのが約4年前のこと。そこで初めて自分の責任となったわけですが、どうすればいいかあんまりわからないわけですよ。誰も頼るところがないという状況に初めて直面した。研修で勉強をしたとは言っても、実践になるとまた違うわけですからね。だから、ほんと行き当たりばったりだったというか、四苦八苦したという感じでしたよね。
 それでも、欠けた両親の分を自分一人で背負うつもりではいました。収入を上げていかねばと冬場除雪の仕事をしてみたりもしました。風邪を引いても、インフルエンザにかかっても、手を切って包丁を使えない状況になったとしても「店は閉められない」と踏ん張ってやっていました。
 このままだと続けていくのは難しいな…。そんな生活を続けるうち、いつしか僕はそういう思いを抱くようになっていました。体力的にも精神的にもきつくなり、このままいくと何かが崩壊してしまいそうだなと思うようになっていったんです。
 08年頃、さすがにこれ以上は厳しいなと判断した僕は、初めて人に頼る、要は人を雇用するという方向に動き始めたんです。とは言え、両親はずっと家族経営でやってきたから、人を雇うことに関しては誰もわからないわけです。だから、試行錯誤しながら手探りでやってきましたよね。今は、常用で2人を雇用という形で頼ってというか、活用して店を回しています。

訪れた転機
 やっぱり最近ですよね、仕事が楽しいと思えるようになったのは。3年前、今までで一番嬉しいと感じる出来事があってからじゃないかな。
 ――ざっくり言うと、東日本大震災が大きなきっかけでした。震災後、元々付き合いのあったイタリアのワインを輸入し販売しているインポーターさん(日本人)曰く、復興支援ということでイタリアのワイン生産者たちからワインがたくさん送られてきたそうです。それを活用するためにと、2011年12月、イタリアの生産者たちを日本に呼んで、仙台を拠点に、東京や大阪、名古屋などでチャリティーイベント「ヴィナイオッティマーナ」が開催されました。その際、うちの羊を一頭丸々使って、仙台圏の飲食店5店舗にてそれぞれのメインの食材として使ってもらったんです。そしたら、イタリアの生産者たちからも、出店した飲食店さんからも「美味しい」と賞賛して頂いたんですよ。僕としてはそれがものすごく嬉しかったんです。ほんと、やっててよかったなと思いましたから。同時に、賛否両論はあったとしても、自分で育てた羊からとった肉を使って商売しているという意味で、初めてクリエイティブなことをしているなという実感を持てましたしね。
 やっぱり、それが大きかったんだな。それからは色んなイベントに呼ばれたりと末広がりに。おかげで張りつめていた糸がやっとゆるんだというか、ようやく未来に光が射したというか、この仕事を続けていこうと思えましたから。なぜなら、そうやって喜んでくれる人がいることが自身の活力源になると知れたのだから。

仲間との出逢い
 賞賛の言葉と共に、ワインの生産者たちは「(お互いビオ(自然派)の生産者同士だから)仲間だ。仲間だ」との言葉を僕にくれました。その時、仲間がいるってことを初めて思えたんです。
 独自論ですが、僕が育てた羊の肉と彼らが育てたブドウから出来たワインが合わないはずはないと思っています。同じような志同士をうまくテーブルの上で融合させてあげれば間違いない。それを崩すような余計なことをしなければ大丈夫だろうって。だから、今はもう何の迷いもありません。
 周りからの評価が高くなってくるにつれて、自身の目も厳しくなっていったというか、下手なものを出せないなという思いは芽生えてきましたしね。まぁ、個体の屠畜の判断ミスさえしなければ、めったに悪いようなものは出てこないんですけどね。わかったのは、当たり前のことをしていれば悪いものなんて出来ようがないってこと。そもそも羊だって自然界に生きる動物であり、彼ら自身にも強い抵抗力や生命力はあったりしますから。
 そうは言っても、生き物なので、毎年毎年全然違うわけです。だから、大事なのは彼らに人間がどれだけ寄り添って仕事をできるかだと思うんですね。むしろそれしかない、それくらいしかできないと思う。やっぱり、自然をコントロールできるわけないってことをどこかで思っていないと、人間が支配しているというような間違った考えを起こしてしまうんじゃないかな。例えば、近代化農業と称して農薬や化学肥料を使ったり遺伝子を組み換えたりすれば、おかしいことが起きるという予測は前提としてないといけないはず。
 そういったことも、イタリアの生産者たちから学んだんですよね。ワインも自然の産物であり、天候に左右されるもの。だから、気候条件に恵まれず作ったものが売り物にならないこともあります。でも、農薬や酸化防止剤を使わずに作ったワインは年数を重ねていけば変わっていく。元が強いからか、時間さえかければ商品としてリリースできるものに変わってゆくんですよね。ただ、普通の個人農家さんにはそれを自分の所でストックできる金銭的な余裕はない。ということで、僕の知人であるインポーターさんは責任を持って全て買い取り、自分の所でストックしておいて時期が来れば売るという方針を取っているんですよ。会社の社長でもあるその方は「生産者も一家族だ」という持ち主で、お互いの信頼関係があるからこそ成り立つという点ではすごいなと思うし、尊敬しています。
 面白いことにそのワインの理屈は羊肉にも当てはまって、屠畜後すぐ味見してみて、まだ味がのってないなと感じた場合でも、しばらく寝かせればいい味に変わってきたりするんです。そんな風に美味しくなるタイミングに合わせて肉を提供できるようになったというか、いつ来ても「美味しい」と言われるような状態で出そうという意識を持てるようになったのも最近のことですよね。
 でも、いったん利益追求の方に向かえば、自身が納得していなくとも出さなきゃいけないという状況に必ずなってしまう。だから、そうならないように気をつけてはいますよね。結局は自分にはね返ってくるわけですから。
 うちで出している羊肉に対して、よく「初めてこんな臭いのない羊肉食べた」とか「こんなに美味しいと思わなかった」という声を頂きます。その背景には、日本には羊肉に対していいイメージを持っている人が少ないという現状があるのだと思います。そういう意味では、お客さんに慣れてもらうことを目指してウチとしては企業努力をしていきたいなと。
 では、なぜそういった肉を出せるのかというと、羊の毛を取ろうという行為を考えていないからなんですね。一点集中型というか、肉専用という形でやっているから。肉だけでなく羊毛としても商品になりうるという点では、羊は生産物として優れものです。経済、経営の理屈からすれば「一頭からムダなく」というのが普通なのでしょう。けれど、畜産と並行して飲食業をやっている身としては一点集中にしています。まぁ、それ以外に手が回らなかったという話でもあるんですけどね。実際、廃棄する部分が多く、もったいないなと思うことは多々あるので、副産物として何かとれればいいなとは思っています。 

変わってきた思い
 80年代半ば、勤めていた食肉会社が倒産したことを機に、1から羊小屋やログハウス作りの店などを建てて、事業も起こして20数年間やりくりしてきた父。その傍らで、カヌーやパラグライダーといった遊びを楽しむなど、「遊びながら仕事をする」という僕にとっても理想となる生き方を実践していた父。必ずしも効率的とは言えない部分もあるけれど、衣食住に関わることは全て自分でやらなきゃいけないと思っている節はあるからすごいなと思うんですよね。
 ひるがえって自分は父のように1から何かを生み出すということはしてきたわけでもなく、自分の表現として出したものが評価されているわけではない。むしろ親父の背中を追っていただけ、親父のやり方を真似していただけ…。そんな状態だった自身にとって、2011年以前にもお客さんから頂けていた「美味しい」とか「雰囲気良いからまた来たい」という声は仕事を続けていくための支えにはなれど、人生の舵を前向きに切っていくための起爆剤にまではならなかったんです。
 そう考えると、両親が現役を退いてしなきゃいけない状況になったことがいいキッカケになったんでしょうね。両親から「好きにしろ」と帳簿を渡されるというやらなきゃいけないような状況に立たされて、やっと一歩前へ出てきたような感じになりましたから。その当時のリアルな気持ちとしては何も面白くないというか、少なくとも前向きではなかったですから。

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