#69 (有)三英クラフト まき市場担当 / チェーンソーアーティスト 佐藤秀也さん

69 佐藤秀也さん「私はプロですから」

 

1974年生。山形県金山町出身、在住。高校卒業後、(有)三英クラフトに入社。現在は薪の営業を行う。その傍ら、趣味であり仕事として06年頃に出逢ったチェーンソーアートに取り組み、チェーンソーアート大会やイベント等に参加している。06年千葉大会優勝、秋田県大会県知事賞(準優勝)、13年東日本チェーンソーアート競技大会3位、住田カップ2013・優勝などの実績を持つ。私生活では、08年に結婚。2人の子の父でもある。

記事公開:2014-05-09 

チェーンソーアートに魅せられて…
 出逢いは突然でした。今から約10年前、会社から誘われて何の気なしに行ったチェーンソーアート講習会。生まれて初めてチェーンソーアートというものを目にした私は、気づくとその魅力に取りつかれてしまっていたのです。
 以来、空いた時間を見つけて、作品の創作活動を続け、チェーンソーアート大会やデモンストレーション、イベントなどにも参加したり、その大会などで出逢ったお客さんからの注文を受けて制作をしたりしています。
 デモンストレーション、あるいはイベントでのチェーンソーアートは、あくまでもエンターテインメント。一つの考え方としては、時間をお客さんの中に刻みこむという感覚で彫刻をやっています。短時間で作るので、出来たもののクオリティは低いものになります。
 一方で、お客さんからの注文を受けて制作すると、すごく時間はかかります。でもいくら時間をかけて作ったとしても、過去に「完成した」と思えるようなものは正直ないんですよね。作品への愛おしさは湧いてくるから、どこまでも磨いているし、いつまでもいつまでもいじっている。これで受け渡せると思える状態になってもまだいじるんですよ。だから、ある程度のところで割り切らないと、果てしなくやっちゃうことになる。彫刻は、毎年毎年進化していくもので、終着点がない。やっぱり、自己満足をしてしまうと伸びしろがなくなってしまいますからね。でも、そういう気持ちにさせてくれるからこそ、彫刻って奥が深いんだと思うんですよ。
 作品作りをする際、木をパッと見ると、その中に造形が浮かんでくるんです。要するに、その時点である程度作品としての完成が見えているということ。で、そのシルエットをもとに、どこから削って…という手順が頭の中で組み立てられていく。なので、どちらかと言うと、元の木から何を作るかをイメージすることの方が多いんですよ。一方で、注文を受けたときのように、最初からこれを作るんだと決めて、それに見合った木を探すという時もあれば、大会に出るとなると、当日になるまで与えられる木がどんなものかはわからないので、プランをいくつか考えておくというパターンもあります。
 彫刻で難しいのは、失敗できないこと。つまり、一度削ってしまうとアウトなんですね。粘土みたく、もう一度盛るというようなことはできないわけで。だから、ある一線を越えないように気をつけながら、彫っていくんです。
 作品を作る過程で芽生える木と対話しているという感覚は、人間を相手にした時と変わりません。例えば、急流を上っている鯉を表現した作品を作っていると、「(流れを)もっと強く、もっと強く!」とか「ジャンプする寸前だ!」とかって語りかけてくるんです。こちらはその声に従って彫っていくのですが、完成に近づけば近づくほどその回数は増えていき、最終的には気づいたら出来ていたという感覚になります。ただ、そのやり取りは考えてちゃ出てこないもの。本当に自分が表現したいことっていうのは、迷いの中では絶対に出てこない。迷いがあるなら、その表現はしない方がいいということ。もちろん最初はどこから切っていこうか考えているんだけど、途中からは無心になるんです。そうなると、自分と木との間合いはぐっと近まりますから。
 そういう過程を経て出来た作品は基本的に人の手にわたるので、自分の手元にはありません。時間がかかっている分、離れていく時は寂しさを感じます。ただ、自分の手元にあっても何の意味もなさないとも思いますからね。それを手にした人がかわいがってくれれば、木にとって本望なんじゃないかなと。
 チェーンソーアートは、未利用材、要は使われなくなった木に新しい命を吹き込むものとしてきれいごとで語られるところもあります。確かにその考え方は大事だし、チェーンソーアートの魅力でもあります。でも、その一方で、作品として依頼された時などは、いい材木でいいものを作るというケースもあるんですよ。
 自身も、「君は使われない木だけども、おれが新しい命を吹き込むぞ」というように木に対する敬意はいつも念頭においています。じゃなきゃ、残材として山に放置されてしまうか、単に木っ端となって燃やされてなくなるかでしょうから。まぁ、私は本職として薪の販売をしている身でもあり、暖を取るために木をくべる、つまり木から暖かさを貰えている、命を貰えている、すなわち焚き木として役に立っていると考えればいいことだとは思いますけどね。

チェーンソーアートと出逢って…
 私は本業として林業の仕事をしており、直接的に木のおかげで生活させて頂いていることもあることに加えて、チェーンソーアートをやっていることもあるので、いつも木に対する敬意は抱いていますし感謝もしています。まぁ林業関係者にとどまらず、人間は皆、木というか、大きく言えば自然から何かしらの恩恵は受けているでしょうからね。
 でも、この仕事を始めた当初はそういう考えを一切持っていませんでした。まず、林業の仕事自体が好きじゃなかった。何でおれ山に入らなきゃいけないんだろう、おれ何やってるんだろう…みたいに思っていましたから。昼飯で言えば、周りの連中は色んな中小企業に入ってどこかの店で食べている。かたや自分は、山に入って汗をかいて仕事して、周りには友達もおらず、緑だけの景色に囲まれて手弁当を食っている…という風に比較している私がいましたからね。
 ところがです。いつしか、仕事が好きになっている自分がいたんですよね。どういうタイミングでそう変わったのかはわからないけれど、とにかく変わったんです。変わってゆく過程で、チェーンソーアートと出逢い、木の素晴らしさを知ったことで、その思いにますます拍車がかかっていったのです。
 講習会でチェーンソーアートに魅せられて以降、もうどっぷりハマって、毎日、仕事が終わってから20時、21時くらいまでずっと練習していましたから。ほんと、一本の丸太が掘られていく過程で、だんだん姿を変えていくさまに立ち会えるのが面白くておもしろくて。出来た時も達成感を味わえますしね。とは言え、その達成感は刹那的なもの。でもやっぱり違うよな…と反省点や課題が見えてくるんですけど、それがまた私を次の創作に向かわせたんです。
 遡れば、元々、何かを作り上げるということに関してはすごく興味があったんですよ。幼い頃も、プラモデルを組み立てるのが好きでしたしね。「モノがなかったら、買うのではなくて、まずは自分で作ってみる」という主義は、小さい頃からありましたから。例えば、凧を竹ひごで作ったこともありました。きっと、小さい頃から変わらないものがあるんでしょう。
 とは言え、そういう世界で生きようという思いはありませんでした。今も趣味の領域なので、出たらめになってしまうところもあると思います。彫刻を一つの趣味として、副収入として捉えている自分は、プロの人とはまた違うのでしょう。でも、やるからにはプロ意識は持っています。かなりこだわって作ります。願わくばこれで食べていきたいという思いもあります。ただ、現実的に家族を持っている身として考えると難しいところはありますよね。やっぱり、まず収入が毎月バラバラになってしまう。となると、おそらく毎日がハングリーじゃないと生きていけないだろうなと。だから、もっと早く(チェーンソーアートに)出逢えていたらという思いがよぎることはあるんですよね。

「努力」と「夢」と
 やっぱり、チェーンソーアートとの出逢いは私にとって一番の転機でしたよね。突然の出逢いと共に、降って湧いたように夢も生まれましたから。遡れば、小さい頃、コックになりたいという夢はありましたけどね。
 理想は、夢を追い続けて、その夢を叶えることなのかもしれません。「オリンピックの舞台に立って、金メダルを取る」という夢を持ち続ける人もいるでしょう。でも、同時に夢は日々の生活の中で変わっていくという性質も持っていると思います。
私は後者でした。
 見方を変えれば、林業の仕事に就いてチェーンソーを使えたから出来たことでもありました。逆にもし使えなければ、たぶんやっていなかった。出来る自分がいたからこそ、叶えられたことだったなと。
 思うのは、「夢」ってかっこよく語られがちだけど、現実には夢を叶えられる人間ってほんの一握りしかいないってこと。冷たい言葉で言えば、「出来なければ、諦めなさい」ってこと。意外と残酷だと思いますからね、現実というものは。
 だったら、違うことを考えて、違う目標が出来て、違う夢を追うのがいい。それは挫折ではないと思います。ある程度のところで、自分の実力を見極めなきゃダメだし、見極めることによって自分に合った最高の夢を探し出せるんじゃないかな。
 とは言え、努力なしに夢は叶わないもの。課題を一つひとつクリアするというステップがなければ、夢になんて絶対に届かない。でも、客観的な成果として出ていないと、周囲からは「いつまでも夢を見てるんじゃない」と言われて終わりです。自分としては精一杯努力をしているのに、結果を出せていない人は、世間的には「努力をしていないから」という評価をされてしまうわけで。その場合の”努力”の圧力ってすごいですよね。で、その圧力に耐えきれずに夢に届く前に挫折してしまうケースもありますからね。
 そもそも、努力以前に「才能」とか「センス」に左右されるところは絶対ありますよね。でも、例えば栗の皮をむくセンスがある人もいれば、紙を早く折るセンスのある人もいるというように、生きている人間はみんないいところが絶対にあると思うんです。だから、「おれはもうダメなんだ」って思わないでもらいたいなと。そのためにもやっぱり、「夢」は必要なんでしょうね。私もチェーンソーと出逢って、数々のチェーンソー大会で優勝してきたという結果も含めて自身に見合った夢を見つけられたと感じています。
 自身を振り返ると、努力によるものが大きかったんじゃないかとは分析しています。チェーンソーアートに出逢った時は、まだ独身だったこともあって、仕事が終わってから飯も食わずにヘッドライトで照らしながら夜まで彫り続けていました。休日も彫刻をしたいからと早く起き、趣味の魚釣りと天秤にかけながら、彫ると決めた時は朝8時から取り組み始め、昼飯も適当に済ませて、また彫刻を始めて18時とか19時まで彫り続けていました。そんな1週間を繰り返してゆく期間がどのくらい続いたんでしょうね…。はっきりとはわからないけれど、自身の今があるのはそうやって努力した日々のおかげ。実際、自分も努力していなければ、「夢」や「努力」について語れないですから。
 ではなぜ努力できたかと言うと、やっぱり好きだからなんですよね。大会で勝ちたいからという思いなんて一切なかった。彫ってみて、彫ってみて、完成させたいんだという思いの一点張りでしたから。自身の経験からしても、そうやって自分を磨いていった後に、結果は自ずとついてくるものだと思います。もちろん、伸び悩んだ時はありました。いくら作っても同じレベルのものしかできないという時期もありました。でも、そういった時期や道具を全て使いこなせるようになったという”下積み”があるから、有益な情報があるとすぐに消化し結果として反映できるんだと思うんです。
 これは本業においても変わらないことですが、いつも自分の力を120%発揮しようとの思いでやっています。さすれば、お客さんの期待を上回るものが出来て、ひいては信頼を生むことにつながります。100%は最低ライン。まぁ、本当は数値化できないし、自分で評価するものでもないとは思いますけどね。とにかく、理想は高く持ってやっています。逆に言えば、妥協することは嫌いですね。

Pocket

1 2