ライフストーリー

公開日 2014.10.21

Story

「人と人をつなげるのが、私の使命だと思っています」

Earth Camp 代表 光永 奏者さん

Profile

1983年生。米カリフォルニア州出身、東京都在住。2歳から16歳まで日本とアメリカを行き来して育つ。高校卒業後、3年間レストランで働いたのち、04年の秋より早稲田大学国際教養学部に進学。卒業後、言語コンサルティング会社の共同経営を経て、東日本大震災後、外国からの支援団体と被災地の民間団体や行政とをつなぐコーディネーター役を務める。2012年3月、早稲田大学MBAを卒業。同年10月に南三陸で第一回 Earth Camp(自然体験や英語学習を通じて人と人、人と自然のつながりを生み出すツアープログラム)を実施してからは、同企画を定期的に開催。翌13年1月、「人と人、人と自然との架け橋となるチャネルをつくり、社会的課題への解決策を生み出す」をミッションとして掲げたイベント企画会社「Common Earth」を設立。

※ 約9,000字

きっかけとなった「東日本大震災」

「人と人をつなぐのは自分に適しているなというか、得意分野だなと思ったんです」

2011年3月12日。東日本大震災の翌日、光永に1本の電話がかかってきた。「(緊急医療)査察団が被災地に行くから手伝ってくれ」査察団の一員でもあるアメリカで暮らす姉からの要請だった。

被災地の状況把握を来日の目的とした、査察団は14日には成田に到着。その日、福島原子力発電所の3号機が爆発。出発は先送りされ、石巻に到着したのは18日となった。それを機に、東京に滞在していた複数の海外団体はバスによるピストン輸送で次々と被災地へとやってきた。

そんな中、英語(と日本語)を話せる光永の存在は貴重だった。地元行政や民間団体とアメリカから来た支援団体とをつなぐコーディネーター役を求められた。
「自分の意志云々より前に、気づいたらやっていたという感じだったんです」

当時、光永の身分は早稲田大学のMBAに籍を置いて2年目の「学生」であり、卒業後は自身でビジネスを起こすという青写真を描いていた。ほとんど行ったことがない東北は、「寒い場所」というイメージを抱く程度の場所でしかなかった。

それが一転、石巻を中心とした被災地の復興支援活動に取り組むようになったのだ。そのうちもっとも深く関わったのが、燃料の供給活動である。3月下旬になっても、夜や早朝には気温が氷点下5度前後まで下がる日が多い三陸地方。光永は、米国の燃料支援基金(FRF)と現地の灯油会社をつなぐことで、暖を取るには欠かせない灯油を仮設住宅や避難所で暮らす人々に供給しつづけるのに一役買った。

震災以降、自宅のある東京と被災地を行き来する日々がしばらく続いていた。
「目の前のことをがむしゃらにやる感じでした。後になって振り返ってみれば、自分が間に入ってできたつながりから新しいものが生まれることに対するやりがいや、誰かから強く求められているという充足感があり、それゆえ活動の意義も感じられていたんだと思うんです。

ある意味「何にもなくなった非日常」の被災地で、とても印象的だったのは、知らない人どうしが朝「おはようございます」と挨拶し合っていたこと。家族の消息がわからず不安や淋しさを抱えていたりするなかで、きっと根本的なところでの人とのやりとりの大事さをみんな感じていたんだと思うんです。だからこそ、「元気か、がんばれよ」とのニュアンスを含んだ「おはようございます」からは重みがひしひしと伝わってきたんでしょうね。

それは、普段暮らしている東京のマンションでは経験したことがないために、しばらく忘れていたもの。震災後、東京で改めて「日常」に触れると物足りなさが押し寄せてくるような感じがあり、「うつ」と呼ぶと語弊があるかもしれないけれど気が沈んでしまっていて。

一方の被災地では、感謝しあうことの素晴らしさみたいなものに気づかされる場面が多かったんです」

その一つに光永は、震災直後の3月末、渡波駅でタンクローリーに積んで調達した灯油を被災者に配っていた時のことを挙げる。

当初、列に並んでいたのは約200人。1家族につき約1000円分という規定量を定めても、最大で2klしか積めないタンクローリーでは一度で並んでいる全ての人に灯油を行き渡らせることはできない。ゆえに、機能しているスタンドまで給油しに行って戻ってくるまでの数時間のあいだ、約100人は待つことを余儀なくされた。

降り始めた雨が雪に変わるような天候のなか、凍えながら次便の到着を待つ人々の下へ、救援物資を運ぶトラックがみかんやリンゴなどの果物を運んできた。人々は一斉に駆け寄り、自分たちの取り分を確保すると、また先ほどまで並んでいた場所に戻っていく。

ややあって、次便が到着。再び配給が開始された。そんななか、ふと気づくと、トラックの横につい先ほど配られたみかんが置かれていたのである。
「並んでいた人たちのうちの誰かが、もらったばかりのものをうちらにくれていたんです。直接手渡そうとすれば断られるだろうからと、あえて気づかぬようにそっと置いてくれていったんだと思うんです。

その場面に立ち会ったアメリカ人は今でも言います、「日本人の美しさにすごく感動したよ」と。私も心を打たれました。

その例にとどまらず、人間の根源的な部分というか、大事なところを感じ取れたことが、率直にもっと活動を続けたいという思いにつながっていったんです」

 

結びついた過去と今

活動を続けるうち、光永の胸の裡ではある考えが生まれていた。
「得てしてボランティアは続かないもの。自分が生活できる方法というか、サスティナブル・ビジネスとしてやれる方法を探そう」

その考えが、農業体験を通じた人の交流を生み出すツアープログラムを提供するEarth Campを立ち上げにつながった。

ツアーの初開催は2012年10月。当ツアーは農業体験と英語学習を組み合わせた内容で、行程は1泊2日。以後、定期的に開催するようになり、現在は農業の他にも漁業やアウトドア関連の体験を参加者に提供している。
「震災を受けて感じたことのひとつが、(きっと多くの人が感じたように)自然って人間にとって一番大事だよなってこと。電気やガスを含めた人工物に依存しすぎてしまっているよな。自然と共に生きていかなきゃ、人間やばいよなって。

ただ、「共に生きる」とは言っても、その考えを突き詰めていくと、文明的なものを否定せざるを得なくなってきます。私は専門家でもなければ、善人でも山奥で暮らす仙人でもない「一般人」です。生活の中にWi-Fiは必要だし、ハイテクも新しいものも大好き。現実的に考えても、情報技術やバーチャルな世界は現代社会にとって必要不可欠なもの。みんな縄文時代のように、電気やガスを一切使わずに火おこしだけで生活するというのはリアルじゃない。

私たちがアプローチしたいのは、意識の部分です。ふわっとした表現にはなりますが、自然と共に生きていくことって大事だよなという意識を持った人のコミュニティをみんなで作っていくことを目指しています。そのなかでEarth Campはプラットフォームというか、北極星になれればいいなと」

Earth Campのビジョンを固めていく過程で、震災直後の南三陸と重なり合う「ある風景」が光永の記憶の中から呼び起こされていた。それは、早大探検部時代に行ったアフリカの奥地にある人口100人ほどの小さな村だった。
「電気もガスもないし、鉛筆もない。一番びっくりしたのは子供たちが(世界一有名なスポーツである)サッカーを知らなかったこと。そんな「何にもない場所」で生きている子供たちの笑顔がすごかったことに加えて、東京に対する憧れもまったく感じられないことが驚きだったんです」

そこで光永は価値観の転換を余儀なくされた。
「先進国に生まれ育った私は「経済や社会の発展=幸せ」という前提を疑ったこともなく、訪れた村のような場所を「最も遅れていて、かつ閉ざされている場所」と見ていました。でも、現地の子どもたちの姿を見たりするなかで、「人の幸せ≠金銭的、物質的な豊かさ」なんだなと。そして、人間にとって原始的なところというか自然の中で生きていくことの大切さを訴えかけられているような気がしたんです」

Earth Campのプログラムにアウトドア関連の活動を組み込んでいるのも、探検部での経験に由来している。

当時、光永は毎週のように週末は山に出かけていた。お金のない当時、特急列車は使わず、無人駅のベンチで一夜を過ごすことも度々あった。
「そこで多少培えたサバイバルグッズの取り扱い方法や登山研修やレスキュートレーニングで磨いたスキル、そしてどこでも生きられるという自信が震災時にすごく役立ったんですよ。自身が肌で知った、人間がいつ、どこにおいても適用可能な「生きる力」の重要性を、もっと人に知ってもらうことが必要だなと思ったんです」

そもそも、光永が早大探検部に入ったのは「自然に出たい、自然に触れる時間がもっとほしいから」だった。
「働いているときに「毎朝スーツを着て、満員電車に乗って通勤する」という経験をしたことで、そこから離れる時間の大切さを実感したんです」

その際、記憶の底から蘇ってきたのは幼い頃に両親とキャンプに行ったという「一番幸せな思い出」だった。
「行き先はキャンプ場とかではなくて、まるっきり自然の中。たとえば、カリフォルニアの隣のオレゴン州にある山の頂上に行き、自分たち以外は誰もいないという「貸し切り状態」の中を、親は真っ裸になり池で泳いでいました。そして、池で捕ったザリガニを茹でで、塩をかけて食べたりもしました。そんな風に「何もない」状態で家族と一緒に時間を過ごせることがすごく楽しくって。そういった経験も、Earth Campのプログラムに直結しているのだと思います。

そんなふうに過去の自分があって、今の自分がいる。だから私は自分の過去をとても大事にしています。

私には流されやすいところがあるので、今までの人生において、周囲から言われたことに左右されてしまうこともありました。一方で、自分の中、つまり過去から出てきたものにしたがって行動することもありました。後々考えてみてよかったと思うのは、後者のパターンばかりなんです。

今の仕事も、誰かに憧れてやり始めたものでは全くありません。すべて自身の過去から生まれたものだと思っています」