人生は物語

人はみな、人生という一冊の物語を持っている。

ハイライト自分史の作成について


10年後も思い出に残るインタビューを。



ハイライト自分史。それは人生の転機など重要な場面をピックアップして、短い文章でまとめたものを羅列した、いわば人生のショートストーリー集です。ぼくは話を聞いてまとめる代筆屋です。


ふだんどんな思いを抱いているのか、どうしてそんな思いを抱くようになったか、何に突き動かされているのか……。そういった自分にまつわる物語を開示することが、受け手の心を動かし何らかのアクションを起こすきっかけになると、ぼくは考えています。

人を引き寄せるのは、その物語から浮かび上がってくる「その人(会社)らしさ」。「こころの見える関係」をつくり、等身大の自分を好きになってくれた人との関係性は長続きすると思うのです。

上に記した文章は第三者に公開する前提で書かれたものですが、「まとめたいけれど第三者に公開したくはない」という方のご依頼も受けております。

自分のたどってきた人生を「物語」として読むことで、自身の過去が整理され、よりよい未来を築くひとつのきっかけになる。そういう点でもハイライト自分史は役立ちます。

目指しているのは、「10年後も思い出に残るインタビュー」。自分にとって大事な人生の一コマは、いつまで経っても忘れないもの。そんなひとときを共有することができれば幸いです。

 




<ハイライト自分史の作成について>

【おおまかな流れ】

 1、取材日程、場所などの調整
    ↓
 2、お会いしてじっくり取材
    ↓
 3、原稿を作成
    ↓
 4、電話、Skypeなどによる追加、補足取材
    ↓
 5、原稿完成(データでの納品となります)

 

【作品サンプル】

1、ストーリータイプ

サンプルはこちらでお読みいただけます。
文体や構成などについては、こちらに掲載されているものを参考にしてください



 

2、スポットタイプ

庄司樹さん(庄司林業総務課長・So-tennen代表)


1981.10.6 0歳

最上川が町内を流れる山形県大江町にて庄司家の長男として誕生。庄司林業を立ち上げた祖父の血が自分にも流れていることに気づいたのは30歳の頃。「最近、おまえ、じいちゃんに本当によく似てきたな」とは祖父をよく知る親類・家族の証言。

1990 8歳   

先天性の骨の病気が発覚。他の子たちのように運動できないことで抑圧されたエネルギー、膨らんだ劣等感を、得意分野でもあったイラストの描画、物語や遊び道具の制作などの創造的行為で解放。金曜ロードショーをほぼ毎週欠かさず観るなど、何よりの楽しみは映画鑑賞。

1997 15歳

映画の道に進むため、親や教師などから受けた「超」がつくほどの大反対を押し切り高校を中退。新たな道でスタートダッシュをかます上で胸にあったのは「シナリオを書きたい!」との純度100%の情熱のみ。中退後すぐ、旅行を兼ねたシナリオハンティングを目的に北海道へ。山形の社会人グループに混ざり映画の自主制作を開始。

2000 18歳

映画の骨子を築くための資料研究、いわば勉強を好きになる。助監督としての初仕事は『蕨野行』。黒澤組(黒澤明監督の撮影チーム)の人たちなど世界の超一流と呼ばれている人たちと一緒に仕事ができるという「ほんとうに幸せな時間を過ごす」。フリーランスの助監督としてやっていく肚が固まる。

2002 20歳

人生でもっともきつい仕事だった『あずみ2』の制作に助監督として参加。1日30分睡眠が続くこと4ヶ月半。見習い価格のギャラはトータルで8万。乗り越えられたのは「映画に対する想いの筋が通っていた」から。幼少期から変わらぬ劣等感も重要なファクター。安定的に仕事を確保できるように有名な監督の一派に属すことをせず、フリーランスとして心おきなく挑戦をつづける。

2004 22歳

準備段階から関わった『転がれ!たま子』にて、サード助監督として実質的な初キャリアを踏む。レベルが違いすぎる人たちを前に、戦力としてまったく認識されないという洗礼を浴びる。奇しくも、セカンド助監督は「サード殺し」の異名を取る助監督のプロフェッショナル。ぐぅの音も出ないほど核心をついた叱咤を浴びせかける彼に追い詰められて辞めるサードもちらほらいる中、逃げずにやりきった経験は財産のひとつ。

2006 24歳

山形から東京に転居。約半年でギャラは10倍近くにはね上がる。テレビCMの仕事も増え、大手企業のサラリーマン並みの年収を稼ぐ。欲しいものをたくさん買えて、美味しいものをいっぱい食べて、「この世は天国か」との錯覚を抱く。短期間でどん底と絶頂を経験。

2007 25歳

深夜ドラマ『ケータイ刑事 銭形海』の現場にて、理不尽かつ苛烈ないじめを受ける。やり遂げるも助監督の仕事を続けていくかおおいに迷う。続けるという決断の決め手は、付き合っていた彼女の存在。遊んだりデートをしたりして息抜きすることが仕事にもよい影響を及ぼすことを知る。人に甘えることを覚える。戦力として闘っていくためには、徹夜してでもつねに万全の状態でいなくちゃいけない、という張りつめた気持ちがやわらいでいく。

2008 26歳

ホラー映画『テケテケ』の現場にて、「庄司さん今何時ですか?」と尋ねてきた当時AKB48の大島優子に「庄司です」と答え、チョップを受ける。監督からワンシーンの演出をあずかり、カット割り、役者の演出などの監督業をおこなう。現場を取りしきる快感に酔いしれつつも、名のあるカメラマンなどプロを動かす緊張感に身が引き締まる。自主制作では味わえないぜいたくな時間を過ごす。

2009 27歳

連続ドラマ『大魔神カノン』撮影中、部下が犯したミスの責任を被った結果、気絶するまで殴られるなど、上司から凄惨なリンチを受ける。『夢見る人形と星屑の旅を』にて「なりたくともなかなかなれない」チーフ助監督(助監督のトップ)に昇格。

一方、「林業やる」という友人の一言がきっかけとなり、林業を営んでいる家業を継ぐというピンボケした未来がしだいに焦点を結んでいく。

2010 28歳

『CUT』の監督、アミール・ナデリ(イラン)の映画作りに向かう姿勢に衝撃を受ける。日本の芸能界の政治力学など何のその。世界中から嫌われても映画を撮る、とでもいうような純度の高い情熱や気迫は「狂気じみた」と形容できるほど。助監督として監督の“無茶”を現実化していく過程でおこなってきた「調整」(予算、環境など)が「妥協」の色を帯びるとともに負い目と悔しさが生まれる。10年ほど積み上げてきたキャリアがありながら、井の中の蛙を実感。仕事の一環で小津安二郎監督、黒澤明監督の墓参りをし、映画への想いをより深めていく。

2011.春 29歳

東日本大震災を機に、林業への想いが一気に加速。いじめられたり、眠たくても寝られなかったりという辛さにもめげることなく一つのことを10年以上やり抜けたという成功体験、日韓合作映画『あおひげ』など低予算映画ながらにチーフ助監督を務め上げた実績を土産に、東京からUターン。家業である庄司林業の社員となる。なお、助監督として携わった映画は『それでもボクはやってない』『相棒―劇場版―』『ハンサム☆スーツ』を筆頭に30本以上。

2012 31歳

「一本の木からいかにムダなく採材できるか」というテーマを追求することをはじめとした林業の仕事のおもしろさに魅了されていく。仕事が趣味化しているため、残業はいっさい苦にならず。「創作」という小さい頃からの得意分野も生かされている。「宝の山」という言葉の意味を暮らしの中でひしひしと感じるようになる。

2012    31歳

仕事かプライベートを問わず、高感度アンテナを立てながら新しい仕事を生み出す種を探し続ける日々。背後には、助監督時代に勉強のコツを独学で身につけた経験あり。いわば「自分ごと」として取り組んでいく意識が身についていることに、昔とった杵柄を実感。

2012.11   31歳 

エネルギー事業を起こすことを目標のひとつに、有志たちと「山業ビジネス&プロジェクト(現・So-tennen)」を立ち上げ。運営にかかるコストはポケットマネーより捻出。山を身近なものとして感じてもらい、ひいては「林業(山)の仕事が憧れの職業だと言われるようになること、山にかつてあったような活気を取り戻すこと、人と自然の共存」が目標。ナラで作った蝶ネクタイ、クロモジの葉を使ったアロマが代表的な商品。

2013.   31歳

16歳の頃、若さと頑固さに支えられた勢いにまかせて高校を飛び出した選択に一片の悔いもなし。小さい頃の原体験(素材)+180度の価値転換が起こった助監督時代の経験(調味料)=現在の自分。とはいえ、10年以上制作に携わっていた映画への想いは人一倍。プロデューサーとして「映画を作りたい」という夢を懐に忍ばせている。「複数の人たちを束ねて、くみ上げて、一つのものを作り上げていく」過程は、経営と映画制作に通底するところ。

2013.   31歳

山の仕事を通して、結ばれたことのない点と点を結び、新たな道を拓き、轍を刻みたいとの思いがひとつの原動力。すでに結ばれた点と点には興味がない、人と同じことをやりたくないという性質とは表裏一体。周りには理解されないことをし続けたあげく集落を追放されるも、ひと成功収めたアバンギャルドな高祖父(ひぃひぃじいちゃん)の血を引いていることも発覚。

2014.2  32歳

視察旅行で訪れたオーストリアにて、木の切り出しから熱源の供給に至るまでを一手に担うバイプレイヤーと出逢い、分業化社会に甘んじていた自分を反省。「人に頼らず、自分でできることは自分でやろう」と心に留める。楽しそうに挑戦している彼らの姿に挑戦意欲がかき立てられる。

2014 33歳

木質バイオマスエネルギーを主軸とした自然エネルギーへのエネシフを推進中。「原発に反対するからには代案を出したい」とのモットーの裏には、助監督時代、尊敬する先輩助監督から「ダメ出しをするからには、代案を出せ」と口酸っぱく言われつづけてきた経験あり。

インフラ部門を幹とした地域の独立が目標。その先に見据えるは、教育や文化、民俗など地域を構成するものををすべてひっくるめた”里山社会”づくり。自分の代では成し得ないかもしれない途方もない夢の実現に向けて、挑戦が生きがいであることを再認識しながら草の根作戦を実行中。12月には村山総合支庁から活動の成果が認められ、「村山地域農林水産業若者賞」を受賞。

2015   34歳

自身で新たな会社を立ち上げられるほどの収益を確保できつつある So-tennen をいずれ庄司林業の一事業として組み込む予定。労働力を買い叩くような価格での仕事の依頼はすべて断り、適正価格での仕事しか受けないという市場に媚びないスタンスにこだわりつづけてきたことが功を奏したところあり。

2015   34歳
“経営者”として世の中が求めているものを提供していくのか、あるいは出したいものを出して世の中を変えていくのか。したがうべきは世の動向にもとづく現実的な思考なのか、自身の裡から湧き上がる衝動めいた情熱なのか。揺れつづける思いの天秤が後者に傾いている背景に、見栄も外聞もなく、何にも屈することなく創作に向かうナデリの存在あり。映画づくりの夢、いまだ諦めず。(つづく)

 

体験談:
「ぶれそうな自分を修正するいい機会になったと思います。日々の暮らしでたまに自分の目指すべきものを見失いそうになるけど、一つのシンボルができた気がします。目指すものより「どういう人生を送ってきたからこれを目指す」ってことが意外と大事なのかなと感じました」

 

庄司樹さんの物語はこちら。
・2013年8月公開 http://lifestory-gallery.com/archives/283
・2014年4月公開 http://lifestory-gallery.com/archives/682


 

 

【価格】 

 30,000円 〜(税別)
 ※ 交通費等別途(大阪府の門真市駅を拠点として)
※ 上記の金額は、スポットタイプ、ストーリータイプともに5,000〜6,000字を想定していますが、あくまでも目安です。


 


【お問い合わせ】

 TEL:090-6152-4965
 E-mail:t.nakamichiアットマークgmail.com(アットマークを@に変えてください)
 お気軽にお問い合わせください。

中道 達也

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