#7 美どり亭 阿部美代子さん

阿部美代子さんb#7 美どり亭 阿部美代子さん

「今の仕事は、きっと天職なんです」

Profile
山形市出身。ラーメン屋「美どり亭」を、3代目の夫と2人3脚で営む。高校卒業後、銀行に就職。高校の同級生だった夫と22歳の時結婚し、西川町に住み始める。2001年、悩んだ末に店を移転し商売を続けていくことを決意。現在、仕事に、家事に、副業にと忙しい毎日を送る3人の子(2人は成人)の母。

記事公開:2012-6-29

 

サービス業として
 サービス業を自営でやっている身として、心がけていることはいくつかありますね。
 まず、お客さんに話しかけること。お話するのが好きで、来てくださるお客さんもいらっしゃいますから。
 次に、常連さんの好みを極力インプットしておくこと、残していかれたものを全部チェックしておくこと。例えば、ニンジンを残していかれる方であれば、次回から少し量を減らすようにしていますね。エコ箸が苦手なお客さんもいらっしゃるので、そういうお客さんにはふつうの割り箸を出すようにしています。
 そして、注文した人に合わせて麺の締め具合を変えること。店でホールとキッチンの両方やっているからこそできることなんですね、これは。そういうのも、相手のことを考えて食事を作るという点では、家庭で子どもに料理を作ってあげるのと同じだと思っています。
 いずれにしても、お客さんが満足してくださるようなサービスを心がけていますね。
(写真:季節によって押すスタンプを変えているという箸袋(1季節当たり10種類ほど))

私の天職
 私は、ご先祖に呼ばれたんだと思います。高校の時は商業科で、銀行に勤めていたから金銭関係にも明るいし、帳簿とかも全部自分でつけているんですよねそういうスキルが備わってここに来たっていうことですから。それに、人が好きで、接客も好きだから、私にとって天職なんですよね、きっと。「あなたに会いに来た」と言って、来てくださるお客さんもいるんですけど、そういうのはうれしいですよね、やっぱり。
 銀行で働いていた時も、天職だと思っていましたけど。当時は、どこの銀行でも金利はほとんど変わらなかったですし、だからこそ「あなただからここに来た」って言ってもらえた時は嬉しかったですよね。
 そういう意味では、銀行の窓口も、ラーメン屋のホールも同じなんだと思います。

母として
 実は、2001年店を移転する際に、このまま商売を続けていくかどうかすごく悩んだんですよ。町の人口もどんどん減っているし、冬は雪のせいで観光客もほとんど来ないし。続けていくのは大変だろうなっていう思いはありましたね。
 それで、当時小学校3年生の娘と2年生の息子に相談したんですよね。「新しくお店を建てるんだけど、お父さんとお母さんはお店をやらないで、お友達のお家みたいに働きに行こうかどうか悩んでいるんだ。どっちがいいかな?」って。そしたら、子供たちは、「お母さんが家にいる方がいい」って言ったんですよ。その子供たちの言葉がなければ、今の美どり亭はなかったかもしれないですね。
 昔から、そうやって子供には自分の悩みとかも話すんですよ。子どもの方も、色んなことを話してくれます。そういうコミュニケーションは、大切にしていますね。

親の背中を見てきた子どもたち
 3人の子供たちは、申し訳ないくらい手伝ってくれるんですよね、バイト代を払っているわけでもないのに。今、家にいるのは長女と次女なんですけど、2人で話し合って、土日はどちらかが家に残って仕事を手伝ってくれているんです。おかげで、店を何とか回すことができていますね。子どもの頃から、親が働く姿を見てきたからっていうのはあるのかな。お客さんが食べに来てくれているから、自分たちの生活が成り立っているっていうことは、言わなくてもわかっているんでしょうね。

最初は恥ずかしかった副業
 お店とは別に、副業としてメール便の配達も始めて4年目になるんです。配達するときも、ただポストに入れるだけじゃなくて、挨拶して、会話するように心がけています。そうすると、「お茶飲んでけ~」とか「これ持ってけ~」って言ってくださるんですよね。だから、今では町の人も知ってくださっていて、「大変だな」「えらいな」とか声をかけてもらえるのはうれしいですね。
 でも、最初は正直、恥ずかしかったです。お店だけだと立ち行かなくなっているってことですから。そういう周りの目も意識していましたね、やっぱり。今は開き直ってというか、楽しくやっていますけど。

「笑ってないと幸せは来ないよ
 もともと人見知りはしないし、人が好きだし、人と話すというのがさほど苦にならない性分なんですよ、私は。人と話すと、色んなことを知れるし、色んな世界を見られる。それが楽しいんですよね。道行く人と話すのも好きですし。
 実際、嫁いでこっちに来た時は、知っている人は誰もいないし、知らないことだらけでしたから。だからこそ、わからないことがあれば地元の人たちのところに聞きに行って、教えてもらったりっていう風に、積極的に関わってきました。自分から行かないと、どうしようもなかったっていうのもありましたけどね。そういうアクティブさっていうのは、母親ゆずりなのかもしれないです。母親も、知らない人に平気で話しかける人でしたから。
 そんな母親に、小さい頃から、「笑ってないと幸せは来ないよ」とは、よーく言われてきたんですよね。母親自身が、それを体現している人でしたし。そういう母親を見て育ってきたからかどうかわからないですけど、自分にもそういうところがそなわっているというか、何をするにも楽しむようにしています。

第二の青春
 もちろん、イライラしたり、気持ちが乗らなかったりする時もあるから、そういう時は、色々と考え方を変えてみて、モチベーションを上げるようにしています。だから、気持ちを入れ替えるスピードは人より早いかもしれないですね。後ろを向いていても仕方がないですし。自分と対話することも多いですね。考える時間は大事だし、楽しいし、それでふと光が見えた時なんかは、良かったなって思いますよね。逆に、しんどい時は自分を甘やかすようにしています。娘たちは、そういう私の気持ちを汲んでくれて、家事を代りにやってくれたりしますね。そういうのも、普段から築き上げている親子関係の賜物なのかなと思っています。
 まぁでも、葛藤してばかりの毎日ですね。自分では、第二の青春時代なのかなと思っていますけど。

「私」の居場所
 だけど、ここに来てなかったら、ここまで色々考える人間になっていなかったかもしれませんね。山形にいて、銀行で働いている頃は、自分を見つめることがなかったし、それだけ恵まれた職場環境だったと思うんです。実際、来た当初、孤独感はほんと強かったんですよね。だけど、気晴らしする所もないから、本ばかり読んでいた。
 それに、周囲の人たちから「美どり亭の嫁さん」と呼ばれることがすごくイヤだったんです。自分が否定された感じを受けていました。もちろん、間違ってはいないのだけれど、「私」であることの意味というか、「阿部美代子」のいるべき場所をすごく模索していた時期がありましたね。

至福のとき
 そうやってきたからかどうかわからないけど、娘の友達やお客さんから人生相談を受けるといった形で、他の人の人生にいくらかでも関われることが嬉しいんですよね。ほかにも、子どもの時通ってくれていた人が、父親やら母親になって子供を連れてきてくれて、その子が「おいしい」と言ってくれたときなんかは、至福のときです。
 そういう風に、色んな人の人生を見られるというか関われるというのが、働くうえでの1つの楽しみです。何というか、喜びとか幸せをおすそわけしてもらっている感じですね。

生涯現役
 私の夢は、小学生の時に食べに来ていた子が、おじいちゃんおばあちゃんになって、家族3代で食べに来てくれるまで、待っていられるように、店を続けていくこと。
 目標は、生涯現役。体が動く限り、仕事はしていたいですね。

 

<編集後記>
「僕」の居場所のない、空虚な気持ちをふと思い出した。ラーメン屋の女将(?)である前に、一人の母としての美代子さんに僕は惹かれていた。

 

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