#68 Healing center & cafe CRESTON 代表 菊池貴子さん


 
フィンドホーンで教わったこと
 このカフェで私がカウンセラーとしてカウンセリングを始めたのは、東日本大震災以降のことです。震災以降、世の中では「明るい未来に向けて、皆がんばろう!」って言われているけれど、その前にちゃんと泣かないといけないんじゃないか。その前に悲しいってことにちゃんと向き合わないといけないんじゃないかと、もやもやした気持ちを抱えていました。
 でも昨年、スコットランドのフィンドホーンに行って、それが自身の問題でもあったことを痛感してきたんですよね。山形にいた私は震災による直接的な被害を受けなかったけれど、自分の中で知らぬ間に「一生懸命生きる」というスイッチだけが入ってしまったんでしょう。自分の弱さや無理をしていることをどこかで自覚していながらも、ふたをして生きていたんだと思うんです。
 ところが、フィンドホーンでは、否応なくそのふたを開けられたわけです。以降は、「え~、私、そんなにショックじゃないのに~」と言いながら大泣きする日々が始まって…。例えば、キッチンで洗い物をしていると、フランス人の女性が来て、全くの初対面なのにも関わらず「震災の時大丈夫だったの?」って訊いてきたことがありました。何でこの人は私のことを心配するんだろう…と思っていたのもつかの間、気づいたら涙が止まらなくなっていて。しかも、フィンドホーンにはそういうエピソードをシェアする仲間がいて、人が集まる場で「大泣きしちゃって…」という話をすると、その場にいる人たち皆で大泣きしてしまうという展開にもなりました。そういうことが自由にできる場所であるフィンドホーンではありふれた光景なんですけどね。ちなみにその後も、私はその女性に会うと毎回泣いちゃっていました。
 自身、フィンドホーンでそういう時間を過ごせたおかげで、震災やそれに付随して起きた出来ごとを、ようやくちゃんと現実として受け止められるようになったんです。要は、自分のクレンジングができたってこと。
 加えて、フィンドホーンという場所は自分自身とちゃんと向き合って何をやりたいのかを問いかける時間を私に与えてくれました。振り返ればそれ以前の私の人生は、ついつい自分じゃない誰かを優先して生きてしまう人生でしたから。
 ――実家にいた高校時代までは旅館の仕事を手伝ったりしていたんですけど、お客さんに会うことや、電話応対をすることは好きだったこともあって、旅館の仕事が少なくとも嫌いではなかったんですよ。当時は私に貼られていた”旅館の娘”という大きなラベルがピッタリ合っていたのかな。それを演じるのに一生懸命だったのかな…。いずれにしても、”旅館の娘”を演じて褒められたり喜ばれたりすることが一つのエネルギーになっていたのは確かなこと。
 あ、でもやっぱりその当時くらいから感じていたのかな、無理をしているなってことは。――中学校の頃から体が大きかった私は目立つということもあり、中学、高校共に雑用係のような生徒会の仕事をやらされていました。だから学校では「優等生」のキャラを演じざるを得なかったんです。一方、”旅館の娘”だった家でも、いい子でいなきゃとかあんまり変わったことをやれないなという思いに縛られることは多かった。それが続くとだんだん苦しくなって、違う自分でいたいなという気持ちが膨らんできていたんです。
 そんな私が高校で選んだ部活は演劇部。きっと「おじさん」にも「不良」にもなれる演劇は魅力的なものとして映ったんでしょうね。事実、嫌な人間の役や悪い人間の役を演じることで解放されたところはあったんじゃないかな。
 カウンセラーをやっていた時にしても、相談に来る人の幸せが私の幸せにまでなっていましたから。「私、こういう風に変わったのよ」という報告をもらったら、「やったね!」「よくやったね!」と自分のことまで褒めたくなっちゃう。その人が幸せなら、もうそれで十分。だから、逆に自分の楽しみはと訊かれても何にもないという状態だった。でも、結局自分自身は何にも変わっていないわけですよね。喜んでいるようで本当は喜んでいない私もいたはずなのに、自身のことは完全におろそかになっているからそれに気づくこともできなかった。当然、その影響は身体にも出てきたし、しまいには心もおかしくなって…。自分としては精一杯やっていたけれど、限界があったんでしょうね。だって、私自身がもういっぱいいっぱいだったのだから。余裕もないし、浄化されていないのだから。私のところに相談に来る人たちそれぞれが持っている悲しみの深さや苦しみの深さを受け止めきれないってことはきっとどこかでわかってた。
 実際、昨年3月、フィンドホーンに行くことを決める時にも、最後の最後まで「本当に行く必要があるのか?」と釈然としない思いを抱えていた私がいました。当時は、自分のバランスがおかしくなっていることすらわかっておらず、目的も見失っている状態でした。その影響は日常生活にも出ていて、例えば洋服を着るとなっても、何の洋服を着ていいのかさえわからなくなっていたんです。自分の好きな洋服とかも選べなくて、無意識のうちに目立たないものをチョイスしたりしていましたから。
 きっと、(相手の感情とかを)もらいやすいんでしょうね。事実、カウンセリングの際に話を聞いていても、相談してくる人より先に泣いちゃうみたいなことはよくありましたから。やっぱり、サービス業をしている家で生まれ育ったことが大きいんじゃないかな。言葉じゃない部分で空気とかをキャッチしていた部分も多かっただろうし、自己主張があっては成り立たない仕事をやる中で、”私”という主語がない生き方が作られていったんでしょうか。
 そういう風に誰かを優先してずっと生きてきた私が、今回半年間を過ごしたスコットランドではそれとは真逆の作業をさせられてきたんですよね。相手がどうこうっていうより私自身がどう生きていたいかを明確にする方が先。そんなことをフィンドホーンにいた人たちは教えてくれました。おかげでようやく私として生きるステージに立つことができた。
 
変わってきたもの・変わらないもの
 実際、4月から11月までフィンドホーンに行ってきたことや、12月からまたフィンドホーンに行くことは、自分のことを一番に考えた上でのベストな選択だと思っています。正直、周りのことを考えると申し訳ないなという気持ちはあります。でも、そこで自分を優先させられるようになったことは、私にとっての大きな進歩です。
 とは言え、行く前はずっと二の足を踏んでいました。皆ここで働いているのに、自分だけ離れちゃうのは無責任なんじゃないかなと。旅館にいることがいいことだと思っていたし、旅館にいなきゃいけないとも思ってた。でも、他方では、旅館にずっといることですごく苦しんでいる自分も紛れもなくいるわけです。外国にいる時の自分とここにいる時の自分の歴然たる違いを知っているわけです…。そんな葛藤はずっと抱えていたかな…。
 だから、ある意味、旅の目的地となった外国はいい”逃げ場”だったんですよね。なぜなら、外国にいる時だけはここで感じている居心地の悪さから目を背けることができたから。旅をすれば”無責任”になれたから。ここにいて他の人や物事にも責任を取らなくちゃいけないという立場にいることがすごく重荷と感じることもあった私には、自分だけに責任を持てればいい旅の最中はすごく楽だったんですよね。逆に言えば、旅をしていると、バックグラウンドも何も全く関係なく”今ここにいる私”でしかいられない、一個人の私として勝負しなくちゃいけないのですが、その方が私にはしっくり来ていましたから。
 そんな時、「あなたの前世は旅芸人です」とその道の人から言われたことは救いになりましたよね。おかげで、な~んだ、何度も旅行に行くことは悪いことじゃないんだなって思うことができたし、しょうがないじゃんと開き直ることができましたから。
 これまでのカウンセラー経験を振り返って、自身がカウンセラー向きじゃないってことはわかりました。嬉しいことも悲しいことも止める間もなく表にブワーっと出ちゃう私はよく、皆から「また泣いてる」って言われるんだけど、それはもうしょうがないんですよ。出来るなら私も冷静に相手の話を聞けるクールな女性になりたかったけど、全然なれそうな気がしないから諦めたんです。(笑)今となっては思いますから、私もよくカウンセラーやってたもんだなって。(笑)
 今は自分がそれを背負うんじゃなくて、場所や機会を作ることに専念していこうと切り替えている段階ですね。そういう方向性を目指した方がいいっていうのは明確な答えとして出たんです。なので、帰国した11月、皆さんにお伝えしました、「カウンセリングはもうやらないんです」って。
 なぜならフィンドホーンにいた人たちは教えてくれたから、自分の人生をちゃんと生きていくことがいいカウンセラーになるための一番有効な手段だってことを。自分の人生を一生懸命生きることが、それを見せられた周りの人たちに何かを思い出させるってことを。
 「将来は○○をする」ってはっきり言えない今だけど、変わったことは確かだと思います。一度死んで再生させてもらったと言っても大げさじゃないくらい。だから、冗談として言ったりするんですよ、「若女将として旅館の手伝いをしていたのは、前世のような気がする」って。(笑)たかだか数年前のことなのに、それくらい隔世の感があるんです。
 私自身、人に関わることはやっぱり好き。人はかけがえのない存在だと思います。仮に人生に行き詰まることがあったとしても、「生きるスイッチ」がパチンと入れば、絶対その人たちは間違わないし、その人たちが壊れていくことはないってことを私は信じていたい。
 結局、人と深く関わりたいと思うのも、私自身がそういう存在を欲しているからに他ならないんですよね。今回、フィンドホーンでこれまで自分が溜め込んできたものをリリースしたことにせよ、それこそかっこ悪いくらいに泣いたことにせよ、そこに「受け止めるよ」って言う相手がいたからこそ出来たことだったのだから。
 そんな風に安心して浄化をして、“自分”がなくなった状態を一度経験してきた今の私なら、「安心して出していいよ」って言えるような気がするし、「出すことによってエネルギーが変わるから」ってことも伝えていける気がするんです。だからこそその応援をしたいし、「私はそれを見てますよ」ってことも伝えてあげたいなって。 
 今改めて思うのは、私のキーワードは人なんだってこと。旅館の仕事であれ、カフェの仕事であれ、遡って高校時代の演劇部の活動であれ…、変わらず真っ先に来るのはやっぱり”人”なんですよね。

 
<編集後記>
僕は、貴子さんが2度目のフィンドホーンに行く前と行った後にお会いしているけれど、彼女のもとから行方をくらました“猫”はたくさんいる気がした。

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