ライフストーリー

公開日 2014.9.1

Story

「小国町で生きてきたことに、後悔はないんです」

森林インストラクター 舟山 功さん

Profile

1951年生。山形県小国町出身、在住。山形県立農業経営研修所(現・県立農業大学校)を卒業した16歳の時より、家業であった農林業に従事。71年、地元企業(株)東芝セラミックス(現・(株)コバレントマテリアル)に就職後は、兼業農家に。90年代半ば、胃潰瘍を患い入院したことをきっかけに、森林インストラクターの資格取得を目指す。以降、97年より山形県「源流の森」にてインタープリテーション活動、98年より「森林インストラクター」として森林環境教育活動、そして2010年より「森林セラピスト・セラピーガイド」としての活動を開始。その他、個人ガイド等も務めるなど、様々な切り口から自然と人をつなぐコーディネーター役。現在は、後進の育成に力を注いでいる。

※ 約8,000字

人生のターニングポイント

これからどう生きていこうか――。今から約20年前。病院のベッドで時を過ごしていた舟山の胸中に芽生えてきたのは自身へのそんな問いかけだった。胃潰瘍により40日間ほどの入院生活を余儀なくされた舟山は当時40代半ば。主な原因は仕事でため込んだストレスだった。
「それまでおかしくならなかった方が不思議だったとは今でも思うんです」

半導体を含む「総合先端材料メーカー」(株)東芝セラミックス(東芝グループ)に20歳の時に入社して以来、舟山は長らく現場での製造を担当してきた。
「当時、「これから伸びる分野だ」と言われていた半導体は他社との競争も激しく、つねに会社は「他よりいいモノを作ろう、新たなモノを開拓しよう」という雰囲気に包まれていました。そんななかで目先の課題をクリアし続けながら進めていく仕事自体はすごくおもしろくって。学ぶことも多々あったし、のめりこめたというか生きがいは感じていたんです」

病気になる数年前より、帰宅するのが毎日のように夜中になる日々がしばらく続いていた。だが当時は、仕事を通して得られる充実感や達成感が疲れをかき消していた。

だが、キャリアを重ね職制がつく(管理職になる)とにわかに雲行きが怪しくなってゆく。
「人を使うのが下手で、自分でためこんでしまったんですよね。私の部署が担当するところはデリケートなものが多いゆえにトラブルも多かったことも原因の一つ。ただ、部下をつっついて、仕事をやらせなきゃいけないのが何よりの苦痛だったんです」

食事はおざなりになり、常につきまとう仕事に関する不安や心配に心労からくる腹痛が相まって、眠ろうとしても眠れない。そうこうするうちに夜が明け、朝早くから家を出ていく…。そんな繰り返しの日々がど3年ほど続いた。

我慢が限界に達した舟山が医師のもとを訪れた時には、潰瘍は胃にとどまらず十二指腸までも侵蝕。即入院を言い渡された。

入院するにあたって、「余計なことを考えてしまうから」と新聞や雑誌などを読むのは禁止。「ただぼーっとして過ごす」か「寝る」しかやることのない入院生活が始まった。

すると一転、みるみるうちに病状は快方に向かった。投薬と食事療法により10日ほどで病状が落ち着いた頃、ふと舟山の目にとまったのが森林インストラクターの活動を取り扱った記事だった。
「そこで気づいたんですよね、自分には先祖が残してくれた山林があるということに」

1951年生まれの舟山が、幼少期を過ごしたのは高度経済成長期初期である。食事は質素で、小腹がすいた時には畑の脇に自生する野草や木の実などをとって食べた。遊ぶにしても、人の手で作られた遊び道具などほとんどない。山で木を切ったり、隠れ家としてツリーハウスを作ったり、冬場はかまくらを作ったり雪で作ったアイスを食べたりするのが主な遊びだった。
「そういう経験が知らず知らずのうちに私の中に埋め込まれていたんでしょう。病床で過ごす中でそれがパッとフラッシュバックしてきたのかもしれません。何にしても、胃潰瘍を患った私を救ってくれたのが、子供の頃の自然体験なんだと思うんです」

ブランクは約30年。とはいえ、その間、舟山は山林から完全に切り離された生活を送っていたわけではない。存在を忘れていたわけでもない。勤めの傍ら、下刈りや間伐のため定期的に出入りしていたのだ。だが、当時の舟山にとって山林は「仕事や子育てが生活の中心にあり、長男として管理しなければならない場所」にすぎなかった。
「それが病気になったことを機に、一転して「いわゆるセラピーというか癒しを感じる場所」に変わったんです」

するといつしか、舟山の中である思いが膨らんできた。自然環境や森の仕組みなどを子供たちに教えたい。小国町はさることながら、山形県ひいては日本全体の自然について知ってもらいたい。小国の自然を残していってもらいたい――。

そこで舟山はまず森林について知ろうと森林インストラクターの資格を取ることを決意し、勉強を始めた。

森林インストラクターの一次試験は記述問題、いわゆる小論文のみで構成されている。たとえば「ブナという樹木について、500字以内で述べなさい」「今の二酸化炭素濃度について250字以内でまとめなさい」といった問題が出題される。
「大学にも行っていないし、会社では報告書しか書いていない。要するに、そういう訓練をしたことがないんですよ。だから制限時間内に書けるようになるまでは時間がかかりました」

なお、舟山は退院後すぐ、「職制をとってほしい」との申し出が受理され、「平社員」として職場復帰をしている。「その後は精神的にも負担を感じることなく、仕事ができた」という舟山。
「何より、勉強自体おもしろかったですし、「森林インストラクターの資格を取る」という別の目的を持てたことが非常によかったんです。おかげで、仕事一辺倒だった生活を抜け出し、心身ともにどんどん快方に向かっていきましたから」

勉強を始めてから約3年が経った98年。舟山は森林インストラクターの資格を取得。まず地元行政にはたらきかけた結果、地元の小中学生相手に学校のカリキュラムの一環として自然体験学習(年約4回)のボランティアガイドを担当するようになった。さらに、舟山は小国町に4つある保育園にそれぞれはたらきかけ、そのうち一つの保育園では2000年代に入ってから毎年園児のガイドや森の中で行うゲームなどを教える保育士の研修ガイドを務めるようになる。なお、前年の97年からは山形県「源流の森」にてインタープリターを務めている。
「私としては、保育園児や小学生にウェイトを置いています。(自身の体験を踏まえても)「三つ子の魂百まで」と言われるように、その時期に自然環境について知っておくことは非常に大事。そして、仕事や生活の中でも自然を感じていられるような大人になってもらいたい。そんな思いがあるからなんです」

 

自然への想い

以降しばらくの間は、二つの「足場」で環境教育活動を中心に進める傍ら、一般観光客を対象とする越後米沢街道トレッキングのガイドや温身平(ぬくみだいら)でのセラピーガイドなど、ジャンルを問わず月に4度ほどのペースで個人ガイドの仕事もこなすようになった。ただ、舟山の活動なり仕事のほとんどは、無給ないしはガソリン代程度の謝礼しか貰えない「ボランティア」である。
「だいたいガイドは儲かりません。ただ、私は企業で勤めて得られたサラリーで生活基盤を確保しているわけですし、重きを置いているのは来た人に自然環境について知ってもらうこと。そもそもこういった活動を始めたのも、知ってもらいたい、伝えたいという思いが発端でしたから。

たとえば最近、二酸化炭素の濃度は0.4%となり、地球温暖化はまぬがれないと言われていますよね。だとしてもそこで何かしらのアクションを起こすことで温暖化の進行を遅らせることはできるわけです。とにかく、知っているのと知らないのとではまったく違うのかなと。まぁ私の場合は希望的観測の方が強いというか、実際に木を植えたりはしていませんけどね。どちらかと言うと今あるものを未来に残していくことを第一義に置いた活動をしています。そういった話をガイド中にも織りまぜたりはしていますね。

ただ、お客さんに対していきなりそういう類いの話はしません。まずは森や自然の良さを知ってもらってから。もっと言えばお客さんのニーズが第一です。たとえば、「病んだ心を癒す」ことを目的として来た人にそういう話をしても意味がない。もとより、ガイドをする上での主体はお客さんですからね。

なのでガイドとしては、お客さんが求めていることを、顔を合わせて少し話した段階で把握しておかないといけません。あれもこれも体験してもらいたいという、こちらからの押し付けになってしまうとダメ…とは、自身が失敗を重ねてきたからこそ言えることなんですけどね」

表面的には、舟山は人を森に案内する「森の案内人」だ。だが、時と場合に応じて、舟山は「インタープリター」「森林セラピーアテンダント」「森林環境教育コーディネーター」などいくつかの顔を使い分けている。
「よく「森林セラピー」と「森林散策」はどう違うのかという質問をされることがありますが、両者は大きく異なったものだと私は考えています。

医学的見地からは「交感神経と副交感神経の切り替えがスムーズになる」と言われていますが、「セラピー」は森林にある癒しの力を体感するものです。たとえば、花や木に意識づけをして、匂いを嗅いでみたり、深呼吸して森の気を取り込んだり。薬草茶を飲みながら森の中のベンチで一休みするのもいい。とにかく「セラピー」において大事なのは、普段の生活とはかけはなれた感覚を味わう時間を持つこと。だから、ただ道案内をして散策する「森林散策」とは違うんですよね。

また、「セラピーガイド」をするにしても、いかにリラックスして楽しんでもらえるかを重視しているので、ビジネス的に捉えている人とは意見が対立してしまいます」

「こだわり」は個々の性格によってのみならず、過去によってかたちづくられるところもあるのかもしれない。
「退院後も、つまづくことは少なくなかったんです。というのも、いくら「うつ」が治ったとしても、ちょっとしたことが気になったりと、うつっぽい感じは残るんですよね。

たとえばガイド活動を明日に控えているとして、安全面で気がかりなところがあると、とにかく気になってしょうがなくなる。ガイドとしては100%の安全管理が原則です。なので、もしお客さんがスズメバチに刺されてしまったら…とか、木の根っこにひっかかって転んでしまったら…というふうに悪い方へ想像が膨らんでしまうんです。 ガイドのことに関わらず、心に何かひっかかっていることがあると、そういう「うつ」的なものが顔を覗かせるんです」

だが、何度かそういった経験をする中で、舟山はある「対処法」を編み出したという。
「(ガイドで言うなら)お客さんはどんな人なんだろうと想像した時に生じるワクワクやドキドキによって自分を奮い立たせて、不安をかき消そうと試みるんです。やっぱり不安は、自身で作り出したものですから」

そんな中、舟山にとって「支え」になってくれる心強い存在となったのは、飯豊山の登山ルートの途中にある、成長過程で折れ曲がっている樹齢100年以上の水楢の大木だった。