#68 Healing center & cafe CRESTON 代表 菊池貴子さん

68 菊池貴子さん「真っ先に“人”がくることは、ずっと変わっていないんです」

 

1974年生。山形県上山市出身。実家は、旅館名月荘を営む。高校卒業後、イギリスでの1年間の語学留学を経て、東京で過ごすこと約5年。98年、実家に戻り、旅館の仕事を手伝うようになる。2001年より、その傍ら、外国へ旅をするように。2011年にはヒーリングセンターの機能を持ったカフェ(Healing center & cafe CRESTON)を名月荘そばにオープン。フラワーエッセンスや星読みの個人セッション、ワークショップなどを開催している。2013年4月よりのべ約10ヶ月間スコットランドのフィンドホーンにて時を過ごす。また、自身の経験を生かし、旅行プランナーや旅館アドバイザーなどの仕事もしている。 

取材日:2013-11-15  記事公開:2014-5-8

を探し始めて
 何となくもどかしいな。ほんとは別のやり方があるはずなのに…。98年に実家に戻ってきて以来、旅館の手伝いをしていた私がそんな思いを抱くようになったのは7、8年目、2006年頃のことでした。
 ――1974年生まれの私は、旅館・名月荘を営む家の長女として育ちました。これまで多くの時間をここで過ごしてきて思うのは、旅館という場所は素敵な空間だってこと。新卒で入ってくる仲居さんを例にとれば、女の子だからでもあるんでしょう、仕事をしていくうちにどんどん変わっていくんですよね。皆、見られていることを意識するから、女優さんみたいにきれいになっていく。変わっていくのは外見だけじゃありません。お客さんからも色んなフィードバックをもらえるし、「次来る時までに○○ね」と言われたとしたら、それがまた原動力になるんでしょうね。内面も磨かれていくんです。そんな風に頑張る目的ができて、日に日に輝いていく女の子たちを傍で見ているだけでも私は楽しくって。入って半年も経てば、もう全く別人のようになっていますからね。そういうところが接客業の良さだなとは感じていました。
 でも、ある一定のところからはお客さんと距離を置かなくちゃいけないのがちょっと消化不良だったんですよね。例えば、お客さんとの会話の中で何となく淋しそうだなっていうところが見受けられても、そういう部分になかなかタッチできないことにもどかしさを感じていて。具体的には、何か言葉をかけるよりも、手を握ったり、ハグをしたりする方が本当は楽だったはずなのに、それができなかったことがたくさんあったんです。「旅館のサービス」という範疇の中では自分なりに色々と想像を膨らまして、お客さんが喜ぶであろうことをやれたけれど、本当はもっと深く関わりたい、(お客さんが)ちょっと弱っていたり、大変な時に一緒に横にいたいという思いは胸にわだかまったままでしたから。    
 ならば、自分には何ができるのか――。きっと私が大人になり一人の人間として生き始めた時、旅館のサービスで喜んでもらうだけでは物足りなくなってきたんでしょうね。自分が表現したいもの、勝負したいものは旅館の中にはないってことに気づいたんです。そこからでしょうか、「なぜ私は旅館の娘として生まれてきたのか」ということを問い始めたのは。
 ただ、そこに至るまではけっこう時間はかかりましたけどね。仕事に慣れることが最優先だった当初から、ようやく仕事を覚えた5年目頃(03年頃)を経て、周りも見えてくるようになったのが06年頃のこと。その時期には、頃合い良くフラワーエッセンスという自分を見つめるツールに出逢ったり、自分もこういう生き方をしたいなって思える人たちにどんどん出逢い始めたり…といった追い風も吹き始めたんです。
 
自然だった英語
 ところで、私は高校卒業後、イギリスのロンドンにある大学の英文科に入り、1年間語学留学をしているんです。
 これと言って、明確な目的はなかったんですけどね。高校では東京の大学に進学するという人たちが多い中、私にとって東京という選択肢はしっくりこなかった。で、ふと浮かんできたのが外国だったんということ。イギリスに決めたのも、ほんと何となく。
 でも、元々、英語は好きだったんですよ。遡れば、英語を使えることの良さを最初に経験したのが中学校2年の時。ホームステイでアメリカに1、2週間行って感じたんですね、髪も目の色も全然違うんだけど、言葉が共通であれば世界が広がって、すごく楽しいなって。それに、学校の授業に英語教科が入る中学校になってからも英語がわからない気はしなかった。そういった”種”がふと芽吹いたんでしょうか…。
 実際、ロンドンという英語づけの環境で日々を過ごすようになると、英語を使っている時の自分の方がより自分らしくいられるなってことに気づきました。英語のフィット感もより確かなものとなり、後は知らない単語を入れていくだけ…という感覚もありましたしね。
 留学先の大学は色んな国から人が集まっている場所だったことも、良かったことの一つでしたね。「人って同じじゃなくていいんだよ」と言われているようで、とっても楽になりましたから。ひるがえって、それ以前は、「お姉ちゃんだから…」とか「旅館の娘だから…」とかいうような「かくあるべき」という目に見えない規範に縛られていたところは大きかったんでしょうね。
 とにかく、それまでの18年で築かれていた価値観が全て一新された1年間でしたよね。だって、全然常識が違うんだから。まして、山形のような場所から行ったわけですからね。10代後半という若さも相まって、その1年間は私にとってとても大きな経験となりました。
 そうは言っても、私は日本で生まれたわけだし、日本の社会で適応しなきゃいけないなと。なので、留学を終えた後は帰国し、東京で演劇の学校に通ったり、劇団の手伝いをしたり、就活をしたりしていたんです。
 そんな生活をし始めて5年ほどが経った98年、父が体調を崩したことを機に、旅館の仕事を手伝うために実家へと戻ってきました。以来、弟が旅館を継ぐことを決めるまでは若女将として働くなど、旅館の手伝いをずっとしてきたんです。
 正直に言えば、当時、私を動かしていたのは帰ってこなくちゃならないという義務感でした。イギリスにいた1年は除いて、高校生の時以来ずっと関わってきた演劇と離れなきゃいけないのも心残りだったんです。だから、旅館を演劇の舞台と捉えてやろうと無理にこじつけて仕事をやり始めました。
 いざ始めてみると、「満月の夜のコンサート」などのイベントを企画させてもらったりというように、自身を表現する場を与えてもらっていたから、それはそれなりに楽しかったんですよね。自身が演者になれてはいないけれど、楽しいなと思える日々もありましたから。
 
旅をして出逢った
 私が旅をするようになったのが2001年のこと。きっかけは、9.11。ニュースでニューヨーク同時多発テロの様子を見ていた私の中で何かが変わったんです。世界の国々の中で行きたいところに行って、ちゃんと見ておこう。ちゃんと現場に行って、そこの空気を吸わないとダメだな。そんな思いが芽生えてきたんです。元々、外国にはずっと関心があったのですが、学生の時にも1年間行っているし、いつでも行けるだろうと思って先延ばしにしていて。以来、旅館の手伝いをする傍ら、当初は2年に1度くらいかな、空いた時間を見つけて外国へ旅行をするようになったんです。
 旅行先としては英語圏の国に行くことが多いんですけど、決め手となるのは”感覚”です。感覚的に呼ばれて行くという感じなんですね。でも、いざ行ってみるとすごくアウェー感を感じる場所もあります。その一方で、ものすごく心地よさを感じて以後何度も通うようになる場所もあります。ちなみに、よく行くトップ3はNY(ニューヨーク)とロンドンとグアム。この3つは私にとって半ばお家のような感覚で回れる場所なんです。それぞれの場所で知り合いができたり、自身にとってのお気に入りの場所もできたりしているから、例えば日本の友達と一緒に行ったとしても、その友達を案内できるくらいにその場所を知っています。
 NYを例にとれば、99年、初めて行った時、居心地がすごく良かったんですよね。というのも、街中で泣いていても全然平気だったから。何だろう…泣かしてくれる空気があったというか、甘えられるというか。ほんと、一切気兼ねすることなく自分の感情をバーッと出せてすごく楽だったんです。
 その例に留まらず、旅行に行った時の私って日本にいる時の私とは全く違うんです。最初、私自身が一番驚いたくらいですからね、日本では考えられないほど悠々と、生き生きとしている私って一体何なんだろうって。すごく小さなことで喜んだりとか、予想だにしなかった反応をして気づきを得る機会も多いですし。だから、最初は私が頻繁に旅行に行くことに対して渋い顔をしていた両親も、何度か一緒に旅行するうちに今まで見たことがないような娘の姿を目の当たりにして否応なく納得させられちゃったみたいで。(笑)今では、もうしょうがないよね、外国にいるしかないよねと言われるようにまでなっていますから。
 でも、日本ではなかなかそういうことをやれない私がいるんですよね。実際、今でも猫を30匹くらいかぶっています。(笑)なぜなら、「どう見られるんだろう?」という意識が先に立っちゃうから。日本にいると、相手に何かを伝えようと思う時にストレートに言っちゃうと相手に嫌な思いをさせちゃったりするかな…というようなことを無意識のうちに考えてしまうんですよね。そうやって遠回しに伝えようとするあまり、結局自分がすごく疲れちゃって、ストレスになってしまう。
 一方で、英語だとイエスかノーかみたいにストレートに伝えるしかないですからね。その方が伝わるし、相手からもそれを求められます。私にとっては、そっちの方が楽なんです。なのになぜか日本ではそれができなかったし、今でもできないんですよね。空気を読んで、無意識のうちに日本人モードに切り替わっちゃうんでしょうか。と同時に、日本人のクオリティの高さもそこで感じるんですけどね。相手の気持ちを推し量って、言葉を選ぶところとかは素晴らしいなって。 
 だから、旅をすることで、自分が今までどれだけ不器用に、そしてがんばって日本の社会に適応してこようとしてきたかがよくわかるんですよ。もう、空港に行った時点で違いますから。(笑)「外国に行けば全開でいける!」というような期待感にもよるのでしょう。
 自身がそういう経験をしてきたから、うちに泊まりにきたお客さん側のニーズとしても、「ここで本当の自分に気づきたい」ってことがあるんだろうなって何となくわかったんです。だからこそ、旅館という場所は非日常じゃないといけないし、新しい自分に出逢える場所であってほしいなと。27歳の時に訪れたセドナ(世界的にも有名なスピリチュアルスポット)をモデルとした、ヒーリングセンターの機能を備えたこのカフェを作る上でも、この中ではどれだけ泣いても、笑っても、怒ってもいいよっていう空気を持った場所にしたいなという考えはあったんですよね。
 実際、2011年にこのカフェをオープンした後に名月荘に泊まったお客さんがいらして、「実はね…」と旅館の中では話せないことを話してくださって、共感できたりした時に、「あ、私ってこういうことをやりたかったんだな」とストンと落ちてきましたから。そういう意味では、旅行に関する場所で娘として仕事をする、生きるという役割を与えられているんだろうなとつながってきたんですよ。 
 とは言え、そういうことを意識するまでけっこう時間はかかりましたけどね。セドナに行ってから、ここを建てるまでに約10年というタイムラグはありましたから。まぁでもその期間っていうのは、自分が得意なこと、不得意なこと、好きなこと、嫌いなこと…etcをちゃんと見つめるための時間だったんだなと今では思います。たとえ小さくともこのカフェのような場所を作ること自体、初めての試みでしたしね。

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